Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前の鉄道P誌1963年2月号➍トピックス

同号最終回は時代を表わす各地のトピックスからです。

【鉄道P誌1963年2月号表紙】


◆各地のトピックス
同号掲載の話題です、東京五輪開催1年半前の慌ただしい時期です。

【昭和37年12月 左:新宿 右:下十条】
63系から73系に生まれ変わった旧国電です。 101系登場5年後、103系登場前年で、新宿駅撮影は総武線緩行だと思います。 103系が山手線・中央線に投入されて101系は写真両線などへ、押し出された73系は南武線/横浜線/などに流れて行きました。

長らく総武線緩行終点は複々線区間が終わる中野でしたが、地下鉄東西線乗り入れを控え、三鷹まで高架複々線化する工事が急ピッチで進められてました。 当時東京西郊の通勤圏は八王子~高尾まで、それ以降上野原、大月まで広がったのは隔せの感があります。

【完成迫る根岸線 昭和37年12月15日】
昭和37年10月開業予定の根岸線、桜木町-磯子間麹進捗状況が紹介されてます。 横須賀線と京浜急行線沿線に限られてた横浜南西部開発を面に広げる契機になった路線です。

キハ36はキハ35のトイレなし形式で両数が少なくトピックになったのでしょう。 キハ10系狭幅と20系の凸凹編成は各地で良く見ましたが30系が加わった3系列4連は始めて見ました、両国に蒸機が居た時代です。

ワムやワラを牽くと子供が大人の手を引いてる様に見える入換用DLと言うより『貨車移動機』の方がピタリ来るサイズです。 1968年昭和43年に原宿駅貨物側線に停車してるのを目にし1/80図面を起こし超小型自作モーターを製作した話を以前紹介しました。

昭和37年末に北千住駅で工事車両の脱線転覆事故が発生してます。 地下鉄日比谷線の東武乗り入れ後であり、事故発生現場が東武線か国鉄線かは不明です。 以上首都圏でした。

中部エリア最初は信越本線電化です。 新幹線建設で廃止や第三セクター化により3ヶ所に分断されズタズタになった信越本線、その真ん中、篠ノ井-長野間の61年前の姿です。

当時の鉄道雑誌に度々登場した名鉄パノラマカー、その登場前はこの5500系が特急用車両だったと知りました、京王特急に良く似てます。

コレは試作で終わった失敗作とも言えるDD15ラッセル、初期所属が新潟は納得ですが、製造地が名古屋とは知りませんでした。

ファンの方には申し訳ありませんがキハ35系に良い印象がありません。 財政難時代製造の安っぽい外観とロングシート、ローカル線区で出会うと雰囲気台無しだったからです。 キハ35系が多く棲息したのが関西本線と北九州、関西本線にはこの時期進出した様です。

ED30については歌川模型が16番モデルを出してたのは知ってましたが実機は???、北陸電化交直接続区間で使われてたと知りました。 以上中部エリアのトピックスでした。

関西エリア最初の話題は正月帰省客用の待合所テント村です、上野r駅前にも毎年末テント村が現れました。 『12月30日20:30発▲▲行普通列車』と書かれた看板の後ろにロープが張ってあり、5-6列で並び、入線時間30分前頃に駅員の誘導でホームに移動するのです。


先頭は24H前でも不思議ではありません、指定席設定が少なく遠距離は国鉄だけでした。 新潟/秋田方面、山陰方面、九州方面への帰省客が集中し、線路容量目一杯の臨時列車増発でも追い付かない状況でした。

関西本線大阪-奈良間は通勤圏内であったと共に近鉄との競合区間で、乗車券だけで利用可能な快速列車にヘッドマークが付いたという話題です、混雑区間なのでキハ35系です。

大阪市営地下鉄は全く馴染みがありませんが、この時代にこれほどスマートな新型車両で8連運転してたとは驚きました。

前回紹介した南海6000系ステンレス車高野線乗入れの限界測定者です。 種車モハ2023の記載があるので南海電鉄在籍車両、小さな地方私鉄も限界測定車持ってたのでしょうか。

中国エリアからは消えゆく地方鉄道の話題です。 柵もない線路をゆく小さな電車と線路脇の狭い未舗装路をリヤカーを牽く自転車とバイク、如何にも昭和の田舎風景です。

山陰本線部分複線化のニュースです。 初の複線化が伯耆大山から伯備線を分岐し運転密度が高いこの区間になったのは当然と言えます。

この時点で直方機関区には多数の蒸機が在籍してました、運炭列車牽引用9600やD60です。 一方で運炭路線の旅客輸送DC化が進み、新設された直方気動車区には10系、20系、35系のDC多数が屯してました。

その直方気動車区の片隅ではキハ07x3両が休車になり、廃車を待ってました。 この少し前まで現役で活躍し、おそらくキハ35系投入で余剰になり休車になったと思います。

【鉄道P誌1963年2月号裏表紙】
『16番』はTMS主筆山崎喜陽氏が英国型1/76 OO(ダブルオー)、欧米型1/87 HOと同じ軌間16.5mmレールを走らせる日本型車両を1/80にしたらどうかと提唱して定着した日本独自のガラパゴス規格で、山崎氏は提唱者の責任から16番はHOではないと言い続けてました。


山崎氏健在のTMS誌上ではこんな事はなかったのですが、業界の雄天賞堂が鉄道P誌では堂々とHOを詐称してます、混用は当時からあった様です。 筆者はNなので関係ないのですが、16番をHOと呼ぶ人達は正真正銘のHO、1/87、12mm軌間を何と呼ぶのでしょうか。


ではまた。

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