Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

TMS買物帖 国鉄客車

今回はTMS1967年10月号に掲載された国鉄客車の『TMS買物帖』、当時市販されてた16番客車の完成品・車体完成品・車体ペーパーキットが網羅されてます。 どんな客車がどのメーカーから幾らで販売されてたか、タイムスリップ感を味わっていただければ幸いです。

新幹線開業3年目、電化が進み優等列車が次々と電車化・気動車化されてましたが、寝台車併結長距離特急・急行は全て客車列車でした。 鉄道模型マニアは誰しも若い頃への郷愁があり客車需要が高かったと思います、青大将特急『つばめ』がつい10年前の時代です。

とは言え明治の古典客車に郷愁を感じるマニアは居ませんでしたが、トビーは自社製6200型蒸機牽引用に販売してました、かなり高価です。 資料も少なく■■鉄道▲▲型のスケールモデルではありません。 1990年代に家族で明治村へ行った際、園内を走る古典復刻鉄道でこのタイプの客車に乗車しましたが、ジョイント部突き上げ振動が酷い乗り心地でした。

カワイは自社製60型タンクロコ牽引用に販売、貨車が¥300前後でしたからやはり高価です。 カツミは自社製1号機関車用古典客車を販売休止中、再販予定があったそうです。 R300前後カーブの小型レイアウトで実際に使われている写真を見た記憶があります。

古典客車は完成品のみですが、他は様々な形態で販売されており凡例が示されてます、つぼみ堂はブリキ製車体の製品を販売してました。


★マツモト模型
この後京都マツモト模型製ペーパー車体完成品が多数紹介されてます。 創業者であり傑出したモデラーであった松本正二氏の作品です。

大正時代を代表する木造17m級客車群の車体完成品です、解説にある8620が牽く急行列車に似合う編成が可能で、当時50代以上の方には懐かしい客車だったと推定されます。

大正末から昭和初期にかけての特急列車用木造20m級3軸ボギー台車の客車群で、牽引機はC51がはまり役です。 明治末から昭和初期の客車はマツモト模型のみの製品化です。

国鉄初の鋼製客車オハ31系は、KATOが最初のNモデルでC50と共に発売した事でご存じの方が多いと思います。 製品リストにありませんが、実車は寝台車や食堂車も生産されており、急行列車に使われてた様です。

このスハ32系でようやく筆者のカバレージに入ってきます。 展望車だけで3形式、ダブルルーフとシングルルーフがあり形式により台車は2軸と3軸に別れます。 昭和初期はC51、C53、EF53牽引特急・急行でしたが、筆者が知るのは混成旧客列車の一員としてです。

以前拙ブログで紹介しましたが中学修学旅行でマツモト模型スハ32を買いました、1964年9月の事で、当時¥1,300でしたから東京五輪後のインフレで14%値上がりしてます。 現在も販売されており¥18,000、平均物価上昇率より高価なのは手工芸品だからです。


★小高模型
小高模型が多形式の客車・電車・気動車の車体ペーパーキットを発売してました。 安価で比較的簡単に製作できるので人気が高かった製品です。

材質はプレスボードと呼ばれる茶色の硬質紙で、現在のペーパークラフト紙の倍程度、約0.5mm厚の素材でした。 側板・妻板・妻板台紙・デッキ/客室仕切り板とシル・ヘッダー類がセットになってました。 木製屋根・床板で付属の角材で接着する車体構造です。

オハ35系は43系・61系と共に現在『旧客』と呼ばれる国鉄客車の中心的存在で、普通列車にも急行列車にも使われました。 スロハ32は国鉄の考え方を示す車種で、普通列車でも客車列車には1等車併結、5両前後で運転する線区(例:豊肥本線)で使われてた車両です。

オハ61系は木造客車を種車に鋼体化改造した戦後輸送力増強の申し子で、シートピッチを狭くしてオハ35系より座席数を増やしてます。 小高模型のペーパーキットはなく、つぼみ堂・宮沢模型・カワイの3社が製品化してます、廉価なつぼみ堂はブリキ製でした。

スハ43系は急行列車普通座席車として次のナハ10系と共に使われてました。 幹線普通列車に混じる事もありスハ43系なら大当たりでした。 車内設備・乗り心地(台車)で、スハ43系>オハ35系>オハ61系の運用が行われてた様です。 これも3社が製品化してました。

スハ44系は20系登場前の特急専用客車で、片側出入口、進行方向2人掛けシートの客車です、特急『つばめ』『はと』に使用され、展望車含めた進行方向固定で3線回し方向転換が必要でした。 これもオハ61系・スハ43系と同じ3社が製品化してました。

軽量客車と呼称されたナハ10系です、ここでは天賞堂製しか紹介されてません。 確か鉄道模型社も少し安価で出来もそれなりのナハ10系を販売してたと思いますが、この時点では生産休止されてた様です。

天賞堂製品は品質が高いが値段も高いが定評で、他社の2-3割高い価格設定でした。 筆者はオシ17を所有してましたが使う当てもなく、いずれゴミとして捨てられる運命だったので昨年知人に依頼し、マツモト模型スハ43と共にネットオークションで売却しました。

この時代の最新型客車ブルトレ20系です。 解説にある様に20系14形式がカツミ完成品と小高模型ペーパーキットで22種類も販売されてました。 複雑形状のナハフやカニの前面は真鍮プレスの別部品になっており、別車種の倍近く、カニは非常に高価格でした。

カツミの20系客車は良くできたモデルで、KATOがEF70に続いて発売した20系客車が16番とNとの差を歴然とさせてました。 しかし現在のNゲージ24系客車は当時のカツミ16番20系を超えてる様に感じます。


ではまた。

倉元駐泊所ユニット小工作と設計➊

まずは仕掛中の灰置場を完成させます。

中身カラッポの外形だけ完成した状態で間が空いたのは、積み上げられた灰の素材と表現方法が決まってなかったからです。

【過去記事より転載】
従来線生野駅左砂置場はリアルサンドを積み、グレー着色ボンド水固着で、少し粒が大きいですが70点のデキでした。 右灰置場は差を付け様と古タオルウェスを小さく畳んでリアルサンドを撒きライトグレー着色ボンド水固着ですが、今一つ気に入らない50点でした。

倉元駐泊所砂置場の下地に生野駅給炭台の石炭に使ったlコーヒー滓を使う事にし、天日乾燥させました。

コーヒー滓を7分目ほど積みボンド水固着しました、さて表面仕上げ材を何にするかです。 小学校時代の教室暖房は石炭ストーブでした、石炭燃え滓は不揃いで灰の中に1cm程度の石炭ガラが混じってました、でも1cmは0.07mmで相当細かくなければらしくなりません。

詰所横に追加したストーブ用石炭置場はコーヒー滓製で、サイズが多少バラツキ角があるので石炭に最適です。 『リアルサンドより細かく、パウダーほど均一でない素材がないかな』と一服しながら考えててハッと気付きました、タバコの灰が無着色で使えそうです。

タバコの葉の灰と紙巻部分の灰を鉛筆の背で潰すと、微妙な色が混じった細かいけれど均一ではない粉末ができました。 コレを折り取ったカッター刃に掬ってコーヒー滓の上に積み上げボンド水固着すると、着色では出せない灰の雰囲気があるこんな状態になりました。

通常鑑賞方向の倉元駅ホーム側から見るとこんな感じです。 多少の凸凹や隙間は古枕木製らしい味の内と合格にしました。

帯板含めた寸法計測すると14.7mm、15.5mmの予備枕木と並べるのに丁度良い寸法です。 次は最後の構成パーツアシュピット、全体設計しないと位置とサイズが決まりません。

右側ユニトラック車止レールとピットレール、左側Pecoコード55の直線に機関庫、詰所、給水塔がこの様に並びます。 機関庫奥は切欠きできますが、赤丸部で引込線干渉の可能性が高く寸法未定なので、ベースを長方形とし機関庫奥は地表製作せずベースを残します。


アシュピットはおおよそこの位置で全長約62mm、D51やC12給水中にアシュパンから灰を落とせる位置に設置します。 ユニット奥行92mmは両側条件から確定で、長さ380mmは+側に余裕があります。

概設計図に従い機関庫・給水塔・アシュピット及び給水中のD51を置き、横から見るとこの位置関係になります。 灰を排出中の蒸機を観察した経験がないので自信ありませんが、アシュパンは火室の下にあるハズなので矛盾しないと思います。

Pecoコード55レール内側を犬釘を避けて枕木カットしました。 アシュピット幅を決める為です。 ノギスで切断部長さ計測すると5.7-5.8mm、写真撮影はできませんでした。

5mmプラ角棒を当てると明確なガタが出るので、アシュピット外寸幅は5.0mmでは小さく、5.5mmで製作すれば良さそうです。

枕木13本カットすると14スパン内側が62mm弱なので、アシュピット全長目標に合います。 切断してから正確に再計測し長さを決めます。

アシュピット側壁に0.5tプラ板を使うので内幅4.5mmです。 底に1.2tプラ板を使い深さを50cmにしたいのでスケール3.3mm、従って4.5mm側壁材を底に貼ります。 アシュピット上部を枕木天面に合わせ枕木底面で接着固定、線路から吊り下げた形になります。


アシュピットは灰の一時仮置場なので、機関車下に潜り込んで点検作業を行う機関庫ピットほど深い必要がありません。 直接出入、あるいは階段1段の深さ50cmで十分です。

ここで問題なのが照明追加で下駄を履いた給水塔の取付高さです。 計測すると5.5mmでした、詰所よりかなり高く取付法の工夫が必要です。

【給水塔部路盤構造】
給水塔部コルクシートと板紙を全て除去して設置すると地表面から給水塔土台が0.1mmです、、給水塔部基台に0.8t板紙1枚(土台高0.9mm)または2枚(土台高1.7mm)のスペーサーにで高さ調整し設置します。

最後は詰所土台の高さ調整です。 詰所ベースは厚さ1.4mmと薄いですが、そのまま地表面に設置すると土台段差が21cmで少し大き過ぎます。 詰所部分だけ0.8t板紙を1枚にすると土台段差が0.6mm/9cmと丁度良くなるので、この条件で設置します。 これで駐泊所ユニット構成パーツ全ての平面的位置と設置高さが決定しました。


ではまた。

怪しい広告に想う事

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ではまた。