Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

ご愛読に感謝します1万アクセス到達

昨日夕刻、ブログ開設から1万アクセスに到達しました、ご愛読に感謝いたします。

【野良の帰り路】

車両や線路延長より、「鉄道がある風景」重視の風変わりなコンセプトが何処まで受け入れられるのか?危惧しながらのスタートでした。 月に千アクセス、1年続けて1万アクセス行けば大成功と考えていましたので、わずか78日は全く想定外でした。

【夕焼け貨物列車】

先月末、サブカテゴリーに「鉄道模型」を加えました。 車両加工や入線記事はありませんが、「いつかはレイアウト」とお考えの潜在読者が居るのでは?という期待でした。 以降、訪問者が急増し、3/6以降は連日千PV以上を記録しています。 有難いやら、空恐ろしいやら・・・、お陰様でレイアウト製作の大きなモチベーションを頂戴しています。

【カーブからニュッ】

特に優れた工作力もなく、老眼の視力低下に悩まされつつ、『記憶に残る懐かしい風景』の再現を目指して、やりたかった事をできる範囲でコツコツと続けてきました。
多くの読者の皆様に興味を持っていただけた事を、とても嬉しく感じています。

【サミットを越えて軽やかに】

どこまで続けられるか解りませんが、これからも露太本線の進展や風景紹介、その他諸々を綴ってまいりたいと思いますので、引き続きご愛読をよろしくお願い致します。


ではまた。

田園風景ー6 鎮守様から笠松信号所へ

田園風景の続編です。 鎮守様の角を曲がって細い道を進みます。

道はダラダラ登り坂、鎮守の森の隣は、収穫後のトウモロコシ畑が広がっています。

拡大してみます、素材は線路敷設時に騒音防止に使用した2mm厚コルクマットです。KATOフィールドグラス麦わら色を細断して大量に撒き、フラットアース・ボンド水溶液で着色固着しています。 収穫後放置され枯れたトウモロコシの茎を表現しています。

トウモロコシ畑の角地に農機小屋Aがあります、屋根の草は着色したタオル地です。

稲わら満載はここも同じ、農機小屋B付属の小型機械を、出番のない田植え機に見立てて収納してあります、当時の田植え機は手押し式の小さな機械でした。 手前角あるのは、田畑から出た石を積み上げた石塚のつもりですが、どうもそれらしく見えません。

細い道は農機小屋からトウモロコシ畑沿いにS字カーブを描いて登っていきます。 両側にKATO樹木キットの広葉樹小と中を配置してあります。 手前水田並びは、カーブする本線から一段高い場所が、当時出回り始めた新野菜ブロッコリーの畑になっています。

S字カーブの先で小さな流れを渡ります、『田園風景-1中山平から鎮守様へ』の野菜畑の小さな流れの上流で、川幅が狭い急流です。 水平なスイッチバック発着線、3.3%勾配の本線、8%登り坂の勾配差が良く解るアングルです。 奥にどっしり構える3本の広葉樹もどきが、ここからの風景を落ちつかせてくれました。 中央下部に、この先にある見通しが悪く警報機・遮断機がない踏切用に、汽笛吹鳴標識が設置されています。

小さな流れに架かる橋を拡大してみます。 爪楊枝、2mm工作用角材、板紙製です。

2mm角素材には木材とプラ材双方を使っていますが、明確な基準はありません。

橋の下から、信号所敷地を暗渠で潜った出口が見えています

道は橋の先で少し角度を変え本線に寄っていきます、左手は仕舞い畑です。

整地した後に稲わらの束が積まれています、ここにも小さな物置き野小屋があります。

モミガラは、そのまま鋤き込んでも水はけが良くなるだけで肥料になりません、蒸し焼きにして炭化させると良い肥料になります、煙突に使ったパイプが放置されています。

ここまで紹介した部分の位置関係説明用の航空写真です。

道は本線に沿った所で坂を登り切り、信号所入口前に達します。 車2-3台分の職員用駐車スペースがあります。 踏切入口間口が少し広目ですが、これには理由があります。

信号所踏切専用カメラ台を置くと、静止画撮影用コンデジがギリギリ収まる間隔です。

そのカメラ台からの眺めです。 D51牽引の旅客列車が発着線で、後続の急行通過待ちをしています。 あえて空を切らず、露太本線の立地条件が良く解る画像を掲載しました、梁や天井を空にしない限り、低視線アングルが絵になりません。


ではまた。

マヌ34に思う50年前の新宿駅

KATOから発売されたEF13+旧客編成のマヌ34が話題になっています。 現役時代を知っていると言えば歳がバレますが、1967年秋、夜の新宿駅の思い出を書いてみます。


当時、登山にハマっており、新宿23:45発長野行夜行列車で良く出かけました。 午後9時頃ホームで並ぶため新宿駅へ行くと、ホーム反対側に準急木曽が入線していました。 最後尾はオロハネ10、中央東西線経由名古屋行の夜行列車です。 新幹線開業の3年後、夜行なら東海道線準急東海があり、早く出て遅く着く、木曽福島か中津川が目的地の乗客以外利用価値がない様な不思議な列車でしたが、翌年のダイヤ改正で廃止されました。
(注:1968年10月のダイヤ改正により、国鉄の準急は急行へ格上げされ消滅しました)


10時前に並んでいるホームへ165系急行アルプス松本行が入線します。 北アルプス方面へ遠征する登山客がドヤドヤ乗り込み、22:30に発車する頃には列が長く伸びています。


長野行鈍行の入線は22:50頃、EF13を先頭にマヌ34、8-9両の旧客混合編成列車です。 スハ32系の印象は薄く、オハ35系中心の編成だったと記憶しています。 シーズン週末はいつも満席、4人でボックス確保してジャンケン、勝った2人が持参新聞紙を広げシート下で体を伸ばして寝る権利を得ます。 負け組はシート上で体を丸めて眠ります。


丁度その頃、遠くからカーンッ、カンッ、カン、カン、スチーム暖房の入る音が聞こえ、立川・八王子までの酔客が駆け込む発車時間は深い眠りの中でした。 松本電化完了後の当時、甲府以遠旅客列車の電車化は遅れており、日中の新宿駅でもマヌ34を時折見かけました。(夏場は連結してなかったはずですが、記憶が定かではありません)

【写真は本文と関係ありません】


多くの皆さんがこのキットを購入し、マヌ34について記事を書いていますので、筆者の遠い昔の思い出を紹介しました。


ではまた。