Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

KATOさんチョッと変ですよ!

当社想定の昭和40年代は、スーパーはあってもコンビニや宅配便は誕生した直後、携帯電話やパソコン、インターネットなど影も形もなく、鉄道が人・モノを運ぶだけでなく、情報を伝え、人と人の絆を繋ぐライフラインの役割を果たしていた時代でした。


短編成列車が山間の小駅に到着するとハユニの荷室・郵便室扉が開き、新聞雑誌の束や当駅着小荷物・郵便袋が降ろされ、当駅発の木箱等に梱包された小荷物や郵便袋が積み込まれる、ローカル線ではそんな光景が日常的に繰り返されてました。

【『風太郎のPな日々』より作者許諾を得て転載、会津線湯之上1980年】
筆者旅時代から10年後の1980年でもそれが大きく変わってなかったのは『風太郎』さんブログ掲載写真から解ります。(国鉄手小荷物扱い中止は1986年) ハユニは昼間2両、朝夕4両程度で運転されるローカル線を象徴する車両形式でした。

【右:KATOキハユニ26-休車中、左:TOMIXキハユニ26改】
従って露太本線DC列車にキハユニ26は必要不可欠ですが、KATOは50年前の金型製品、灯火類非点灯では使えず、TOMIX製品を改造してKATOキハ52と混成可能にしました。 並べるとウィンドシルやベンチレータの造形差が歴然とします。

【『混合列車がゆく』より転載】・・・究極の混合列車
蒸機牽引列車のハユニと言えばオハユニ61です。 TOMIXから出てますがKATOはなく、オハニ61を選びました、昭和30年代閑散線区にはこんな混合列車存在したかもです。

【『混合列車がゆく』より転載】
中山平で手小荷物扱い業務中、郵便室なくとも郵便袋は小荷物として輸送してたの推定でオハニ61を使ってます、オハユニ61より在籍数が多く、多分そうではなかったかと。

【KATO HPより】
今月は予約した8620の発売月、他に何があると見回すと、オハ35系とオハ61系の文字が目に入りました。 どちらも再生産、オハ35系は小さな写真掲載あるのにオハ61系は実車同様格下扱いで写真もありません。

【KATO HPより】
で、オハ61系クリックするとオハ61/オハフ61/オハニ61に加えてスユニ61(以前からあったか不明)、これは良く解ります、荷物専用列車に1両欲しい車種だからです。

【KATO HPより】
製品構成表を見てビックリ、4両セットにオハユニ61が含まれてるではありませんか!

【KATO HPより】
単品売りはなくセットのみ、オハ61系。オハ35系、スハ43系は混成前提で固定編成は存在しない旧客です。 模型の世界で使い勝手が良いオールマイティーの様なオハユニ61を生産しながら、何故1車種だけセット販売なのでしょう?

【KATO HPより】
掲載編成例8例中5例がセットでしか買えないオハユニ61を含みます、1例目と3例目はセットの残り遊ばせて置くのでしょうか?。 KATO自らオハユニ61使い勝手の良さを認めながら、セットでしか販売しないのは何故でしょうか?


KATOさん、オハ61系製品構成変ですよ!


ではまた。

北基台北西ユニットの製作 その3

前回の続きです。

小さな沢は少し修正すればOKと思ってましたが、トラフガーダー橋先の線形や河岸段丘ユニットへの稜線の繋がり検討により、かなり削り足しが必要でした。 ピークから小さな沢まで稜線1本追加し残りはスタイロフォーム削り出しと箱紙で基礎製作しました。

梱包用布テープで地表面を貼ります、面で受ける場所は1-2層、テープで強度出す下地がない場所は3-4層です。

当社従来線でもスタイロフォームや紙類を地形製作に使用してますが全て下地、道路は板紙や紙粘土、地形はレイアウトマットやプラスタークロスを重ねてます。 従って全面にボンド水に浸した新聞紙を最低2層貼り重ねました。

完全乾燥したら下地にフラットアースを塗ります、地表面完成雪崩覆いコンクリート擁壁上との色味・地形整合性に問題ありません。

【『河岸段丘ユニットの製作③』より転載】
河岸段丘ユニット製作時に新聞紙地表が何故こんなにテカるのかと不思議に思いましたが理由が解りました。 プラスタークロス生乾きで新聞紙貼ったので石膏成分が新聞紙表面に滲み出してたのです。 今回は落ち着いたトーンの仕上がりです。

低い目線でユニット山並みを眺めました、良い雰囲気です。 こんな事にウットリする筆者は地形フェチかもしれません。

地表面製作はコンクリート擁壁上と同じ濃厚ボンド水塗布工法ですが、傾斜が異なり正立状態では施工不能です。 ユニットを床面に降ろし100mm木製ブロックを台座下に入れてユニット角度を変えて施工します。

濃厚ボンド水塗布、4週混合素材撒布したらユニット狂い防止の為、すぐに基台上水平に置きました。 素材をよく混ぜてもムラが残り、撒布でもムラができる、それが良い効果を出して自然な地表面になりました。

一昼夜乾燥させて固着してない素材を除去し、1日がかりで下草1次製作が完了した状態です。 晩秋設定なので強い存在主張を避ける為フラットアースで薄く着色のハズが濃過ぎて地面に同化してしまう失敗もありましたがまずまずの出来、細かく見ます。

雪崩覆い上の雪崩通り道は植樹のない防火帯で、日当たりが良いので草が生い茂ってます。 コンクリート擁壁右側は覆い被さる草や、右端草付き急斜面にして擁壁と地表面の隙間を埋めてます。草がまばらな場所は針葉樹人工林になります。

中央小さな擁壁付近です。 擁壁上は人工林が少し後退するので、ここも草が生い茂っており(ボロ隠しです)、擁壁周辺は使用植物素材展覧会場の様相です。 なお小さな植物片を稜線に並べ、下枝のない人工林奥に稜線ラインがクッキリ見えるのを防いでます。

ユニット右端の小さな沢付近です。 稜線上に川の源流を隠す植樹だけで、他は残り素材を置いた程度のほとんど未実施です。 先に川床作成の必要があるからです。

地表面素材撒布時の様にユニットを床面に降ろし木製ブロックを台座下に入れて水流が水平近くなる様に傾けました。
川床素材に生野駅構内に少量使っただけのユニトラックバラストを試す事にしました、混合比はリアルサンドナチュラル/ブラウン各1に対しバラスト2になりました。
これを小型スプーンで撒布し筆で均すバラスト撒布の要領で沢の一番低い部分へ広げます、ダメならやり直しでしが、それらしく見えるのでこれで行くと決めました。
公開技法でまず霧吹きで薄い中性洗剤水溶液を吹きとありますが、均したバラスト粒は動くは、水性インク印刷ステッカーは滲むはヒドイ目に逢って当社は別法です、ボンド水に中性洗剤をタップリ入れスポイトで滴下するとサッと滲み込み広がります。

完全乾燥固着後です、バラストはリアルサンドより粒が大きくまた不揃いなので、大きな粒が小石の様に見え川床としてまずまずです。 カッターで削ってる時はもっと蛇行してたハズなのに、製作が進むにつれて川筋が直線的になってしまいました。


ところで皆さん川面の表現どうされてますか?、水は水色でなく無色透明です。 筆者は『kyoshusen』さんブログから学び、3素材を使用して従来線の川を製作しました。

川床は製作してません、薄い青緑を川底に塗ってあります。 最初に透明画材グロスポリマーメディウムで水面表現しましたが成功したとは言えません。 流動性が高く固着には2昼夜必要で、手前に柵作りましたが滲み出し床にタレてしまいました。

2番目はジェルメディウム、水面の凹凸表現に使います。 固着は一昼夜で塗る時は白く濁ってますが乾燥するとほぼ透明になります。

最後はブレンディッドファイバー、水面が白く波立つ様子再現に使います。 固着時間は忘れましたが半日程度だったと思います。 これら3種素材は画材屋で入手可能です。

グロスポリマーメディウムは溜まって流れない湖や池の表現に適してます。 トラクター作業後の水溜りに使ってます、下地色は茶色です。

峡谷の川は最初からグロスポリマーメディウムを諦め、ジェルメディウムと大量のブレンディッドファイバーで製作しました、飛沫を上げて流れ下る急流です。 ここも川床は製作しておらず小川と同じ薄い青緑色です。


延伸線の川は川床を製作し、水中の砂や岩、深い淵表現までできないかと計画してます、この小さな沢はその練習台になります。


ではまた。

新型コロナ先行きと困り事

連日各自治体の新型コロナ感染者数増加が報じられ、一時期首都圏・関西圏・北海道・福岡に限定されてた新規感染者地図が、岩手・島根など数県を除き全国へ広がってます。

【公開情報より】
一ヶ月近く新規感染者のなかった長野でも連日の発表、ほとんどが東京・大阪起点とその濃厚接触者、警戒レベルが引き上げられ多発地域への外出自粛要請も出ました。 それにしても第一波に対する人の接触機会削減方針と、それに従った国民の行動が米国や南欧の悲惨な結果を回避できたことがグラフから解ります。


6月19日の県境を越えた移動自粛要請解除2週間後の7月上旬から増加に転じ、特段の対策なしの一ヶ月経過で10倍になりました。 経済はこれ以上止められない、我慢を強いられた人達の解放感を責められません、今度の盆休みには渋滞が発生するでしょうね。 

【公開情報より】
政府は緊急事態宣言再発令する状況にないとコメントしてます。 その背景が死者数下げ止まり、つまり若年層中心の感染拡大で重症者が少なく医療体制逼迫に至ってないからです。(沖縄を除く) ただし今の数字は2週間前行動の結果と考える必要があります。 


都会では感染経路不明の市中感染段階にあり、数学モデル的には2週間後に3千人/日、盆休み移動の結果が出る月末から9月初旬に5千人/日を上回る結果が予想されます。 盆休み帰省自粛要請が出ても強制力罰則なしでは効果は限定的、一度緩めたタガを締め直すのは非常に困難です。 この状況推移に筆者は大変困ってます。

開催告知から楽しみにし、夏の終わりには東京行きが可能に落ち着いてるだろうと踏んでた『風太郎』さん写真展が東京緊急事態宣言の可能性が高い時期に重なるのです。 この予想当ったら、自分だけでなく家族や地域へのリスク回避で諦めるしかありません、先の状況が見通せず、高速バス予約もギャラリートーク申し込みもできず悶々としてます。


★写真展詳細はコチラをご参照ください。
https://fotopus.com/showroom/index/detail/c/2894


この写真展は2度のミャンマー詣でを材にしており、ご本人も書かれてますが鉄道と人々の暮らしが濃密な関係に現在もある、40-50年前の日本に通じる姿が、言葉・文化は異なれど色濃く流れてる魅力があります。 筆者には逞しいミャンマー女性達が、モンペに姉さん被りで大きな荷物を背負った行商の日本のお母さん達にダブって見えます。 

【拙ブログ2016.08.30更新】
4年前の写真展に訪問しお目にかかりました。 『風太郎』さん作品は鉄道写真でも鉄道車両写真ではありません、まず旅ありきで、旅先で出会った風物、自然や人々の暮らし、その移ろいが主題と感じてます。 鉄路のある風景をテーマにする筆者と相通じるコンセプトが熱烈なファンになった理由だと思います。


◆『風太郎』さんブログプロフィールより
1962年東京生まれ。1980年代、田舎列車で全国を旅する。その後長い空白期間を経て最近復活。撮りモノはローカル線一本槍、根っからの叙情派。鉄道車両が写っていなくとも、「旅」が写っていれば良しとする。「鉄」なのかそうでないのか。


ご本人も自己紹介でこの様に書かれてます、生まれも放浪旅時期も丁度一回り12年違います。 筆者が就職結婚で鉄から離れて蒸機の姿が消え、オイルショック、狂乱物価を経て日本が豊かになった激動の12年を経てなお、ローカル線沿線には筆者が体験した昭和の残滓が至る処に残っていたのだと教えられました。


懐古趣味と言われればそれまでですが、現在に比べれば不便でまだまだ貧しかった当時の日本、それを不満に思う者はなく明るいハズの未来を目指し希望を持って生きる事ができた時代の空気感は、作品と筆者体験のコラボ鑑賞なのかもしれません。


話を戻し困りました。 半年振り開催予定だった8月句会も昨今の情勢を受けメール句会に逆戻り、明るい兆しは見えません。 オンライン写真展とか、ギャラリートーク動画公開は我儘過ぎですね、本当に困りました。


ではまた。