Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

キハ20系の風景30選

筆者が初めてディーゼルカーに乗車したのは1961年夏、千葉から外房線の10系でした。 高校入学後旅ができる様になって以降、乗車距離が長いのは多分急行利用のキハ58系ですが、乗車回数となるとキハ20系が最多なのは間違いなく、最も馴染み深い車種です。

1965年から1974年、昭和40年代が旅の時代で、全国何処でもキハ20系がローカル線の主役でした。 一回り下世代の方のローカル線主役は、1978年登場のキハ40系だと思います。 40系は好きな車両ですが、現役蒸機との接点がないので当社には在籍させてません。

始めてキハ20系に出逢ったのは昭和40年春、小淵沢の小海線列車でした。 20系2両の間に10系を挟んだ3両凸凹編成で、急勾配区間なのでキハ52だったかもしれません。 58年後の今でも第三セクターで現役のキハ20系がある様です。 キハ20系の風景写真集です。


◆始発列車
旅日程を有効活用するには始発列車利用が鉄則でした。

ステーションビバークの始発列車は当然として、ユースホステル泊の場合は朝食時間が決まっており、始発列車利用は無理でした。

ローカル線始発列車発車時刻は5時台後半が多く、夏場は完全に夜が明けてましたが、晩秋になると薄暗い黎明時に駅に向かう事もありました。

始発列車編成に組み込まれたキハユニから駅務員が新聞の束や郵便袋を台車に積み込む風景を良く見かけました、鉄道が情報・通信も運ぶ、正に生活の生命線だった時代でした。

朝5時過ぎ、生野駅3番線に当駅始発上り1番列車が発車時刻を待ってます。 1番線には都会からのDC夜行急行が到着しました。


◆ローカル駅のキハ
『ローカル』の定義は曖昧ですが、当時の非電化・単線区間はローカル線と考えてます。 キハが似合うのは電化された幹線始発駅ではなく、やはりローカル駅だと思いますす。

ローカル線は線路規格の条件もあったのでしょうが、普通列車の最高速度は控え目で、平坦区間なら停車駅の300-400m手前で力行を止め、ゴロゴロとアイドリング音を響かせながら駅に進入して行きました。

アイドリング音と段々間隔が長くなるジョイント音、そこにポイント通過音が混じると駅に到着すると音が知らせてくれました。

DC普通列車は本線有効長より短いので、編成一部が駅舎改札口前になる位置に停止標識がありました。 停車時間中に駅務員とタブレット授受、手小荷物扱いも行われます。

ローカル線の小駅では跨線橋を設置せず、駅舎改札口前階段踏切で対向ホームへ渡る方式が多く、短いDC列車用停止標識が階段踏切手前に設置されてる例が良く見られました。

学歴社会の当時の親の願いは『せめて高校くらい』であり、列車通学高校生が増えた時代でした。 発車時間ギリギリでも乗車できます。

発車時間になるとエンジンは轟音上げるのにサッパリ加速しない、タイミング遅れの発進加速に『旅に出たな』を実感しました。


◆列車交換/待避
単線区間は駅または信号所で行き違いをします。 貨客合わせて平均1時間に1本としても、ローカル線の表定速度は35km/h前後と低く、50kmの路線なら1時間半の乗車時間に2-3回列車交換がありました。

生野駅での下りキハ58系急行と、上りキハ20系普通列車の交換風景です。 当時のダイヤは優等列車優先に組まれており、普通列車は急行列車より5分以上前に到着します。 普通列車がら通票を受け取ってその区間の閉塞業務を行い、急行停車時間を短くする為です。


普通列車が走る区間の閉塞業務は急行到着後に行われるので、急行到着を待って発車とはならず、普通列車停車時間は10分程度必要でした。

全旅客列車DC化路線でも、時刻表に貨物列車は載ってませんし、牽引機も解りません。 蒸機牽引貨物列車交換で、オッとなる事もありました。

普通列車同士の交換でも、前記通標閉塞業務の手順により、先着列車の出発時間が後着列車より遅いか、同時到着なら停車時間5分以上のダイヤが組まれてました。 全てが人の手で行われていたこの時代の交換施設駅には、貨物扱いを含め最低4人が常駐してました。

生野駅下り副本線で普通列車が下り急行待避中です。 普通列車到着後の閉塞業務で急行がその区間に進入可能になり、追い越した急行が次の閉塞区間を出るまで普通列車は発車できません。 従って普通列車停車時間は長く、『お乗換えの方は3番線へお急ぎください』とはなりません。

スイッチバック信号所の交換・待避風景です。 キハ20停車してるのが発着線、駅に昇格したらホームが建設される場所です。 一方の引上線は進入後即折り返す駅間区間の扱いで、引上線の交換・待避はありません。

これぞスイッチバックの醍醐味、固定式レiアウトで長い直線区間がないと実現不能な風景で、当社の目玉の一つです。 シナリーガイドK氏の『レイアウト樹木は小さ過ぎる』に従い、樹高20m前後の樹木数本を追加植樹し、山の中の信号所らしくなりました。


◆築堤のキハ
前回更新で延伸線下地製作した築堤の従来線風景です。

線路より基台を50mm低くし、直角三角形木材に(多分)板紙を貼り、レイアウトマットを上貼りしてます。 従って築堤角度は45度、様々な植物素材でお化粧してます。

夕方、ワラボッチや軽トラの影が長く伸びてます。 築堤の上をKATOキハ52とTOMIXキハユニ26の2連が進みます。

稲刈りの終わった水田風景は変化に富み、田植え後とは一味違う風情があると思います。


◆夕焼けのキハ
赤またはオレンジとクリーム色の国鉄気動車色は日本の自然風景と馴染みが良い傑作だと思います。 特に夕暮れの赤味がかった陽光や残照との相性が抜群だと感じてます。

晩秋の午後4時頃、里にも陽が当ってますが、日没時間より1時間近く早く西の山へ太陽は隠れます。 部活のない高校生帰宅列車です。

陽の最後の一片が山に沈む刻限のDC列車です。 当社ではチップLEDの自社製夕陽ライトを使い夕景撮影をしてます。

太陽が山の端にかかると辺りが暗くなり始め、そろそろ街灯が灯る頃です。 郵便局も農家茶の間も点灯してます。

秋の陽はつるべ落し、太陽が山に沈むと宵闇が近付いてきます。

午後5時過ぎ、西の空の残照に染まるDC列車、やはり国鉄気動車色でなくてはこの風景は似合わないと思いますが如何でしょうか。


◆終列車
LEDがレイアウト夜の世界を一変させました。 夜景設計は手間・ヒマ・金が必要ですが、それを楽しめる現在のレイアウト製作者は幸せです。

生野駅1番線に下り最終普通列車が到着しました。 乗客が少ない終列車に4両編成ですが、終着駅で2両・2両に分けて運用する送り込み回送を兼ねてます。 とまあこんな事考えるのも楽しみの内です。

生野発下り終列車は発車しましたが、生野終着下り列車がまだあります。 

終着列車は下り本線1番線でなく副本線3番線到着です。 残業で疲れた人も、酒に酔って足元定まらない人も跨線橋渡るしかありません。 当時の国鉄には『お客様の利便性』重視の感覚が希薄でした。

午後11時過ぎ、乗務員は機関区風呂に入って、乗務員詰所泊、列車は3番線留置で翌朝生野始発列車になります。 思い出の詰まったキハ20系で当社の1日を追ってみました、お楽しみいただけれたなら幸いです。


ではまた。

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