Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

感謝!感謝!の100万アクセス到達

一昨日6月3日、拙ブログ開設以来4年半で100万アクセスに到達しました、読者の皆様のご愛読とご支援に深く感謝申し上げます、ありがとうございました。

【諏訪市HP画像より】
従来線建設時にブログ記事を参考にさせていただきましたが、自分がブログ開設する意思は全くありませんでした。 仲間内に建設記を発信し8割方完成時に以前から計画してた動画を製作して配信した処大好評、おだてに乗りYouTubeで公開しました。

【6/3 18:00 拙ブログアクセスカウンタ】
ところが悲しいほどサッパリ再生回数が伸びません。 これは露太本線の存在が知られてないからだと考え、YouTube動画宣伝を目的にしたブログ開設がキッカケでした。


開設後すぐ情報発信媒体パワーの大きさに気付きました、2ヶ月半で1万、1年余で10万、ランキング上位に入って止められなくなりここまで来たのが実情です。 久しく見てないYouTube再生回数確認したら5万回弱、ブログの力は絶大です。

【100万アクセスへの道程】
義務でもない更新苦しんで続けたり、直言癖が災いし迷惑行為で弁護士のお世話になったり、ランキング問題指摘で公開停止処分受けたりと色々ありましたが、読者の皆様に支えられ通過点でありながら目標でもあった100万アクセスを迎えました。

【最近の月間アクセス数推移】
到達は今月下旬から7月上旬と思ってましたが、一時落ち込んだアクセスが回復再増加、最近3ヶ月連続3万アクセス到達、5月は月間レコードを記録しました。 なお更新頻度がアクセス数に関係しない事は双方向で確認済みです。


筆者は今年70歳になりました、いつまで続けられる物ではないと自覚してますが、何か目標がないと張り合いがないのも事実です。 次は更新1,000回を目標にボチボチ進めたいと思いますので、今後共よろしくお願いいたします。(今回803回目)


◆長野県のチアアップ花火プロジェクト
各地の花火大会中止が発表されてます、諏訪でも50万人の観客を集める8/15の湖上花火大会並びに同規模に成長した9月の新作花火大会中止が決定してます。

【6/1諏訪湖】・・・信濃毎日新聞より
全国各地花火師有志の方が企画されたこのイベントは諏訪湖でも20時頃実施され、音がわずかに聞こえました。 スポンサー/事前告知なしの100%花火師さんの持ち出しです、打ち上げ数は少なくとも、自分達ができる事で元気づける心意気が嬉しいですね。


◆未公開建設中画像:生野市街ユニット
100万アクセス記念企画には役不足ですが、未公開従来線画像を少々、先日生野市街北ユニット画像を掲載しましたが、今回は撮影不能な南ユニット画像です。

【南ユニット正面 昼】
駅前大通り沿い4軒の商店と映画館、そして歩道/街灯/樹木類を一体化したユニットです、使用建物は建コレ、旅館流用和菓子屋/果物屋/映画館は室内造作しましたが、見えるカメラアングルはほとんどありません。

【南ユニット正面 夜】
夜景です、初期の製作なので映画館のみ2灯式、他は1灯式です。 現在ある歩道植込みは、完成後撮影で殺風景さ改善の為、追加しました。

【南ユニット裏面 昼】
見えないと解っていても手を抜けない性分、自分に嘘はつけません。 設置固定前に様々なアングルで撮影するのだったと思っても後の祭りです。

【南ユニット裏面 夜】
裏面も遮光、明るさバランス、厨房照明色味までこだわってます、無駄な努力だとは思いません、自己満足に過ぎなくてもやった感が違います。

映画館裏空地は子供達の三角ベース野球遊び場でしたが、折からの急速な自家用車普及で駐車場化された想定です。 ドラえもんに出てくるドカンが置かれた空地で、何故空地にドカンがあったのか?、未だに謎です。

街灯は白熱灯で数も少なく、1歩脇へ入れば闇が広がってました。 道に落ちてる硬貨が見えるほど青白く冷たいLEDが煌々と照らす現在と昭和の街は全く異質でした。

建物間には網目の様に路地が通っており、夕時になれば裏口から七輪を持ち出し魚を焼くおかみさんの姿などはありふれた日常風景でした。 話が年寄臭くなったこの辺りで切り上げるとしましょう。


ではまた。

キハの記憶

東京で生まれ育った筆者幼時は身近に蒸機やDCを見る機会がなく、TMSに出会う中学生になるまでは鉄道好き=電車好きでした。 それでも蒸機は母の帰省旅行同行の際に東武のネルソン、谷津遊園や稲毛海水浴の際に両国や新小岩で見かけた記憶があります。

【東武のネルソン TMS1963年10月号より】
一方DC(当時ジーゼルカー表記だった様な)は上野/新宿のターミナル駅か、八王子、茅ケ崎でなくては見る事ができず、初対面が初乗車体験になりました。

【10系DC ウィキペディアより】
1961年夏でした、所属ボーイスカウトキャンプ地が外房、国電で千葉まで行き乗換えました。 始めて見たDCはバスみたいな窓の形で、後に10系気動車と知りました。 曽我で蒸機列車と交換、当時配置表によると8620かC58、まだ形式名知識もない頃です。

【ウィキペディアより】・・・こっちの方が雰囲気あります。
外房線は最大勾配15‰程度と思いますが、騒音が大きく遅い印象しか残ってません。 一人旅を許された1965年以降お世話になったのは圧倒的に20系と58系、生き残り10系と20系の凸凹編成の場合は迷わず20系へ、10系の狭く低く安っぽい青ビニールシート座り心地は最低でした。 初体験DCなのに印象が悪く10系は当社に在籍してません。

【58系DC ウィキペディアより】
生涯乗車距離No.1は58系、ヨンサントウ大改正で急行大増発、均一周遊券で利用できたからです。 在籍数の少ない55系にも行き会いましたが58系のスマートさには適わないと思ってました。 特別な列車だった82系は憧れで、初乗車は1968年北海道でした。

【20系DC ウィキペディアより】
同時代には登場直後の35系もありましたが、粗製乱造の薄っぺらに見え全く興味を持てませんでした。 一方20系に替わり令和まで国鉄/JRローカル線主役を務めた40系は、就職し長く鉄道から離れた直後の登場で馴染みが薄いです。 そんな中、乗車経験はなくとも現役時代を見た旧式DCがあります。

【キハ07 ウィキペディアより】
キハ’07です、見たのは1963年夏、清里林間学校へ向かうバスの中からで、中央本線塩崎-韮崎間の国鉄と旧国道20号塩川鉄橋が並んだ場所でした。 当時甲府以遠は非電化単線、新宿/塩山-甲府間70系電車接続で、時刻表列車番号4桁D甲府-韮崎間区間列車がキハ07単行で7-8往復/日運行されてたのです。

【当時読み耽ったTMSや特集シリーズ】
すでにTMSで勉強してたのでキハ07とすぐ解り、バスを追越し韮崎スイッチバック登り勾配を軽快に走り去る姿を見送りました。 翌年8月に電化完成、年末特急あずさ運転開始、電化で廃車されたとしたら国鉄最晩年の姿を見た事になります。

【ウィキペディアより】・・・33‰線区運用実績ありとはビックリ!
そこで調べて見ると1964年から廃車本格化とあり、私鉄払い下げか廃車いずれかの道を辿った様です。 10系以前世代のキハであり国鉄時代を知る人は少ないと思います。 その後2両が関東鉄道に譲渡され様々な改装を受け、廃線の2003年まで鉾田線で使われたのでその姿を知る方は多いかもしれません、車齢71年は長寿記録だそうです。

【ウィキペディアより】・・・山陰本線、1954年頃
こんな資料写真も掲載されてました、統括制御機能がないこの形式の連結運転時は各車に運転士乗務しブザー合図で協調運転、気笛合図蒸機重連と同じ方法が取られてました。 時間がゆっくり流れ、日本がグンと広かった古き良き時代の昔話で失礼しました。


ではまた。

河岸段丘ユニットの製作③

河岸段丘ユニットは仕上げに入ります。 植樹に関しては従来線風景製作経験に基づき、『遠くを小さく手前は大きく』『遠くを密に手前は疎に』の原則に従い、遠近感を演出する工夫をしました。 また従来線は嫁さんに晩秋に見えないと言われてましたので、『しっかり紅葉』させる事にしました。

まず最後列に樹木もどきを並べて接着します、背景画と接する場所なので裏は平面です、この場所には遠くを小さくの原則を適用してません。

樹木もどきの前に幹なし小型樹木、幹付き小型樹木を接着します。 隙間を小さく密に、樹木間草むらはわずかです、まだボンドが乾いてません。 最後列樹木もどき延長部は近景なので次第に大きくしてあります。

小型/中型、針葉樹/広葉樹を織り交ぜ中型を増やし、草むらや灌木で樹木間隔を広げながら植樹を続けます。 紅葉全山真っ赤は名所に限った事で植林針葉樹は変化なし、里山雑木林はチラホラ混じるのが普通です。 紅葉作業は別途追加します。

新聞紙貼り重ねでプラスタークロス網目は解決しましたが、困った問題が発生しました、御覧の様に岩壁が全くそれらしく見えないのです。 塗装の問題ではなく表面質感、照明当てるとギラッと反射する状態をそれらしく改善しなくてはなりません。

第一段階としてわらぶき農家屋根に使った方法、リアルサンドでザラザラした岩肌感表現をします。 ブラウン2/ナチュラル1の混合比、着色目的でないので艶消しクリアトップコートと溶剤1:1で溶き全体に塗りました、ザラザラした質感になりました。

第二段階はリアルサンド混合砂に約半分のカントリーグラス、スパイスにすり潰したコーヒー滓を加え、定着性を良くする為、塗料・溶剤を使わずボンド水を加えてペースト状にした物を塗ると言うより擦り付けました。

トンネル出口部はこの処理で止めてあるので良く解ります。 第二段階を意図的に横塗りしたので岩盤層の様に見えます、リアルサンドが岩肌質感、カントリーグラスが岩の窪みに生えた草、コーヒー滓が岩クズの表現になり、イメージに近い風景になりました。

手持ち10種類以上の植物素材総動員の風景製作、途中経過写真撮影も忘れて熱中、3日掛かりの植樹になりました。 近景用独立樹も追加製作しました。

さて使い物にならなかった背景写真の検討です、車で1時間の場所なので撮影行は簡単ですが、どんな写真必要か解りません、ドローン空中撮影無理ですから。 右が急激に下がってたので元画を16分割し、この様に加工しました。 

それを岩稜角度合わせで2度回転してトリミング、川下水面重ねた画像作成しました。 ここに辿り着くまで十数枚の試行錯誤でした。

L版フォトマット紙にプリントアウトし切り抜きました、少々色補正が行き過ぎた様です、酷い画質ですが地上撮影写真が使えるかどうかの検証が目的です。

どうでしょうか?、段丘崖、段丘上樹木共に繋がって見え、手前に川はありませんが川下の流れに見えませんか?。 筆者評価は合格、地上から段丘崖を見上げた原画で実感的な背景写真作成可能と確認できました。

トンネル取付部処理は先になりますが、河岸段丘ユニットの風景製作が完了しました。 紅葉はやり過ぎないこの程度で十分晩秋らしく見えると思います。

航空写真を1枚、設置後は絶対見れません、遠く(右)が小さく密に、近く(左)が大きく疎にしたのが解るアングルです。

トンネル入口上部は草原状にしてあり、後日植樹も可能です。
目立つ場所の紅葉密度を高めてます、草むらや広葉樹も少し色付けてます、この周辺はレイアウト植物素材博覧会の様相です。
紅葉色付けはマスキングテープ法で出番を失ったLED色差し用クリアイエローとクリアオレンジ、後者は保管箱の中で倒れ液漏れしてました。
舞台裏です、背中がフラットな樹木もどきが並んでます。

試作背景写真/県道トンネルと共に定位置セット、ユニットと背景写真/基台境界をフォーリッジクラスター片で演出し、カーブ鉄橋上空位置から風景確認しました。 問題なく連続してます、これ以上見下ろすアングルありません、天井に頭ぶつけます(笑)

通常アングルからの風景です、トンネル入口からユニット端まで360mm、実寸換算54mです。 筆者には100m以上、背景写真含め数百m先へ空間の広がりが感じられるのですがいかがでしょうか?。 河岸段丘ユニットはひとまず完成、固定は先になります。


ではまた。