Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

ラスベガス2008年夏 後編

さて筆者を含めメジャーリーグ初観戦の話です。 多少渋滞がありドジャースタジアムの到着は試合開始直後の18:45でした。 予約チケット引換所を聞いて回って球場を半周し、晩飯のドジャードッグと生ビールを手に着席したのは19:30頃、試合は3回裏でした。

【1塁側内野Aゾーン上部より】
予約したのは内野Aで$75の席、ゾーン制で指定席ではなく、5人並んで座れたのはゾーンの最上部、内野Bゾーン$50のすぐ前です。  写真上部が差し掛け屋根、その下にまだ明るい夕空が見えてます。 試合はインディアンスリードで進行、ドジャース打てません。


7回攻撃前はセブンスイニングストレッチ、『私を野球に連れてって』の大合唱、でもドジャーズ無得点で0対4、贔屓の引き倒しは洋の東西を問わない様で、今日は負けだとドジャーズファンが帰り始め、空いた内野Aゾーン最前列に移動しました、21:30頃の事です。

【1塁側内野Aゾーン最前列より】
8回からインディアンズは継投、セットアッパー登場です。 投手が乱調だったのか先発がスゴ過ぎたのかドジャースの猛攻開始、打つは打つは、インディアンズは2人投手交代し、クローザー投入でも止まらず、8回裏一打逆転まで攻め、結局4点入れて同点止りでした。 9回表のドジャーズはクローザー斉藤隆が登板、現場で雄姿見れるとは幸運でした。


でも負けムード濃厚で準備不足だった様で、2死2塁から右翼線の当たり、ダイビングキャッチ試みるもわずかに先を抜け失点、4対5とリードを許しました。 9回裏クローザー使い果たしたインディアンス投手はこの年メジャーデビューした小林雅英(実質2008年だけ、通算4勝5敗)3人で抑えゲームセット、勝利投手敗戦投手共に日本人の試合でした。

【量販店ツアー】・・・拙毎回資料より、転載禁止
大興奮の翌日は終日量販店ツアー、9時開店の店から一店当たり30-45分の視察です。 筆者は同じモールのHOME DEPOTを覗きました。 2x4が標準で耐震基準が違う米国ではDIYで自宅建設する人も多く、ユニットバスや窓枠・扉・壁面パネルまで販売してます。


別の場所ではスポーツ用品量販店で、国内では26cmまでで窮屈な思いしてるゴルフ用グローブとか、当時は国内で手に入り難かった(高価)カラーボールを仕入れたりしました。 参加者には語学力に応じ課題を与え、一番できるN君に晩飯予約をしてもらいました。

【シーフードレストランにて】
晩飯はヨットハーバーにあるシーフードレストラン、大衆的な店で生ガキ2種が前菜、メインは各自、筆者はいつもアラスカンキングクラブとロブスターセット、ドリンクチップ込みで1人$50-$60で楽しめます。

【ユニバーサルスタジオ正門前】
翌日昼前LA発のANA便で帰国する実質現地最終日は完全オフです。 ダウンタウンを通り抜け北に位置するユニバーサルシティへ、開場から15時過ぎまで目一杯遊びます。 13年間に10回近く行ってます。 新アトラクションが登場したり、衣替えしたり、スタジオ屋外セットも撮影映画により変化が多く、スタジオツアーは何度見ても飽きません。

【美女に囲まれご満悦の筆者】
ユニバーサルスタジオは世界に一つしかなく、映画撮影現場スタジオがあってこそのテーマパークです。 USJって一体何?興味も行く気もありません、日本版ユニバーサルスタジオは京都太秦映画村で訪問歴があり、これがあの番組の橋・掘割りと興味深く見ました。

【ジュラシックパークライド入口】
USJは理解不能でもTDLは解ります、でも行った経験なしです、アナハイムの本家を知ってるからです。 言葉が違うだけでアトラクションは同じ?、そうは思えません、場の雰囲気が全く違うハズです。 本家では制服ボタンを外した爺さんがブツブツ文句言いながらゴミ箱掃除してます。 TDLでマニュアル通りの作り笑顔見るのは真っ平御免なのです。

【スタジオツアーの一場面】
初訪問時ココはジュラシックパーク管理センターが建ってました。 その後撮影に合わせた模様替え(内容忘れました)があり、最後はジャンボジェット墜落現場、どう見ても747実物を使った様で、どの映画セットか解りません。 また初期には懐かしいバックトゥザフューチャーの時計台セットがありましたが、いつの頃からか作り替えられ消えてました。

【ウォーターワールドクライマックス】
ユニバーサルスタジオでは公演数の少ないウォーターワールド開演時間を軸に行動予定を決めてます。 座席はクライマックスで水上機が突っ込んでくる正面スプラッシュゾーン、CESの1月でもLAは気温20度で乾燥、濡れても大丈夫なのです、カメラは別ですが。


H君の感想『USJとは迫力が桁違い!』、そう言えばUSJ開場後少しして火薬使用量が基準以上と消防から改善指導が出たニュースを聞いた記憶があります。 本家は場内どこからでも聞こえる大爆発音、USJのウォーターワールドは多分ショボいんでしょうね。

【LAエリアマップ】
東京とLAエリアの東西関係を逆転させて、ダウンタウンを都心、LAX(国際空港)を羽田に例えれば、川崎に宿泊し東京ドームで野球観戦、ユニバーサルスタジオは川口、サンタモニカはTDL辺りに相当します。 ディズニーランドがあるアナハイムは海老名の見当です。

【ロデオドライブのブランドショップ】
ビバリーヒルズは原則観光禁止、域内を車で低速で通り抜ける車内観光です。 間口60-70mの広い敷地、最低3台の屋根付きガレージ、とにかく別世界です。 この頃ビバリーヒルズ住民に軍用車ベースの超豪華仕様車ハマーが流行しており数多く見かけました。

【サンタモニカ海岸にて】
夏場の夕陽は太平洋に沈みません。 当時42歳のS君(背中)を除き、30代半ばの3人は子供の様にはしゃぎ回り、この後泳いだのにはいささか驚かされました。

【コーリアンBBQ店前にて】
最終日晩飯は焼肉、中華と並んで安くて旨いんです。 メンバーが若い事もあり、元々日本より量も多い牛タンやカルビを10人前も平らげました、それでも1人$50です。 食事後日本から逆輸入の百均、$1ショップを覗こうとしたら閉店時間でアウト、残念でした。

【帰りのフライトはスーパーエコノミー】
帰りの便は乗客が多かった様でスーパーエコノミーアップグレードをゲット、ビジネスとエコノミー間にわずか24席の新設クラスです。 エコノミー3-5-3の11列に対し2-4-2の8列、ビジネス2-3-2の7列に近く快適でした。 筆者マイレージステータスが効いた様です。

【参加者説明会資料最後のスライド】・・・筆者著作物につき転載禁止
出張報告会で参加者それぞれが体験を通じて学び、何よりツアーに満足した事が解り、主催した筆者も満足でした。 この年と翌年年末にツアー同窓会をしたほど良いチームでした。 あれから14年、50歳前後になった彼らが経験をどう活かしてくれたか気にならないでもありませんが、『楽しかった』それだけでも十分だと思ってます。[ラスベガス旅行記完]


ではまた。

ラスベガス2008年夏 前編

地区御柱祭が無事終了しました、本日10月10日は跡片付け、例年なら直会(なおらい)で祭参加者が酒を酌み交わし、親睦と絆を深める処ですがそれもできません。 皆さんの奉仕で成り立つ祭りなので直会が付き物なのですが淋しい限りです、という訳で繋ぎネタです。


本社役員がスポンサーになってくれたので大手を振ってラスベガスへ行ける様になりました。 『市場を肌で感じるプロジェクト』と名付け、毎回本社部門推薦参加者と共に7泊8日の視察旅行に出掛けました。 一番思い出に残る2008年6月Infocommを紹介します。

【参加者説明会資料より】・・・筆者著作物につき転載禁止
参加者は広報部、品質保証本部、生産技術本部など様々、8日間一緒に旅するメンバーの初顔合わせを兼ねて説明会を開催しました。 まず目的を明確にしました、要約すれば見聞を拡げ自分を磨く事です。

【参加者説明会資料より】・・・筆者著作物につき転載禁止
コンセプトは『百聞は一見に如かず』『何でも挑戦』『アメリカだぜイエイ!』です。 困ったら助けるがまずは自分でやってみる、添乗員付きパックツアーとは違うのメッセージです。 コ・ドライバーを募り国際免許証を取得してもらいました、筆者疲労軽減ではなくそれも何事も経験だからです、街中でない砂漠の1本道なら大丈夫です。


最後のオフプランは希望続出、「ラスベガスのショウを見たい」「グランドキャニオンツアーに参加したい」「メジャーリーグの試合を見たい」、(筆者も経験なく是非見たかった)「本物のユニバーサルスタジオへ行きたい」です。 フライト/ホテル/レンタカーは筆者、他の必要予約は参加者に方法と注意点を示して割り振り、国内で予約を取りました。

【LA-ラスベガス陸路】
成田17時過ぎ発ANA LA便の現地到着時刻は同日10時半(サマータイム)頃です。 到着ロビー集合後に各自ATMキャッシング、これも経験です。 ハーツピックアップバスで移動、ゴールドメンバーでしたので、車内でドライバーに名前告げて置くと降車場前サインボードに名前と駐車場ナンバー、手続不要で荷物積込み即出発可能な便利なシステムでした。


LAからラスベガスへは91号線で東進してから15号線で北西に転じ、ザッと東京から大阪の距離です。 半分弱のバーストゥにアウトレットがあり、遅目の昼食・給油・買物ポイントでした。 米国フリーウェイ制限速度は70マイルですが80-90マイルで流れてます。 

【フリーウェイから眺められるマイルトレイン】
LAの平野部が尽きて15号線に乗り換え山越えにかかる辺りから大陸横断鉄道と並走する様になります。 大型DL重連、三重連のマイルトレインに出逢いました。 別の機会に貨車何両か数えた事があり108両でした、本当に全長1マイルを超える長大貨物列車です。

【砂漠の中の直線道路向こうの丘の頂上まで何Km?】
バーストゥで昼食休憩、緊張気味のコ・ドライバーに2時間弱交替です。 毎回異なる同行者とここ通る度にクイズ出してます、『正面に見える丘の上まで何kmだと思う?』です。 $1/1人、オーバーはドボン、内輪で最も近い人が勝ちの遊びです。 正解は33kmです。


再び筆者運転で17時過ぎラスベガス着、ホテルチェックインも各自で、パックツアーは添乗員が全てやるので経験してません。 『困ったら手を挙げて合図して』と送り出すと、早速最初の1人が手を挙げました。

【予約が入ってない!】・・・米国では良くある話
筆者が変わると予約が入ってないと言う、予約確認書を見せ『フロントマネージャー呼んでもらえませんか』と頼みました。 米国は全てがアバウト、驚く事ではありません、替ったマネージャーに『コンピュータがミスした様だね』と善後策を依頼しました。


端末操作し『5部屋は難しい、系列のパリス2部屋でどうか?』とマネージャー、『ミニバン1台移動なのでそれは困る』と筆者、『解った何とかする』でチェックイン完了です。 何やってんだと怒ったり責めたりしない、先方もご迷惑おかけし申し訳ありません何て言わない、他責にして目の前の問題をビジネスライクに解決するのが米国流なのです。

【ベネチアンホテル内部広場にて】
その日の晩飯は高級ホテルベネチアンの運河まである巨大な室内広場のイタリアンを予約してあり、こちらの予約は生きてました。 米本土初訪問のS君が『アメリカのホテルって広いんですね』と言う、『ンッ』と思い部屋番号聞くと3601、36階の1号室でした。


S君によればベッドルーム2つにリビング、トイレも2つある部屋だそうです。 他のメンバーは普通のツインルーム、フロントマネージャーは4部屋何とかしたが最後の1部屋の都合が付かず、彼の裁量でS君にスウィートルームを通常レートで割り当てたのです。

【会場の様子】
ラスベガス到着翌日は夕方までInfocomm 2008視察、晩飯は筆者が見ただけで食欲減退するステーキハウス、参加者は一度は行きたいハズだからです。 肉の熟成室が入口にありテーブル上ランプ照明だけの中級どころ、それでも$70前後と出張中最高額ディナーでした。


筆者は肉が嫌いではありませんが、ダラス出張時Tボーンステーキ910gのトラウマの様で、通常サイズ1ポンド/455gの塊見ただけでご馳走様になり、頑張って半分食べ、ドギーバッグ(愛犬に食べさせる名目の持ち帰りバッグ)を頼むのが常になってました。

【シーザーズパレスショッピングモールにて】
晩飯後腹ごなしにストリップ大通り沿いのトレジャーアイランド海賊船ショウ、ミラージュ火山噴火ショウ、ベラージオ噴水ショウの無料アトラクションを見て回りました。

【フーバーダムの人造湖ミード湖】
翌日は午前中フーバーダム見学に行きました、車で1時間弱です、グランドキャニオン下流のコロラド川を堰き止めた巨大ダムで、建設には服役囚人が使役されました。 午後会場にメンバー送り届けUターン、残り少ないチャンスにブラックジャックを満喫しました。

【ロブスター中華風】
晩飯は米国で一番安くて旨い行きつけの中華です。 このロブスターは時価で調理前にこれでどうだと見せ値段効くと$30、OK出して他に数品頼んで皆でシェア、贅沢して1人$35で済むのが中華の良い処です。


その後予約したベラージオ劇場のシルク・ド・ソレイユ”O”、水を使ったサーカスを全員で見ました、$100でした。 ラスベガスでは長期間同じ公演が続きます、シルク・ド・ソレイユの”ミスティア”は30年以上です。 

参加者の希望があり筆者も見たかったメジャーリーグ観戦ですが、Infocomm会期とドジャースホームゲームナイター(週末はデイゲーム)日程からピンポイントでこの日しかありませんでした。 グランドキャニオン半日ツアー参加のメンバー帰着は12時半過ぎ、すぐ出発してフリーウェイを飛ばし、給油休憩1回だけでLAホテル到着は17時半でした。


ナイター試合開始は18時半、チェックイン後即タクシーでドジャースタジアムに向かいました。 ダウンタウンの初めての場所に車で行くの避けたのです、疲れてたしね。 そして滅多に見られない試合を見ました。


ではまた。

採石場ホッパーの製作➎

【摂津鉄道採石場】・・・製作シリーズ表紙

完成した骨組みと土台には吐出し口開閉レバーの取付が必要ですが、素材と工作法を検討中なので後回しにし、ホッパー本体製作を先行します。


◆ホッパー本体サイズの決定
骨組みと土台が一応できましたがホッパー本体のサイズは長手方向193mmが決まっただけで、設計図面上48mmの奥行は、周辺地形と関係するので検証してから決定します。

【雪崩覆い周辺地形過去記事より転載】
自然地形の法面角度、擁壁の角度には法で定められた基準があります。 勿論先日お話した様に何を重視するかはレイアウト製作者の専管事項ですから守る必要はありません。

【摂津鉄道小川のある風景】・・・1968年3月号表紙より
摂津鉄道築堤法面角度は基準値60度を越えてますが、風景として破綻してません。 Nよりはるかに厳しい16番スケールで、スペース制約と広々感、風景の見え方を総合的に判断した作者の選択を尊重してます。

当社ではより自然に見える風景を重視し、この基準を常に念頭に置いてます。 例えば小川両側の風景、手前は約70度なので石積み擁壁、鉄橋の向こう側は約50度なので築堤です。

ホッパー出入口付近は大きな段差になります、ホッパー奥行が小さいと傾斜が急になり擁壁を作るしかなくなります。 砕石場は岩盤の山、摂津鉄道作例の様に岩の斜面にする為には奥行を大きくし斜面角度を緩くする必要があり、設計より若干大き目の50mmにします。


◆ホッパー本体の製作
ホッパー本体サイズは193x50mm、周囲を2mm厚工作材で作るのでコアサイズは189x46mmになります。 照明基板を逃げる構造が必要です。

➊0.8t板紙から本体コア寸法189x46mm2枚切り出し1枚に照明基板逃げをケガキました。
➋穴開けした板紙を3mm厚スチレンボードにボンド接着します。
➌板紙をガイドにスチレンボード切り抜きました。
➍照明基板や配線が3.8mmスチレンボードより上に飛び出さない事を確認し、もう1枚の0.8t板紙を貼り合わせホッパー本体のコアにします。

【摂津鉄道採石場製作記より】
摂津鉄道採石場製作記にホッパー本体構造図面はありますが、本文中に使用材料寸法が記載されてません。 困ったのがホッパー本体側板のB、3mm材ならNで1.6mm、2mm材ならNで1.1mmです。 2mm工作材か1.2mmプラ板か迷い2mm工作材を選択しました。

➊2mm厚10mm幅工作材でホッパー本体側板を作ります。
➋使用分の500mm+αに切り、10mm幅を2mmを目安に切断します、切断面を下側に使うので非切断面にマーカーでマーキングしてあります。
➌193mm+α長と50mm+α長各2本を切り出しました。
➍前面用をヤスリで仕上げ、高さ7.5mmに、両端コーナー接続部は45度に加工します。

➊前面用側板を治具を利用しコアに貼り付けます。
➋入口用側板をヤスリで仕上げコアに接着しました。
➌出口側もコーナーをピタリと合わせ接着しました。
➍背面側板を接着すると上げ底の四角いお盆の様なポッパー本体外形が完成、全周に取り付ける木製柵とは色が違うので先に塗装します。

その前にチョイと中間の様子見、上下を組み合わせてみました。 ガタもなくピタリと収まり上々の結果でした、設計意図通りに形になって来るのを見るのは工作の醍醐味です。

ホッパー本体塗装の前に、同色塗装のコンクリート壁を作ります。 長さ193mm、高さ39mm、厚さ9.8mmで、完成時は約半分が地表面の下に隠れます。 実際はホッパーを支える基礎ですが、構造部品ではないので、0.8t板紙と3mmスチレンボードの工作です。


◆ホッパー本体とコンクリート壁の塗装
ホッパー本体はコンクリート製で鉄骨骨組みとも木製柵とも色が違うので塗装します。

まずホッパー本体に白サフを吹きます。 全体に吹いてる様に見えますが、完成時に見える場所中心で、他はついでに塗れてしまっただけです。

次にホッパー本体とコンクリート壁に、土台と同色のオーシャングレイを吹きました。

乾いたらライトグレイをサッと吹いて、出来立てのコンクリート質感に変化を加えます。 どうも太陽光下の撮影は上手く写せません。

自室内で再撮影、ライトグレーサッと吹きでこんな感じです。

コンクリート壁底の0.8t板紙赤四角部分を除去しました、ココに給電線を通し、基台裏引き出しからホッパー出口側引き出しに変更しました。 ここの処地区御柱祭に関する外出機会が多く中々進みません(汗)。


ではまた。