Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

生野街歩き-3 北町の街並みと夕景

「昭和の街並み」「昭和の香り」「昭和の温もり」、様々に言われるこれらは一体何だろうと、露太本線構想設計時に考えました。 時代にマッチした建物、車両、小物類、自然が、一定水準のクオリティとリアリティに達している事は、必要条件であっても充分条件ではない、何が必要なのか?何が足りないのか?という疑問です。 例えば、必要条件をクリアした構成要素を、真っ平な土地の定規で引いた様に真っ直ぐな道路沿いに、整然と配置しても、昭和の街並みの雰囲気は得られません。 と言って、曲がりくねった未舗装路沿いに、ランダムに配置すれば良い訳でもありません。


極論かもしれませんが、現在が機能優先・効率重視の『人が自然を屈服させた街並み』だとすれば、当時は『人が自然に寄り添った街並み』だったのではないかと考えています。 自然及び先造構造物(北町通りは鉄道敷設後に発展した)に由来する微妙な「曲がり」や「傾斜」がそこかしこに残っていました、「理由」が見える「ムダ」や「ムラ」と言い換える事もできます。 それらが建築物や構造物の角度や高さ変え、「形」「色」「光」を含めて一見バラバラで個性に富みながらも、全体として奏でるハーモニーが昭和の香り、つまり「いつかどこかで見た懐かしい風景」を生むではないかと思います。


前回、『北町の商店たち』で北町商店街の構成メンバーを紹介しました。

今回は集合体としての街並みについて、夕景を交えて紹介します。

生野駅へ到着する上り列車の窓から眺めた北町通りの街並みです。 列車が走る本線と道路は浅い角度(約10度)で並走しながら離れていきます。 米屋の先の三叉路で少し向きを変えて平行になり、駅前広場に続きます。 また、駅前から三叉路まで水平な北町通りは、そこから手前へ向けて約1%(1軒で1mm弱)の緩い下りになっており、建ち並ぶ商店の土台は、ほんの少しづつ低くなっています。

日没の少し前、レールの影が長く伸び、街には灯りが灯っています。 光の量と角度が変わると、街並みの表情も変わります。

日が暮れると灯りが主役になります。 お店によって照明もまちまちです、洋品店や写真館より米屋や金物屋は薄暗い店内です。

生野駅1番線から見た北町通りの街並みです。 三叉路からの緩い下りは電器店前で水平に戻り、少し左へ向きを変えて本線と平行に延びています。 北町通りはその先、北町踏切前から上りになり、奥に見える造り酒屋賄い処手前で左にカーブしながら傾斜を強め、生野トンネルに吸い込まれます。 この間5mm下って13mm上る、実寸換算わずか2mの標高差ですが、街並みの立体感とリアリティ向上に果す役割は大きいと感じています。

秋の陽はつるべ落とし。 日没にはまだ少し間がありますが、街灯が点灯し家々にもポツポツと照明が灯ります。

夜になると、北町通りの曲がり具合や傾斜の様子が良く解ります。

北町踏切付近からの眺めです、駅前広場までの北町通りを見渡せます。 転轍手詰所の手前側で駅構内敷地が狭くなっており、花壇と、一休みできるベンチが置かれています。 ここから見る生野駅には、峠越え基地の急行停車駅らしい雰囲気があると感じています。 左手奥、給水塔の手前に給炭中D51の姿が見えます。

日没寸前の夕景です。 影に隠れるもの、夕陽に映えるもの、陰影が際立つもの、それぞれが表情を変え、街並みの雰囲気も変わります。 構内時計塔も点灯しました。

街灯や店から漏れる灯りが、北町通りに明暗のグラデーションを作っています。 ヤード灯に詰所や給水塔が浮かび上がり、機関庫物置き前電柱の構内灯も輝きを増しました。


以上、北町通り3地点から時間経過を追って、街並みの眺めを紹介しました。


ではまた。

生野街歩き-2 北町の商店たち

生野駅前から線路沿いに延びる北町通りを紹介します。 駅前繁華街や町の中心部から外れた脇通りですが、いつしか商店が建ち並び北町商店街と呼ばれるようになりました。 

鉄骨隠しの物流会社ビルの先で、北町通りは少し右へ角度を変えて線路脇へ沿っていきます。 裏通りがここから分かれて三叉路になっており、角店はKATO完成品を米屋に仕立ててあります。 新米入荷の張り紙だけで季節感を出すのは難しいようです。

小さな商店街なので、アーケードなどはなく、街灯の柱に看板があるだけです。 米屋の先は洋品店、写真館、金物屋と続きます、いずれも現在は少なくなった個人商店です。

夜景がそれらしく見えるように、店内を簡単に造作してあります。 写真館のショウウィンドには家族の写真を縮小して飾りました。

その先は薬屋と電器店です。 こんなカエルのマスコットがあったと、懐かしくなったのが購入動機です。 都会ほど建て混まず、といって間延びしない間隔で並んでいます。 街灯に接近すると、3228チップは大き過ぎるのが一目瞭然です。 二期工事以降は、1608と薄型3014を使用していますが、3228タイプの改修工事は将来課題のままです。 街灯支柱には内径1mm真鍮パイプを使用し、片電極を兼用しています。 少々オーバースケールですが、電柱や道路標識も同様なので、バランスが取れると考えています。

お隣は商店長屋、駄菓子屋に改造可能なストラクチャを探した結果です。 当時の駄菓子屋は、木枠ガラス蓋の商品ケースを、店の外までガラガラ引き出していたものです。 残り3軒はしもた屋、蕎麦屋、不動産屋にしました。 列島改造ブームで明和不動産は好景気、生野駅へ構内看板を出し、中山平駅空地の販売も手掛けています。 生野駅は街外れの小高い丘の上にあるので、旧市街中心部は少し低い場所になります。 背景に筆者が住む茅野市の風景を使いました、当時あってはならない量販店と近代的ビルを樹木などで隠しています。 それだけでらしく見えるのは地方都市だからでしょう。 ソーラーパネル設置屋根もありますが、当時の温水器に見えるのでそのままにしてあります。

更にジオコレタウンが続きます、出光GSと漬物屋です。 GSの先で生野駅構内が終り、北町踏切から駅裏工業団地や山裾の村々へ通じる道路が分岐します。

夜景です。 街灯2灯、GS給油場、GS事務所、漬物屋、場所と性格により明るさと色が異なります。 踏切までは計画原案通りですが、その先、北町通りの自然な終らせ方が着工まで未解決でした。 漠然とトンネル・・・と考えていましたが、空間の広がりを演出できないかとこんな工夫をしました。

塩ビパイプ継手を使えないかと、道路トンネル規格を調べたところ、断面形状は真円でOK、建築限界があることも解りました。 手頃に見えた50シリーズ・内径60mmの塩ビ継手は建築限界ギリギリ、自転車では恐くて通行できないサイズでした。 そこで、東京五輪(昭和39年)後の景気対策公共工事として、歩道付高規格トンネルが建設されたという都合の良い設定で、65シリーズ・内径76mmの直線継手と大曲りエルボ継手を組み合わせ、生野トンネルを製作しました。 トンネル内でカーブさせれば、北町通りの自然な終端処理ができるというアイディアです。 12V給電、標準LED3灯直列の内部照明(常時点灯)を取り付けました。 塩ビの地肌がコンクリートに近いので塗装していません。 設置場所は生野駅前の二匹目のドジョウ、20cmx40cmの張出しスペースです。

トンネル入口付近のアップです、車線幅が通常の3mから高規格の3.5mへ広くなっています。 歩道幅は1.2m、自転車・歩行者が安心して通行できます。 入口に銘板、点灯標識と共に「昭和43年9月竣工」のプレートを貼りました。 舗装は手前がアスファルト。トンネル区間はコンクリートをイメージしてトーンを変えています。 

生野トンネルを設置した北町商店街の終点付近です。 道路角度にマッチするKATO製文房具屋をコーナー配置しました。 完成品なので、ウェザリング・照明組込・店内造作をしただけです。 北町踏切から道路は登り坂で、文房具屋左端で2mmほど建物土台が高くなっています。 道路右側に造り酒屋の店蔵と賄い処があります、生野駅南側に貯蔵蔵と出荷倉を持つ老舗です。 店蔵土台の石垣で、トンネルへ向けた坂の勾配が解ります。 生野トンネル自体も、道路が登り勾配になるよう設置しました。

商店街外れの少し寂しい雰囲気と、トンネル奥へ続く空間の広がり感が出たでしょうか?


ではまた。

生野街歩き-1 生野駅前

生野駅前の建設立地条件と現在の風景を紹介します。

レイアウト基台工事完成時の生野駅前です。 構造鉄骨前面に背景を設置するのが着工前の計画原案でしたが、駅前が壁では味気ありません。 そこで、DIYで鉄骨奥の空間に街並みスペース増設の計画変更をしました。

2x4材で床面鉄骨間に桁を渡し、柱を立てて街並み基台枠を製作しました。

天面に9mmコンパネを、背面に背景用4mm合板をビス止めして、600x900の敷地を造成しました。 基台から天井まで手前側で70cm奥は40cmの狭小空間です。 前面鉄骨すき間と右側面からしかアプローチできない劣悪な作業環境なので、ユニット分割した街並みを、完成状態で設置する工法を選びました。 ユニット厚補正と地形造形の為、増設エリアは生野駅基台より4mm低くしてあります。 写真下部に見えているように、線路は全線に渡り2mm厚コルクマット上に敷設して、騒音防止を図っています。

線路敷設、ストラクチャ仮置きの姿です。 駅舎がハの字鉄骨の中央付近なので何とかなりそうだと、鉄骨処理の工夫後回しの見切り発車でした。 生野町はジオコレ中心に、KATO、GM、トミックス製の時代設定に合うストラクチャ主体で構成しています。 好みによりモディファイしていますが、大多数はウェザリングと小物を追加して照明を組込んだ状態です。 贔屓目に見ても人並みの工作力しか持たない筆者が、市販品活用で製作した街並み事例としてご笑覧ください。

生野駅前広場を北側から眺めた現在の風景です。 ローカル駅舎の階段をそのまま使い、一段高い場所に駅舎が建っています。 駅前は一方通行のロータリー広場になっており、タクシー乗場、ペーパーキット利用のバス停、バス待合所があります。 生野町では放置自転車や放置バイクが、まだ問題になっていません。 南側の鉄骨根元に駅前交番、1番線跨線橋裏手に造り酒屋倉庫を配置し、立木を植えてカムフラージュしていますが、隠し切れるものではありません。 撮影アングル工夫である程度誤魔化せるので、壁よりは余程良いと割り切っています。

夜景です。交差点の交番向かい角は劇場、その奥に映画館があります。

映画館はこの様な駅の近くで少し入った場所にあったものです。 クリント・イーストウッド主演のマカロニウェスタン「夕陽のガンマン」を上映中です。

生野駅降車専用出口から駅前広場への階段降り口からの眺めです。 右奥に見えている駅前ビルが、もう一方の鉄骨処理の工夫です。 駅前角地に似合い、隠蔽工作に使えそうなストラクチャとして選びました。

物流会社事務所兼倉庫の想定で、2セットを繋いで縦長ビルにし、肉厚を削いでピッタリ鉄骨を囲んでいます。 もっとも、屋根上空はなす術がなく、低い視線の風景に割り込んでこない事でヨシとしました。

駅前大通りから駅前広場を眺めた風景です。 駅前大通りは並木道になっており、広い道幅で歩道と植え込みがあり、商店が建ち並んでいます。 生野駅と峠温泉を結ぶ動輪マークシンボルを付けた国鉄バスが走っています。 駅前交差点は線路沿いに南北に走る道路、大通り、駅前広場一方通行出口の十字路になっており、交通信号機が設置されています。 点灯化手段が決まらぬまま放置した挙句、信頼性優先の安全確実な方法で製作しました。 しかし、人間目線で許容(老眼に限る)できても、カメラ目線では配線がリアリティを大いに損なっています。 作り直さなくてはと思いながら、ついつい後回しになっています・・・。 電気的には歩行者用を含めて6灯を3本直列2系統にし、推奨動作条件の10%(2mA)弱の電流で駆動しています。

夜景です、生野駅1番線に急行が停車中です。

駅舎出口から大通りを眺めた風景です、大通り突き当りは生野町役場です。 大通りは一方通行出口を直進できないので、右左折レーンに別れています。 駅前に行くには一旦左折し、駅前広場入口専用レーンから右折する形になります。

夜景です。 町役場は半分以上の窓に灯りがあり、多くの職員が残業中のようです。 右手前ビル3階は、駅前に必ず1軒はあった麻雀屋になっています。


これまで『我道を行く!』でレイアウト製作を進めてきましたが、『これからどう進む?』を考えたくなりブログを開設しました。 拙レイアウトに関する、ご感想ご意見などございましたら、ご遠慮なくコメントを頂戴できれば幸いです。


ではまた。