鉄の履歴書-13 高校の部活
世は高度成長学歴社会、受験戦争の申し子と呼ばれた団塊世代がレイアウト熱に感染すればどうなるかは自明の理、成績は右肩下がり両親と約束した両立はできませんでした。 それでも何とか公立進学校へ潜り込み、花の高校生活スタートとなりました。
入学早々部活選び、鉄研か鉄道模型同好会があれば即決でしたがありません。 研究旅行名目であちこち行けるという、鉄ちゃん部長の勧誘に釣られて地理部に入部しました。 夏休み研究旅行、学割均一周遊券利用の山陰一周の旅を非常に楽しみにしていましたが、豪雨で不通になった山陰本線の復旧見通しが立たず、中止になりがっかりしました。
【跨線橋下の南中学校】
高校進学後にレイアウト熱は昂進し、シノハラ製プラ枕木レールやポイントを買い集め、真鍮製キハ20車体を入手して、塗装や駆動系製作をして完成させました。 自室四畳半鴨居上空間を建設予定地に、線路配置プランを何枚も書き貯めました。 プランには必ず跨線橋のある駅とスイッチバック信号所がありました、露太本線の原点です。
春の研究旅行の際、小海線清里駅改札口からホームへ向かう踏切線路上で部長さん(右)との記念撮影です。 新宿発23:45鈍行で小淵沢、小海線一番列車で清里へ、美しの森を往復し、国鉄最高地点野辺山へ行ってその日に東京へ帰る、夜行日帰り日程でした。
ではまた。