Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

駅をレイアウトする その2

職場ルール遵守が徹底してる現在は、カメラ片手に『関係者以外立入禁止』の電車区を訪問し『写真撮らせてください』と声を掛けても、『良いよ、でも線路横断時は指差確認忘れずにね』何て返事は有り得ません。

【中山平駅】
機関区や庫内の様子に興味あってもホームや跨線橋から遠望するだけでした。 心臓に毛の生えた同世代撮り鉄さんブログを拝見すると、国鉄時代は全てに鷹揚で冒頭の様な返事が返ってきた様です、惜しい事しました。


7.機関庫
機関庫を『機関車の為に駅にある施設』と広義に捉え、給水タンク・給炭台・転車台・機関庫の組み合わせ類型を解説されてます。

◆給水タンク
蒸機は20-30km毎に給水が必要で停車中の給水作業を良く見ました。 記事にある様に給水施設だけの駅もあり、これを機関庫と呼ぶには少々抵抗があります。 給水タンクは短時間に大量の水を供給する為に圧をかける揚水タンクです、出口がなければ役に立ちません。

生野駅は峠越え基地の機関支区が置かれてる想定で給水タンク・給炭台・機関庫・詰所群の施設があります。 給水タンクは貯水だけ直出し口なしタイプで、給炭/給水を同時に行える位置にスポートを設置してます。

停車中に給水する為に上り本線3番線機関車停止位置にもスポートがあります。 アームの首振ってホース接続し、梯子を登って頂部バルブ開閉で給水するタイプです。 部品販売されてなかったので自作しました。

当然峠越えに向かう下り本線1番線にもスポートがあります、駅構内地下に配管されてるのです。 本来なら2番線貨物列車本務機用スポート、または給水栓とホースが設置されてるハズですが省略しました。 Nレイアウトにスポート設置事例が少ないのは不思議です。


◆給炭台
給炭は水より補給頻度が低く、蒸機形式や勾配により変わると思いますが60-100km毎だった様です。 停車中給炭はできないので、給炭台は機関区・機関支区・駐泊所施設ですが、短距離支線終着駅や補機折返し駅駐泊所には給炭の必要がなくない場合もありました。


◆転車台
転車台設置レイアウトでは扇形庫がセットの様に扱われてますが、それは機関区の話で、転車台出入口線路1本も珍しくありませんでした。

【TMS1963年4月号より転載】
K氏がTMSに紹介した柘植機関支区転車台も1線式で、ここには機関庫がありません、給水給炭は別にしてその他の施設有無は場所場所で異なってた様です。 機関区立入経験がないので、当社生野の様に転車台のない機関支区があったかどうか定かではありません。


転車台を備えた駐泊所もありました。 54年前ですが、奥羽本線山形秋田県境雄勝峠越え補機折返し駅院内の駐泊所に1線式転車台があったのを車窓から見た記憶があります。


◆機関庫
蒸機時代の扇形庫を見た経験は木曽福島くらいです、機関区への執着が薄かったのに加え、扇形庫を持つ機関区は駅の奥まった場所にあり、車窓やホームから目に触れる機会が少なかったからだと思います。

良く目にしたのは生野の様に駅出口付近の本線と平行に配置された機関庫で、大屋根一部が張り出し工作室になってるタイプを再現したかったのですが、KATO木造機関庫を改造する自信がなくそのまま設置してます。

【ストラクチャ製品紹介ページより】
良く利用した中央本線の八王子機関区には、50年前このタイプの3線機関庫がホームから見え、八高線蒸機が憩ってた姿を思い出します。 


8.分岐点
記事中にK氏は『実物の鉄道では線路の分岐は必ず駅または信号所で行われる、普通見られるレイアウトの様に山の中、野原の真ん中で分岐する事はない』と書かれてます。 限定スペースで運転楽しむレイアウトでこの原則守るのは非常に困難ですが当社は守ってます。

◆分岐駅
山陽/山陰本線幡生駅の様な始発駅でない分岐駅は単純線形になると解説されてます。

奥羽本線と仙山線が分岐する北山形も幡生タイプの駅で、54年前は上記線形でした。 電化された仙山線が本線で非電化奥羽本線が支線の様に見えると面白く感じました。


始発分岐駅では橋を渡って△番線タイプと本線ホーム先に間借りするタイプに分類できると解説されてます。 確かに大幹線から分岐するローカル線に間借りタイプを良く見ましたが、京都駅0番線の山陰本線ホームを始めて見た時は驚かされました。


◆信号所
ポイント1個の分岐でも安全側線設置して信号所にすれば実感的だと解説されてます。

【中央本線歴史年表 ウィキペディアより】
中央本線の歴史を調べると数多くの信号所が開設・廃止されてます。 1964-1967年3年間で5件、自宅近くの木船信号所は開設から廃止まで10ヶ月です。 当時進んでた複線化工事で、駅間まで複線化して供用開始するには分岐点を信号所にする必要があったからです。


中央本線には複線化できなかった区間があります。 茅野-上諏訪間普門寺信号所から岡谷までの諏訪湖を周回する家が建て込んだ区間です。

【普門寺信号所下り方より】
信号所と言っても遠隔操作、建屋もなければ人も居ず、看板さえありません。 数十年前に計画着手した国道20号線バイパス建設(左の山をトンネル通過)が始まったばかりで、高架化さえできず、中央本線との平面交差踏切が2ヶ所残るほど用地確保が難しい土地です。

【普門寺信号所上り方より】
単線区間として運転密度が非常に高く、一旦ダイヤが混乱すると回復に時間が掛ります。 ここを30-60分毎の上下あずさが通過します、制限75km/hなので乗車中に減速感はほとんど感じません。 今回記事の現地踏査で安全側線が撤去されてるのに気付きました。

【普門寺信号所安全側線痕跡】
民営化とATS/ATC等安全システム進化で基準が変更され安全側線設置義務がなくなった様です、取り外された安全側線フログは乗り越し型でなく通常型でした。 この事例からすると現代JR線想定レイアウトは「山の中」「野原の真ん中」ポイントOKになりますね(笑)


【付録:露太本線のスポート】
筆者工作が参考になるか解りませんが、自作品写真掲載したので製作法を紹介します、資料調査なしの記憶頼り製作で雰囲気重視ですが、十分それらしく見えると気に入ってます。

骨格はキット成形部品ライナーです、スポートには太めが必要でKATOローカル駅舎のライナーを使用しました。 ここでは説明用にアクセサリー目的で購入し、建物使用予定がないKATO貨物ホームセットを使います。

図の様に太いライナーを3ヶ所カットするとスポートの骨格ができます、次回倉元駅用製作の際は十字クロス部を使い給水アーム反対側の短い腕にバランスウェイト付けてよりそれらしくしようと考えてます。

給水アームに熱収縮チューブを被せアーム先端部を90度に曲げて過熱し形状固定します。 頂部に小ネジを植え込んでバルブにします。 頂部からアーム先端にKATOキット付属街灯の段付き部分を切断接着して支持棒を表現し、足元にゼブラシールを貼りました。

前写真裏側になる梯子は、使用しなかったKATO腕木式信号機の梯子を流用してます、簡単に作れる蒸機時代ローカル線ホーム端の雰囲気を盛り上げる小物としてお薦めです。

先日D51ナメクジ発注時に入手したKATOスポートがどんな物か確認しました、2タイプ入ってます。 Aは生野駅2番線に追加設置可能ですがレールクリーニング時に折りそう、倉元駅は2基必要でバランスウェイトなしB使うか自作するか後で考えます。[続く]


ではまた。

×

非ログインユーザーとして返信する