Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

国鉄黄金時代回想録⑩上信越

関東上信越2回目はこのエリアの新設路線/廃止路線と、信越本線/上越線を振り返ります。

【1964年9月時刻表復刻版】


4-4.新設路線と廃止路線
◆新設路線
1970年代以降首都圏に埼京線・京葉線・つくばエクスプレス・湾岸線が開業すると共に複々線化が進み、通勤圏が大きく拡大しました。

【つくばエクスプレス】・・・ウィキペディアより
当時の常磐線沿線通勤圏は取手まで、牛久周辺は田園風景でしたが現在は土浦を越えて石岡まで通勤圏です。 新設路線は首都圏に限らずローカル線も、只見線は未開通でした。


◆廃止路線
思い浮かんだのは信越本線横川-軽井沢間程度、でもこれは新幹線置き換えなので廃止路線にカウントできません。 調べてみましが、JR化後路線廃止は見当たりませんでした。

【1964年9月時刻表路線図】
羽越本線/白新線分岐駅新発田と東赤谷を結んでた赤谷線です。 鉄鉱石採掘目的で敷設され戦争で放置、地元請願で開業し後に赤谷と鉱山東赤谷間延伸開業の複雑な歴史です。

【赤谷線さよなら列車】・・・ウィキペディアより
1980年の国鉄再建法に基づき1984年に廃止されてます。

【1964年9月赤谷線ダイヤ】
盲腸ローカル線の典型的ダイヤで、道路網と自動車交通発達で生き残れなかった様です。

【1964年9月時刻表路線図】
更に不思議なのが魚沼線、長岡一つ西寄り宮内で信越本線から上越線が分岐しますが、その隣駅来迎寺から上越線と並行し西小千谷間を結ぶ、上越線の信濃川対岸を走る路線です。

【1964年9月赤谷線ダイヤ】
赤谷線と大同小異のダイヤで、1980年の国鉄再建法に基づき1984年に廃止されてます。

年表を見ると上越線開通時に役目は終わっており、補償金支払い廃止案があったのに何故か国有化し、60年以上ズルズル結論先送りしてた路線だったと解りました。


4-5.信越本線と上越線
◆建設と電化の歴史
アプト式碓氷峠越えの信越本線と、当時日本一長い清水トンネルとループ線の上越線は旅を夢見てた子供時代の乗ってみたい路線の上位にランクされてました。 後者は何度か機会があり叶いましたが、アプト式は1963年に廃止され見る事も乗る事もできませんでした。

信越本線の歴史は古く明治末に全線開通、アプト式区間は電化です。 1960年代に電化が進み1969年完成、『ひばり』『やまびこ』の翌年に電車特急『あさま』が登場してます。

【明治末2120の牽く列車 磯部駅】・・・ウィキペディアより
明治期の貴重な写真が掲載されてました。 信越本線は長野新幹線/北陸新幹線開業により寸断され、現在JR東管轄は高崎-横川、篠ノ井-長野、直江津-新潟に3分割されてます。

東京-新潟最短ルート上越線は三国峠越え突破で全線開通は信越本線の30年後ですが、その後の進化が速く、電化完成は22年、電車特急運転開始は4年先行してます。 新幹線や早期複線化完成も含め、新潟出身列島改造論首相の政治影響力が及んだのかもしれません。


◆特急は各1本
信越本線/上越線の特急は各1本で奥羽本線/常磐線/羽越本線と同格です。

この時刻表時点の電化は長野までなのでキハ82系『白鳥』です、混乱を防ぐ為に信越白鳥と呼称されてた様です。 横川は碓氷峠越えEF63連結開放の為に全列車停車してました。

上越線は電車特急『とき』が運転され、新潟から東京日帰り可能になりました。 東日本では東海道本線の次、東北本線より早いのは新潟が特別だったからです。 特徴的なのは高崎-長岡間ノンストップで上越線特急なのに上越線内に停車しません。

【特急『とき』編成表】
『とき』の編成は9両です。 当時の国鉄には、特急は食堂車併結と共に、9両以上の場合は1等車2両の内規があった様です。


◆こちらも夜行列車花盛り
特急は日に1本の特別な列車、長距離移動の庶民の足は急行でした。 東京からだとおおよそ600km、盛岡/秋田/金沢/神戸が昼行急行の上限、丸一日潰して青森でした。 そしてその半分300km圏は夜行列車の選択があり、時間有効利用の手段になってました。

信越本線夜行列車は5本、急行『とがくし』は昼行急行『志賀』『信州』と共に電車ですが、他は客車編成で普通列車も運転されてます。

上越線夜行列車は6本、急行『越後』は電車、『天の川』は寝台列車です。 急行『羽黒』は紹介済みですが、驚いた事に上越線経由秋田行普通列車も運転されてます。 北海道は夜行準急だけの区間もありましたが、夜行急行運転区間には全て夜行普通列車もあります。

【信越本線/上越線主な急行列車編成表】
急行列車も上越線優遇です、寝台急行『天の川』があり、電車急行にはサハシ連結です。 上野駅からは東北上信越に毎日30本の夜行列車が走ってました、年末ともなると更に10本以上の臨時夜行列車が帰省客や出稼ぎ労働者を故郷へ運んでました。


4-6.上越線の旅
信越本線は1969年志賀高原スキーが初乗車で、1971年に電化前篠ノ井線//中央西線乗り鉄旅で利用した程度です。 上越線は新幹線含め乗車経験が5-6回あり古い旅を紹介します。


◆1958年12月
自家用車でドライブ旅行やキャンプはない時代で、色々経験させ様と両親がボーイスカウトに入団させてくれました。 4泊5日スキー訓練参加石打行きが最初の経験で、長時間乗車も初体験でした。 時刻表6年前ですが、乗車列車のダイヤ変更はなく確認できました。

上野9:14発普通列車711レ、所要時間5時間44分です、電機牽引旧客列車でした。 時刻表によると3分前発車の普通電車が上野-終点水上間3時間44分に対し、数駅通過の711レは4時間26分です。 80系電車より電機牽引列車は加速が悪く表定速度も低かった様です。


この時は雪遊び程度で滑れるまで行きませんでしたが、スキーの面白さに目覚めました。 10代後半から20代は冬になれば毎年5-6回、ボーイスカウトスキー訓練も引率・指導者として就職まで毎年参加しました。 ここ2-3年行ってませんがまだ現役スキーヤーです。


◆1966年1月
2度目は1966年正月です。 東京オリンピック前後から生活が豊かになった実感があり、普通の家庭我家でも『逃げ正月』と称し正月家族旅行した年が何年かありました。 この年は水上温泉で、大晦日の水上行準急で出掛けました。 宿は水上温泉ですが、毎日上越線で駅前がスキー場の越後中里へスキーに出掛けました。

水上10:05発で越後中里へ4駅/28km所要時間52分です。 清水トンネルは土合-土樽間にあり、トンネル内信号所で毎朝7-8分の通過待ち停車しました。 721レ14分に対し723レ22分、729レ21分と長く、729レは記憶通りトンネル内信号種待避と確認できました。

【越後中里スキー場にて、手前弟後方筆者】
混んだ車内で降り易い様にデッキ付近で大人に囲まれ立ってました、5-6分すると上り列車が通過してすぐ発車、あれはどの列車だったのだろうと調べてみました。 時刻表があればできるのです、長時間乗車旅の暇潰しの遊びでしたが紹介します。

乗車した729レが待避したのは旅客列車で、清水トンネル信号所を10:35頃通過してます、時刻表で729レは越後湯沢で普通列車と交換してます。 すると可能性有るのは特急『とき』、長岡-高崎ノンストップで通過時間掲載されてませんが確認可能です。

161系『とき』と165系『佐渡』同時代設計の優等列車用車両で性能ほぼ同等です。 時刻表から抜き書きすると表定速度も同じ、長岡-高崎所要時間が16分長いのは『佐渡』が途中5駅に停車するからです。 停車の為の加減速時間ロスが2分、停車時間水上3分で残り4駅で3分で計算合います。 これで『とき』の越後湯沢/水上通過時間を割り出せます。

【181系特急『とき』】・・・ウィキペディアより
信号所の正確なキロ程不明ですが土合-土樽中間付近で計算するとドンピシャ、トンル内で通過待ってたのは特急『とき』と解りました。 停車時分除いて合わない場合は表定速度差で係数掛ける必要があり正確性落ちますが、この駅で普通列車追い越すとか、優等列車同士の待避運転停車はどちらがする?と予測し確認するのが旅の楽しみでもありました。


ではまた。

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