Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

本日はお休みします TMS1963年4月号

旅行中ですので、TMS1963年4月号の記事を予約投稿しました。

この号特集は「キット加工を楽しむ」表紙は4030型蒸機です。 全く聞いた事がないので調べたところ米国ボールドウィン社製、1895年3両輸入され1906年国有化で鉄道院に引き継がれ1923年に廃車されています。 蒸気機関車スタイルブック非掲載形式なので馴染みがないのは当然です。 九州若松で石炭輸送に従事したとありました。

ベースキットはトビー模型店4030型です、当時でもほとんど知られていない形式モデル化目的は、人気があったタンクロコを自由形でなくスケールモデルにする事しか思い浮かびません。 他にはC51細密化競作とEB10のキット加工記事が掲載されています。

巻頭グラフに完成したカワイモデル店頭レイアウト写真が掲載されています、詳細は次号で紹介という予告番宣です。 筆者はこのレイアウトを数回見ています。 交通博物館の帰り、神田まで歩いて鉄道模型社とカワイモデルを見に行くのが定番コースでした。

「陸蒸気からこだままで」は連載20回を数え、戦後車両が登場する様になりました。 上段63系は72系と共に昭和30年代の主力国電車両でした。 親世代から省線電車やゲタ電と呼ばれていたグループです。 下段は改装前EF58と戦後復興期の3扉粗製客車オハ71系、改装後EF58は特急つばめ牽引機として知っていますが、これは知りません。

この号で筆者が最も興味持って読んだのがこの記事です。 関西本線と草津線分岐駅柘植機関支区の紹介です。 著者は折々鉄道施設関連記事を寄稿しており、見ず知らずの土地の鉄道施設を知り、レイアウトへの夢を膨らませる貴重な情報源でした。

支区事務所、乗務員詰所などが一体化した長い建屋です。 露太本線に多数採用しているKATO構内建物のモデルになった様な雰囲気です。 反対側に燃料掛詰所と浴場が並んでいます。

コンクリート製のがっしりした給炭台と給水塔、記事本文には草津線D51が居る事が多いとありましたが、憩っているのはC58の様です。(左側煙突が8620風の異形です)

柘植機関支区全景です、山間小盆地の地形の影響か本線脇でなく、少し離れた自然豊かな場所に置かれていました。 機関庫がない蒸機基地もあった事が解ります。 降雪地帯ではありませんが、雨の日の始業点検は辛い仕事だったと思います。

前年夏から10円値上げで定価140円、2年で40%の上昇率ですが、それが気にならない程の好景気、生活が豊かになったと誰もが感じられる時代でした


ではまた。

県道沿いの民家C⑤1階照明設計大成功!

今回は民家Cの1階照明組込みとそれに伴うパーツ加工を行います。

1階座敷照明基板も2階と同じ天井裏、つまり2階床に置く事にしました。 間仕切り板にLED用角穴を空け、隣室経由で階下へ配線を引き出す穴を2ヶ所空けました。 隣室は念を入れて全面遮光塗装しました。

配線や照明基板の舞台裏を見せたくないので、2階全室にカーテンを引きました。 右端中央に見えているのが出桁屋根の取り外しで折り取った爪です。

1階障子小窓がスリガラスに見える様にコピー紙を貼り、座敷隣室への漏光を防ぐ遮光材を壁境界部に取り付けました。

工作に熱中すると途中経過写真を撮り忘れる事が時々あります、今回もそれです。 1階座敷照明基板と厨房照明基板を製作して取り付け、配線を完了しました。 座敷照明LEDは電極形状を変えて、下ではなく障子方向を照射する角度に取り付けてあります。 座敷隣室天井基板で配線処理を行い、ベースなしで室内照明回路を完結させました。

前面壁を仮組みして裏から見た状態です。 厨房照明基板LEDはクリアオレンジを濃い目に色差ししました、並列に付いた抵抗は回路図で説明します。 座敷LEDは障子成形剤が茶色なので色差しせずに様子を見ます。

民家C照明回路は室内と門灯の2系統4灯です。 1階は障子板を透かす為11mA、2階と厨房を直列にして2mA、狭い厨房の明るさを抑える為、3kΩのバイパス抵抗を付けて1mAにしています。 当社の100本単位常備抵抗は820Ω/3kΩ/5.6kΩ/10kΩ/100kΩの5種、他に1kΩ未満1/4W抵抗を数本ずつで、回路設計の工夫でやりくりしています。

照明関係のベース加工を行いました、床に配線引き出し用3.2mm穴を2ヶ所空けます。 厨房照明配線を逃げる切り欠きを間仕切り壁に設けました。 11mAで斜め下向きに照射する座敷床から、廊下と縁の下への漏光を防止する0.8t板紙を座敷に敷きました。 わらぶき農家製作経験から、板紙端面と障子に接する部分を黒色塗装しました。

厨房配線逃げ切り欠きからの漏光対策として側面壁遮光塗装を追加しました。 照明設計のキモになる1階座敷確認準備が整ったので障子板、前面壁、出桁屋根をベースに仮組みします。 障子の明るさと色味がそれらしく見えるか、漏光についても確認します。

ダメなら障子板削り直し、LED取付法や電流変更、あるいは全く別の解決策検討等々不安に襲われます、緊張の一瞬、電源ON、障子窓だけでなく障子も光り期待できます。

次に室内照明OFF、明るさは丁度良く障子透過光色も許容範囲!、ホッとするより嘘だろという感覚、見込み設計がこれ程ツボに嵌る幸運は滅多にありません。 未遮光前面壁の漏光は塗装で対策可能なレベル、出桁屋根爪部だけ工夫が必要です。 2階左部屋へ漏れる光も民家Bより自然になりました、ただこのストラクチャは外壁と間仕切り板壁が2mmほどズレています、2階右部屋隅でそれが解ります。 兎に角最大の山を超えました。

裏側です、このアングルでLED発光面がわずかに見えますが不自然ではありません。

室内照明OFF、2階窓双方の明るさは見る角度でかなり変化します、灯りがあるこの状態で良しとします。 厨房は窓周辺壁から漏光があり遮光材追加対策が必要です。


《おことわり》
本日より5/17まで留守にします、昨年同窓会で逢った仲間と1泊2日2ラウンドゴルフの集いに参加する為、福島県いわき市まで車で遠征します。 体力と体調を考慮し3泊4日の日程です。 この間コメントを頂戴しても返信が遅れますので予めご了承ください。


ではまた。

KATO C11を買わなかった理由

KATO新C11入線ブログ記事が数多く発表され非常に高い評価を受けています。 筆者は新幹線とJR車両に全く興味が無く、昭和40年代の時代設定と非電化亜幹線の場面設定に合う車両のみ入手しています。 ならばC11を見逃すはずはないと思われるでしょうが、実は見送りました、何故なのか?その辺りについて書いてみます。

《4番線で急行待避》
筆者記憶によればD51主力機路線機関区の同居形式は8620・9600・C12が多く、D50・C57も見ましたがC11は記憶にありません。 一方、C58主力機の路線機関区の同居形式は9600・C11が多かった様に思います。 C11を買わなかった理由は、D51主力機の露太本線には似合わないと考えたからです。

《生野機関支区》
筆者は初代C11を所有しており、昨年のC12入手までは生野機関支区入換機の設定で撮影用に使っていましたが違和感がありました。 蒸機が好きで品質が良ければそれで良い、市販蒸機を扇形庫に並べても現実性が無ければ博物館か展示場に過ぎないと感じてしまうこだわりがあるのです、再現したい風景優先ゆえの詰らぬ意地かもしれません。


時代設定と上記考え方に基づき、現在の露太本線在籍機関車はD51-3両(客貨・補機)、C12-1両(入換・区間列車)、DD51-1両(夜行急行)です。 生野機関支区在籍機は、峠越え補機基地なのでD51-2両とC12-1両です。 筆者は全国各地の機関区巡りをした訳でなく、旅の次途に機関区を覗いたり、側線留置機や交換列車牽引機からの印象です。 その印象とC11購入見送りが正しかったのか、機関車配置表で検証してみました。

動力近代化計画開始前年1959年(昭和34年)の国鉄在籍蒸機は24形式約4,500両でした、ピークの6,000両からは減っていますが電化率11%、蒸機全盛時代です。 5年後1964年までにC10、C54、E10、10年後1969年までにC51、D62が消えましたが、無煙化6年前の1969年、筆者があちこち旅した頃の露太本線想定時代でも19形式が現役でした。


しかし1機関区在籍蒸機は2-3形式、大機関区でも5形式止まり、19形式の半数近くが在籍する機関区はどこにもなかったはずです。 線路規格/勾配条件、旅客/貨物輸送量、国鉄配置・無煙化政策により、各機関区に適した蒸機は自ずと絞られたからだと思います。 それでは1969年3月時点で電化が及んでいない機関区の条件で具体的に見て行きます。

亜幹線とローカル線、及びローカル線同士の分岐駅8機関区の在籍機推移表です。
①機関区在籍蒸機形式は3形式止まり。
②D51在籍機関区同居形式は8620・9600が圧倒的に多く、C12・C57も見られる。
③津山で8620⇒C58、人吉で8620⇒C57、志布志で9600⇒C58の置き換えが進んだ。
④西舞鶴では9600/C58とC12が、津山と志布志ではC58とC11が本務機を分担した。


筆者印象はほぼ当っていますが、西舞鶴C58の相方はC11でなくC12の例もあります。 唯一D51とC11が同居した1964/4東能代の事例は入換機C10の置き換えの様です。 もう少し大規模な機関区を見てみましょう、1969年は電化が進み対象はごくわずかです。

筆者印象については判断できません、C58/D51混在機関区が全国数ヶ所あり、関西本線の様に双方同一路線走行歴もあるので、必ずしも気にする必要はないのかもしれません。 鹿児島機関区は特異です、押し寄せる電化の波で旅客用蒸機吹き溜まりの感があります、マスコットB20を含め7形式在籍しています。 貨物牽引機はお隣出水機関区に集中配備されていました、担当線区が多いとは言え、エリア9形式には認識が改まりました。

最後に長い路線では分岐駅でない場所にも機関区が置かれていました、ここでは筆者印象通りになっていました。 七尾は七尾港貨物支線がありましたが、C56/C58の配置からすると、七尾線南部と延伸した北部で線路規格が異なっていたと考えた方が自然です。

《D51が牽く夜汽車・・・転載》
以上の様に機関車配置には法則めいた物があり、蒸機最晩年亜幹線に似合うのはD51/C12+DD51(線区によりDF50)トリオだと考えています。 ローカル線ならC58/C11+DE10トリオですが、特急や夜行急行が走る路線ではありません、やはりC11は見送って正解と感じています。 それにしても欲しいのは9600と8620、KATOから出れば即予約注文します。 いずれにしても露太本線在籍車両が100両を超える事はなさそうです。


註:車両を集めるのが嬉しい、眺めるのが楽しい、何を重視し何処に趣味の喜びを感じるかは人それぞれ、本記事は筆者個人のこだわりについて述べた物で、多様な趣味の方向性を否定する意図は全くありません。


ではまた。