Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

生野駅の製作➎構内建物その1

今回は構内建物群についての紹介です。

【表紙画像】


5.構内建物群
生野に置かれてるのは機関支区と保線支区なので、本来は3-4棟の詰所で十分なのですが、枯れ木も山の賑わいと機関区並みに設置しました。


5-1.使用キット
生野にはKATOローカル駅舎とKATO木造機関庫を使ったので、建物外観の雰囲気を揃える為にKATO製品で統一しました。

【機関区施設セット】・・・製品紹介ページより
油庫を含め8棟の機関区施設セットです、当初計画はこれだけでしたが、笠松信号所建屋、峡谷鉄橋脇保線小屋にも使いたくて不足しました。

【構内建物セット】・・・製品紹介ページより
そこで構内建物セットを追加、右上平屋最大建物を笠松信号所建屋に使いました、長いほど勾配線路沿いホームとの対比が明確になるからです。


5-2.工作室
現在の自動車整備を例にすると、ASパーツ全てに番号付与され必要部品番号と新品/リビルト品を指定しオンライン注文すれば翌日には宅配便で届きます。 この様なインフラがない当時、可動部が多く高圧蒸気に晒される蒸機日常整備は非常に手間の掛かる作業でした。

【工作室 昼】
大規模な点検や改修は管理局工場で行われてましたが、補修作業は現場で現物合わせで職人技で何とかするのが国鉄文化だったと思います。 多く存在した機関庫付属建物の工作室を再現したかったのですが、ウデと相談して機関庫脇の別棟にしました。 中央出入口右工作室、左資材倉庫です。 車輪や溶接機補助ガスボンベ等、それらしい物を配置しました。

【工作室 夜】
構内建物を多くしたのは夜景の楽しみです、工作室が明るくなる様に照明しました。 使用光源は砲弾型LED+反射/拡散板で、長寿命化改修で2本直列使用に変更し電流6mAです。


5-3.乗務員休憩室
工作室の隣は乗務員休憩室、機関士/機関助士の仕業前後の待機場所で宿泊もできました。 動線を考えてこの位置を選びました。

【乗務員休憩室 昼】
生野駅勤務職員が使う事はまずなく、あくまで乗務員の施設です。 左の引き戸と右の扉2ヶ所の出入口があり、水飲み場を設置しました。 労使対立が激しかった時代なので、この建物内一部を動労(動力車労働組合)支部事務所が占拠してたと思われます。

【乗務員休憩室 夜】
使用光源/電流は工作室と同じです。 引き戸脇左端窓が便所の想定で光カットしただけで、1灯式の限界を感じさせる照明状態です。 建物前通路はヤード灯照明です。


5-4.燃料掛詰所
乗務員休憩室の隣は燃料掛詰所です、国鉄は縦割り組織で駅務/運転/保線等業務分担が明確になっており、DC運転士が燃料補給の仕事をする事はなかったと思います。

【燃料掛詰所と油庫 昼】
小振りな詰所に油庫を隣接配置し、それらしい小物を置きました。 電化されてなくても工作室使用機械やヤード灯は電気、それも商用100Vでなく200Vだったと思います、油庫脇にキュービクルを配置しました。

【燃料掛詰所と油庫 夜】
燃料掛詰所も砲弾型LED1灯式ですが、中央居室が明るく、間仕切りガラス戸越しに左右出入口に灯りが届いてる状態になりました。 ヤード灯改修で暗い部分がなくなりました。


5-5.機関区事務所
運転指令が在席し、仕業前後の点呼が行われるのが機関区事務所です。

【機関区事務所 昼】
少し大型の詰所で左右に2室あり、それぞれに出入口がある建物構造です。 ここに出入りする職員への告知掲示板と事務所横には構内連絡用自転車を置いてあります。

【機関区事務所 夜】
機関区事務室は中央出入口が明るく事務室が暗く、砲弾型LED1灯式照明が破綻してます、事務室各1灯の2灯式でないと自然な照明はできませんでしたが改修計画ありません。 KATO構内建物の照明には遮光が欠かせません、採用した遮光法について解説します。

窓の多い構内建物に厚手の遮光材を使うのは難しく、試してませんが窓部品入れる前の壁に黒塗装する方法があります。 ここでは窓部品装着壁全面にアルミ箔テープを貼り、窓部分を切除する方法で遮光しました。 遮光兼反射材ですが近接するとピカピカしてます。


5-6.機関区浴場
蒸機運転は煤と煙に晒される仕事、トンネル内窒息死亡事故が一度ならず発生してます。 機関助士は罐焚きが主任務で夏場は汗まみれ、勤務後の風呂は必須の福利厚生でした。

【機関区浴場 昼】
機関区事務所並びに給炭台と給水塔があり、その脇の通路が留置線入口を渡った場所に機関区浴場を設置しました。 4-5人で一杯になる湯舟と洗い場の小さな建物で、右妻面に焚口の差し掛け、湿気抜き小屋根のあるいかにもそれらしい外観のストラクチャです。

【機関区浴場 夜】
国鉄の職場規則は知りませんが、仕事を終えた風呂上りにベンチで飲むビールは旨かったと思います。 脱衣場は十分明るいのですが浴場が暗く、小さくても2灯が必要でした。


5-7.職員詰所
構内建物唯一の2階建てが職員詰所です。 名前が示す通り職員の執務/休憩室ですが、駅長など管理職は近付き難い雰囲気だったと思います。

【職員詰所 昼】
総2階建てで1階前後に引き戸出入口があります。 ベンチ/植込み/ゴミ箱を配置しました。 当時国鉄職員は41万人、労働組合は社会党右左派、共産党活動家が入って分裂し、組合活動を階級闘争と考えてました。 労使関係を決定的に破綻させたのがマル生運動です。 蒸機は2人でないと動かせない、DC1人乗務の合理化は組合員の職場を奪う暴挙の論理です。

国鉄給与を受けながら、国鉄業務を行わないだけでなく、思想活動や組織拡大活動に従事する組合専従職員が1万人前後居たと推定され、詰所2階の一角を組合事務所が占拠してる想定です。 当局は見て見ぬフリ、団体交渉を『団交』と言うのは国鉄労使関係が起源です。

【職員詰所 夜】
1階1灯、2階1灯の2灯式ですが、照明点灯/非点灯の部屋と光が漏れ出てる場所の区別が曖昧な失敗作です。 コントロールパネル前なので折りを見て改修したいと考えてます。


ではまた。

【臨時休刊】杉200本植えたユニット

身内に不幸があり週末実家の東京に出掛け、記事作成が間に合わなかったので休刊です。 とお知らせだけでは申し訳ないので雑談を少々。


緊急事態宣言解除後は秋の行楽シーズン、長野県内紅葉の名所にも都会から自粛疲れを癒す大勢の訪問客があり、『コロナ持ち込み感染拡大』が懸念されましたが大丈夫でした。

毎年11月に地区文化祭が開催され、絵画・写真・書・手芸品など数十点が出展され、公民館でお汁粉いただきながら地域の方と談笑するのが常でした。 昨年は中止、今年はコロナ沈静化し開催予定でしたが出展申し込みわずか7点で中止、未固定のコレ出展予定でした。

以前にも『わらぶき農家ユニット』出展した事があり、拙レイアウトは地区で存在を知る人が何人か居ます。 出展予定品は公民官報誌上展示の形になり、写真を提供しました。

年間計画ではこのユニット固定して風景製作進める予定でしたが、屋根裏が暑くて作業できなくなる時期まで着手できず、ならば文化祭出展と考えてたので少々空振り気分です。

昨年製作したこのユニットは俳句にも詠んでおり入選してます。


杉二百本植うるジオラマ秋深し  ロフト


ではまた。

生野駅の製作➍跨線橋

今回は3線駅生野のスパンが長い跨線橋製作についてです。

【表紙画像】


4.跨線橋
生野駅設計時点から跨線橋をどうするかが大きな課題でした。 100%自作は無理、キット改造前提にしても入手可能市販品は限られており、設計制約条件が多かったからです。


4-1.入手可能市販品
建設当時に昭和の跨線橋として使えるキットは以下3種でした。

【KATO】・・・製品紹介ページより
KATO跨線橋は高価ですが、塗装済みで組立指示書通り組めば完成のお手軽キットです。 ただし改造には向いてない構造で、白っぽい構造材も不自然で色変更必須でした。

【TOMIX】・・・製品紹介ページより
TOMIX跨線橋はKATOより好ましい外観で、若草色の塗色もポピュラーで気に入りましたが、次項の設計制約条件で非採用になりました。

【GM】・・・製品紹介ページより
GM跨線橋は安価で最も好ましい外観ですが、未塗装で組立が難しく慣れが必要です。 最終的に設計制約条件でGMになりました。


4-2.跨線橋設計制約条件
生野駅は駅端本線ポイントに6番を採用した為、2/3番線間に融雪溝のある変則的3線駅で、ホーム位置が決まってます。 跨線橋スパンは建築上制約条件や使い易さで決まり、市販品改造で可能かどうか全く不明でした。

3/4番線は島式ホームなので跨線橋昇降口はホーム中央が基本、オフセット事例があり、その場合は本線側通路が広いのが鉄則でした。 1番線は片面ホームなので昇降口を奥にして通路を広くするのが一般的でした。

【茅野駅2/3番線ホーム跨線橋昇降口】
最寄りの茅野駅に実地踏査に行きました、現在の入場券は¥150でした。 茅野駅ホームは隣の上諏訪より狭く、跨線橋昇降口3.0m幅、両側通路幅均等の1.8mで全幅6.6m、Nスケール44mmで生野駅とほぼ同じでした。

【茅野駅1番線ホーム跨線橋昇降口】
1番線跨線橋昇降口は3.6m幅で2/3番線より広く、通路は2.1mで全幅5.7m、Nスケール38mmはTOMIXホーム37mm幅とほぼ同じです。 50年前の茅野駅は平面駅で、写真撮影位置は改札を通って跨線橋へ向かう駅舎前でした、その後駅ビルが建設され橋上駅化されてます。


往時は1番線昇降口も3.0m幅で、現在壁の部分に柵が設置されており、人が通れるスペースがなかったハズで、改修時に拡幅したと思われます。 朝8時前に上諏訪/松本方面に向かう通勤通学普通列車発車時間帯には、このホームに大都会近郊の様に人が溢れかえります。

跨線橋のホーム上柱にはX型の補強材が取り付けられ地震対策を含めた建造物強度を高めてます。 ここは問題ないのですが、跨線部に特徴がありコレが設計制約条件になります。

図面で説明します、市販品3種は複線用で、全て跨線部が6区画に分割され構造補強斜材が赤色で示した様に取り付けられてます。 従って3線用跨線橋は6区画を8または10区画に延長する必要があり、9や11は有り得ず、寸法合わせの0.5区画の様な調整もできません。


製品サイズと写真から跨線部区画幅を割り出して計算した処、ファイントラック用TOMIXは8区画で短く10区画で長過ぎてNG、GMの10区画改造で目標寸法よりわずかに長いスパンになると解りました。


4-3.跨線橋製作と配置検討
GM跨線橋キット2組を購入し現物で寸法確認すると、推定値より若干長い事が解りましたが他に選択肢はなく、オリジナル中央6区画に左右各2区画延長改造を行い完成させました。

側壁塗色はお気に入りの若草色、骨組み構造材はライトグレー、屋根はホーム上屋に合わせました。 10区画長スパンの跨線橋は実に堂々としてて大いに気に入りました。

ここでもとりあえず明るくなればOKの初期製作品欠点が出てます、照明は跨線部屋根に2連1608テープLEDx2の4灯、スパン固定で中央が少し暗くなってます。 昇降階段各1、跨線部2セットの3連テープLED12灯で輝度を落とし、均質な配光特性にすべきでした。

 

KATOローカル駅舎組立指示書の降車専用改札口位置で跨線橋仮置きした様子見写真です。 3/4番線降車乗客が駅舎改札口へ行く動線をショートカットするのが降車専用改札口の役割だからです。 跨線橋が機関庫と同じ下り方では構内風景バランスが悪くなりました。

特に夜景では大物ストラクチャが下り方集中でアンバランス、それに駅舎改札口と降車専用改札口が隣り合う配置は設置目的を果たさないので、便所/梃子小屋と逆転しました。

検討を経て最終決定した設計図です。 1番線昇降口を目一杯柵に寄せても3/4番線昇降口をホーム中央にする事ができず、約1.5mmオフセットし本線3番線通路が広くなってます。


4-4.跨線橋のある風景
それでは最後に跨線橋お気に入り写真集です、昼景からです。

旅先のどこかで見た風景、上り急行『ろふと』が生野駅発車の図です。

2番線で貨物列車が待避し、後続普通列車が到着しました。

夕闇迫る生野駅構内です。

日の当たる角度で跨線橋の表情も変化します。

結果的に急行1等車停車位置が跨線橋昇降口になりました。

普段は見れない好きな角度の夜景です、3/4番線ホームは◎の良い雰囲気、跨線橋はアラが目立ってしまいます。 LED設置位置が解り光漏れも、1灯球切れに見えますね。

通常鑑賞方向ならアラは目立ちません、昇降階段光量不足が少し気になる程度です。


ではまた。