Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

保存蒸機を訪ねて⑥凸電とD51

折りを見て続けてる長野県内保存蒸気巡り、残り2回で制覇の計画を立て、今回は中信を見て回りました。 御代田、坂城、更埴、麻積のD51と、行きがけの駄賃に丸子の凸電、姨捨のスイッチバックに寄る計画です。 2回に別けて紹介します。

自宅から白樺湖を越え大門街道を北へ、1時間半ほどで丸子町に着きます。 国道沿いに昭和44年に廃止された上田丸子電鉄丸子線の凸電ED251が保存されています。 小さな車体ですが軌間は1067mm、ナローではありません。

牽引力3.1t、速度20.7km/hといかにも昭和前期の地方私鉄を思わせます。

保線用モーターカーを一回り大きくしたスタイル、1灯式尾灯がローカルっぽいです。 
ここから軽井沢方面、D51 787保存場所の御代田町交通記念館へ向かいました。

交通記念館という立派な名前と裏腹に到着したのはココ、建物はなく道路から一段下がった場所に金網に囲まれた保存蒸機が置かれていました。

装飾過多な保存蒸機が多い中、現役時代に近い姿です。 配置表によれば787号機は水戸に11年、木曽福島に17年、長く木曽谷で活躍し昭和46年4月廃車されました。 信越本線に馴染みは薄かったと思いますがここに保存されています。

異形ドームが特徴で保存状態も良好です。 でも何か雰囲気が違います、金網の向こうで近付く事もできない中途半端に広いスペース、段差の地形、下に見えるオイル缶は清掃・整備用具入れでしょうか?。

予感がありウィキペディアで御代田駅をググると『旧国鉄時代には単線でスイッチバック駅だったが、信越本線の複線電化により現在の場所にホームと駅舎が移動し、スイッチバックは廃止された。』とありました。 軽井沢-長野電化は昭和38年6月です。

で、調べると場所を特定ができる写真発見、御代田駅スイッチバック跡地です。 右手にD51 787の文字が見え、すでに静態保存されてます。 複線電化から少なくとも8年後、現在の初狩駅の様に廃止後も長くスイッチバック施設が残されていた事になります。

かつてこの建屋右にレールが伸びて手前に旧御代田駅があり、蒸機保存場所だけが残ったと考えると、地形と建屋の独自性に納得できます。
御代田を後に長野方面、小諸・上田を過ぎ坂城町へ向かいました。

坂城町の保存蒸機は信越本線(現しなの鉄道)、国道北側山の手にある公共施設児童公園内にありました、重油併燃装置、集煙装置付きです。

説明看板に履歴が記載されています。 D51 245号機は県内上諏訪機関区在籍歴があり、晩年は中津川機関区に在籍し中央西線、篠の井線で活躍しました。 保存開始44年目の今年3月改修とあり、保存状態良好、綺麗な看板も納得です。

頭が重い重装備のD51、これも良く見かけた姿です。

キャブ内も原状を留めて保存されています。

いいなあ~走り去る蒸機の後ろ姿アングル、半世紀前の記憶がよみがえります。
更に西へ、3両目の保存場所更埴市市民体育館へ向かいました。

更埴市民体育館は改装工事中、高いフェンスが張り巡らされ関係者以外立入禁止、敷地内に静態保存されたD51 1001の状態を窺う術もありません。 ならば次回予定篠の井まで足を伸ばそうかと考えましたが、時間制約もあり姨捨駅へ向かいました。[続く]


ではまた。

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