Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前の鉄道P誌 1966年12月号①

いよいよ厳冬季に突入、昨日1/14は真冬日、1/15の予報は加えて最低気温マイナス2桁、気力だけでレイアウト製作を続けられません。 昨年12月31日で雑誌著作権期限切れとなった鉄道P誌1966年12月号を紹介します、内容盛り沢山なので何回かに分けます。

同誌を定期購読していなかった筆者が所持しているのは、この号がD51特集増大号だったからです。 無煙化達成の9年前、1936年に誕生して長男が30歳の働き盛り、一部の老朽廃車はあっても大多数が現役で活躍していた頃、余剰廃車開始の2年前です。

【標準型】
日本近代蒸機の礎であり最多両数を誇るD51には様々なタイプがあり、D51八態と題した巻頭グラフから転載します。 お馴染みの標準型、露太本線にも2両在籍中です。

【一次型】
給水加熱器を煙突後方縦置きした一次型、通称なめくじです。 KATOからモデル化されたら筆者も欲しいタイプです。

【集煙装置 重油併燃装置】
集煙装置付きは両数が多く見慣れた存在でした、昨年KATOから長野型集煙装置付が発売されました。 買える時に買うしかないので入手しましたが、箱さえ開けていません。 ここまでは良く見たD51ですが、以下は変わりダネです。

【回転式火粉止付煙突 給水加熱器覆い切取】
車番100一次型ナメクジの改造で、二つ目玉になっています。

【流線型】
車番23一次型、ナメクジドームがキャブまで伸びた珍しいタイプです。

【誘導通風装置付煙突(輸入品)】
知りませんでした、縦長扁平煙突にどの様な機能があるのか解りません。


記事を読むとD51設計に携わった方の開発秘話、子供の頃に見た9600重連に替って単機で貨物列車を牽くD51に憧れ、戦後国鉄入社して機関士になった方の思い出など、70-80年前のお話が掲載されており、半世紀の時の流れを感じます。


デフひとつだけでも様々なタイプが存在していた様です。

【門鉄デフ】
他の機関車にも門鉄デフは多くありましたので、それほど珍しくないかもしれません。

【継ぎ足しデフ】
こんなのもあったのですね、アドオンなのでD51だと解ります。

【変形デフ】
こうなるとかなり印象が異なります。

【デフなし】
あるべき物がないと、これ何型?と感じてしまいます。


記事の一部を引用します、この時点で無煙化達成時期がまだ未定だった事が解ります。
『国鉄の蒸気機関車は41年4月1日現在20形式で、3,148両であったが、10月1日現在ではD62形が姿を消し、19形式の2,906両の配置と推定される。 その結果3,000両を割ることになった。 しかし、9600、8620形は車令40年を超え、すでに50年になろうとしているものが、まだ561両も残っている。 これら蒸気機関車も46年度末には1,120両位の両数となり、50年頃には時代の進展によって国鉄から姿を消すのではないかと思う』


筆者註:3千両割れは最盛期6千両弱だった国鉄蒸機半減を意味します。 筆者昨年8.16付『鉄の履歴書-18』で平泉駅側線に廃車留置されたD62との遭遇を紹介しました。

昭和41年(1966年)10月1日時点のD51配置表が掲載されており、所属機関区・配置/使用両数・運転区間が解ります。 配置1,025両、使用753両が四国を除く全国各地の非電化路線主力機として活躍していました、今となっては貴重な資料です。

D51生息域地図です、かなりの線区で重連運転が行われており、東北本線一戸~沼宮内、奥羽本線碇ヶ関~陣馬、伯備線新見~生山の3区間で3重連運転を行っていました。


筆者は1970年7月のある夜、篠ノ井線旧々松本駅1番線(駅舎前上り本線、新宿行あずさ発車ホーム)から、D51重連貨物列車が汽笛の合図を交わして、鳥居峠越えに向かう姿を見た経験があります。 今回はここまでにします。《寒中記事不足時に続編予定》


ではまた。

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