Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

県道沿いの民家C②屋根と玄関の加工

県道沿い民家Bの製作で、KATO製民家シリーズの遮光性能等照明設計条件を把握できたので、民家Cはいつも通り屋根加工から開始します。

屋根加工は瓦・漆喰部の色変更と下地板塗装及びウェザリングですが、良く見ると裏面板壁上の漆喰部塗装が省略されていました。 ここも同色で塗る事にします。

《前号より転載》
取り外した大屋根と出桁屋根は、民家Bに準じた暗い色で塗り直します。

民家B完成風景確認の際、RMLグレー単色の屋根が少し明るく見えたので、RMLグレーにフラットブラックを少量加えて塗り直しました、出桁屋根爪先端部がオリジナルです。

手元灯と老眼鏡を頼りに雨どいを黒鉄で塗り、ウェザリングを行いました。 民家B雨どいは黒鉄にニュートラルグレイを混ぜましたが、塗装箇所が多く今回は単色です。

上が民家C、下が民家Bです。 目視比較では同系色で少し暗く見えますが、写真比較は差が圧縮される様です。

続いて下地板塗装を行います、民家Bはフラットアースでしたが、民家Cはマホガニーを使いました。 大屋根切妻だけでなく出桁屋根玄関脇にも下地板があります。

出桁屋根反対側の下地板もマホガニーで塗りました、屋根瓦は薄く、光っている部分は黒鉄塗装した雨どいです。

大屋根下地板もマホガニーで塗装し、漆喰部はフラットホワイトにニュートラルグレーを少量加えてトーンを落した色で塗りました。 雨どい塗装を行い、板壁ウェザリング着手の状態です。 漆喰部は汚らしくなるのでウェザリングしない事にしました。

悩んだトタン屋根はオリジナル緑色をヘビーウェザリングで馴染ませる事にしました。 分解せずに端面や見える可能性がある裏面まで塗り直す自信を持てなかったからです。 黒鉄で雨どい塗装後、通常のウェザリング3色に加え、レッドブラウン薄め液も使い廃れたトタン屋根をイメージしてウェザリングし、浮いた感じを消す事ができました。

玄関パーツは最初に約0.8mm突出している門灯カバー部を、可能な範囲でヤスリで削りました。 次に電力計と牛乳ボックスをニュートラルグレイで色差ししてから、漆喰部を塗りました、筆者の視力と技術ではこの辺りが限界、微細な塗り分けは疲れます。 マホガニーではみ出し修正した部分は、後でウェザリングで目立たなくします。


ではまた。

県道沿いの民家C①分解調査と改修方針

ストラクチャ製作を続けます、県道沿いの民家Bの隣家、民家Cに着手します。

民家Cは県道から倉元駅への田舎道三叉路に面し、完成した民家Bとはバス停・畑を挟んで少し角度を持って建てる計画です。 集落景観の統一感及び当時の民家製品が少なく、選択肢が限られるので、KATOローカルストラクチャシリーズから選びました。

民家Cに選んだのは切妻造りの町家3です、今回は2階建の建物です。

県道に面する正面です、ガラス戸の廊下と明かり取り窓付き障子の座敷、当時の建築様式を感じさせる造形です。 形は良いのですが相当手を加える必要があります、まずライトグレーの屋根は塗り直し必須、玄関腰板上漆喰部分は妙に赤味が強く許容できません。 廊下前にレンガを積んだ花壇がありますが、この色では全くらしくありません。

裏面です、手抜きが多い建コレに比べKATO製品はキッチリ作られています。 青や緑系トタン屋根もありましたが、この色似合っているとは思えません。 左側コーナー2辺のコンクリート壁は本線築堤からの下り傾斜に対向し土留になるのでそのまま使います。

玄関側側面です、窓が多い建物なので照明設計が難しそうです。 切妻漆喰部も玄関腰板上と同色で赤味が強く、一緒に塗り直す事にしました。 組立キットなら好みの味付けをしてから組めるのにと、完成品である事が恨めしく思えます。

反対側面にも窓があります、要改修箇所は見えても、内部構造確認をしないと方法が全く見えません。 民家B同様、下地板を塗装して屋根をスッキリ見せる必要もあります。

2本のビスと2ヶ所の爪を外し建物本体とベースを分離しました。 便所排気塔は壁・ベース双方と接着してあり、壁側の差し込み部を折って分離するしかありませんでした。 ベース側も作業中に折る事必至ですので。ドリルで揉んで取り外しました。 ベースには花壇だけでなく玄関や庭の敷石が造形されており、塗り分けが面倒そうです。

取り外した便所排気塔、非接着の玄関庇、廊下座敷間の障子パーツを別に保管します。 障子パーツは1.6mm厚、裏面茶色塗装で光を通しません、実質的には窓付き建具で夜景演出には薄く削って光を透過させる加工が必要、ヤレヤレです。

建物本体です、上2ヶ所ワッシャ付き極小ビスでトタン屋根を止めてある様で、頭が合う時計ドライバーで取り外しを試みましたがビクとも回りません。 再試行でナメてしまいついに諦めました。 2階ベースは右上すき間からこじると簡単に外れました。

外した2階ベースです、やはり細かく間仕切りされています。 ここまでやるなら室内を作るとか照明組込み用穴を空けるとか、中途半端ですよKATOさん。

2階ベースを外すと大屋根固定ネジが現れ、簡単に大屋根と壁を分離できました。

玄関パーツを外して眺めます、右側に電力計、表札、ポストが造形されています、一番下は牛乳ビン入れ、新聞同様各戸配達されていた時代です。 左側に角型門灯、これを表札が読める様に光らすのは相当難しい、その下に呼び鈴ボタンまで造形されています。

出桁屋根は壁に接着されていて外れません。 少し浮く出桁屋根が取り付けられた前面壁すき間を壊さぬ様にこじり分離しました。 左端出桁屋根爪が壁に固着されているので、カッターで切れ目を入れ折り取りました、完成品ゆえの大改造になってしまいました。

ようやく塗色変更が必要な大屋根と出桁屋根を分離する事ができました。 雨どいが全面にあり、塗り分けに苦労しそうです。


民家Cの改修方針は以下の様になりました、民家Bの倍近い手間ヒマが掛かりそうです。
①屋根の塗色変更とウェザリング
 大屋根、出桁屋根は加工可能になりましたがトタン屋根をどうするか検討中です。
②漆喰部の塗色変更
 赤味を消して落ち着いた雰囲気にしたいと思います。
③造形小物の色差し
 細かく作られているので存在感をさりげなく主張させたいと思います。
④小物追加
 効果的な小物をいくつか追加します。
⑤照明組込み
 複雑な間仕切り壁を利用し、省力化部分遮光で温もりある夜景を目指します。


ではまた。

続・静態保存に想う

脱線話題が連続し恐縮です、どうにも静態保存蒸機の過剰装飾が気になり調べました。 電機や電車の保存車両は現役時代のままの姿なのに、何故蒸機だけ?という疑問です。

1966年7月筆者撮影の青梅鉄道公園スナップに写る9600(静態保存展示)は現役時代の姿です。 唯一の装飾要素はランボードからキャブ下白線ですが、これは現車でも珍しくありませんでした。 仲間が全国各地を走っていた時代ですから当然かもしれません。

2011年定年退職後の北海道ドライブ旅行で立ち寄った旧広尾線愛国駅の静態保存9600はどうだったか調べると、ロッド・ナンバープレート色差し、デフ縁取りなど化粧が施されていました。 どうやら静態保存蒸機の装飾は、無煙化達成後に始まりSLブームで加速した様です。 あるいは劣化防止錆止め塗装を兼ねているのかもしれません。

と言う事で峠を越えた松本平の静態保存蒸機を見に出かけました。 中央東線・篠ノ井線沿線自治体は、山梨県境富士見町を除き、茅野市・諏訪市・下諏訪町・岡谷市・辰野町・塩尻市・松本市・明科町(現安曇野市)・麻積村と軒並み蒸機を静態保存しています。 上の写真は松本市郊外工業団地内公園に保存されているD51です、屋根はありません。

ご多聞に漏れず厚化粧で、配管を丹念に金色塗装してあります。

敦賀を振り出しに静岡(電化前東海道本線)を経て長野入り、昭和48年廃車まで県内で活躍しており地元ゆかりの蒸機です。 この看板辻褄が合いません、中段の「昭和43年11月27日まで37年7ヶ月」は「昭和48年11月27日まで34年7ヶ月」の誤記の様です。


ところで蒸機無縁の飯田線沿線3市(伊那・駒ヶ根・飯田)にもD51が静態保存されています、一体看板に何と書いてあるのでしょう。 長野は盆地毎に言葉文化が微妙に異なり、伊那谷3市の静態保存には対抗意識が強い県民性が関係しているかもしれません。

機関士席の前方視界は予想以上に狭く、左カーブでは進行方向が全く見えなかったと思います。 踏切警報機・遮断機設置は一部だった時代なので、頻繁に汽笛を鳴らしながらの走行は安全上の必然だったと解ります。

運転席から振り返ったテンダー入口、機関助手の職場です。 給炭は50-100km毎、給水は20-30km毎という知識はありましたが、炭水仕切り板を見ると圧倒的に水積載量が多かった事が実感できます。(ちなみにD51積載量は石炭8t、水20tです)

少し引き返した塩尻市役所敷地内に静態保存されたD51です、取材日は桜満開でした。 筆者には懐かしい駅名板です、右小野(現中央本線支線)左広丘・洗馬、現在は右みどり湖・洗馬、左広丘です。 旧塩尻駅は新宿―名古屋・松本の線路配置で、名古屋と松本・長野間の列車は塩尻で進行方向を反転していました。 新宿ー名古屋間夜行準急きそ廃止以来、中央東西線直通定期列車はなくなり、塩尻駅は現在地へ移転改修されました。

155号機にも東海道本線本務機の時代がありました。 昭和45年1月まで20年間長野県内で活躍した後稲沢第一へ転籍、中津川で廃車を迎えたとあります。 この看板も廃車時期昭和48年を42年と誤記しています、40年間修正せず放置の様です。 諏訪エリア看板と合わせて見ると昭和48年に県内蒸機の大量廃車があった事が解ります。 

この155号機も松本172号機と同じ屋根なし保存です。 前回と合わせ6両の静態保存蒸機標準仕様はランボード白線とロッド色差し、オプションはデフ・キャブ縁取り、動輪・手摺り・配管塗装等様々です。 過剰装飾の背景は、機関区・国鉄工場が譲渡先へ送る際、娘を嫁に出す様に着飾らせたのではないか?が筆者推定です。 何故蒸機だけ?については、蒸機が人間臭い機械であり、国鉄職員に愛されていたからだと考えられます。

155号機ロッド類は錆一つなく他の静態保存に比べ段トツに綺麗です、市役所敷地内なので専任者がこまめに手入れしているのかもしれません。 思わず触りたくなる鈍い輝きに惹き寄せられ、触れてみると油に馴染んだ鉄の感触と微かにグリスの匂いがしました。

テンダー後部の梯子に「架線注意」の表示がありました。 蒸機晩年の職場環境を表している様で面白いと感じました。

せっかくここまで来たのだからと、本山宿初訪問の次途に数軒古民家が残っていた旧塩尻宿へ寄ってみました。 しかし20年の歳月は半端ではなく、残っていたのは重文指定された切妻屋根出格子が美しい1軒のみでした。 人が住んでいない家は、文化財的価値は別にして、静態保存蒸機と同じだなと妙に納得して帰途につきました。


ではまた。