Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前の鉄道P誌1963年2月号➌C57特集

前回に続き今回はC57特集です。

【鉄道P誌1963年2月号表紙】


◆C57特集
前回紹介のC55とC57は形式名が違いますが、昭和10年~昭和12年にC55が62両製造され、増備車に様々な改良を加えてた結果。C55 63⇒C571 と形式名を変更したのが実態です。

【C57 一次型左側面】
C55二次型とも言えるC57一次型は昭和12年-昭和15年に138両製造され、多くの部分がC55と共通です。 外見上の大きな相違点は動輪がボックス動輪になった事です。

【C57 一次型右側面】
戦前に増備された139号機から169号機が二次型で一次型と基本形状は同じですが全長が若干長く、テンダー台車が板台枠の違いがあります。

【C57 一次型 蒸気機関車スタイルブック1962年版より】
国鉄蒸機の中で最も伸びやかでスマートな外観から『貴婦人』の愛称があるのはご存じの通りです。 しかしこの愛称を与えられるのは戦前に製造された一次型と二次型だけです。

【C57 四次型 蒸気機関車スタイルブック1962年版より】
戦後の旅客輸送急増に対応する為、170号機から189号機の三次型、190号機から201号機の四次型が昭和22年までに製造されました。 三次型以降はC58やC59の設計思想を多く取り入れ、別形式と言って良いほど大きな変更を受けて、初期型の優美さを失いました。

【C57 四次型 蒸気機関車スタイルブック1962年版より】
一次型二次型との相違点は船底型テンダー、プレート先輪、そして何と言っても大きな差が密閉式キャブで、C57一次型とC59を並べると、C57四次型はC57.8ほどの混血児です。

三次型を第一次戦後型、四次型を第二次戦後型の呼び名もあった事が解ります。 九州のC57はC51の職場を奪いながら全域で活躍し、電化とC59/C60進出で追われる立場になり、次第に日豊本線に集結しました。

【元機関士懐旧談の一節】
九州で機関士をされてた方の懐旧談が掲載されてます。 その中でも戦後製造の三次型、四次型の現場の評判は良くなかったと書かれてます。

九州ではC57にも門鉄型デフが装着されました。 昭和28年3月から戦後初の山陽九州方面へ運転された特急『かもめ』の九州域内牽引機をC57が務め、その後登場した特急『さちかぜ』⇒『平和』⇒『さくら』の博多-長崎間牽引機をC61にバトンタッチするまで務めてます。 九州で20系ブルトレをヘッドマークを付けて牽引するC57の姿が見られたのです。

タブレット受け器装着で邪魔になるナンバープレートを前方に移動し、キャブからはみ出してる四次型191号機の珍しい写真です。

【C57配置表】・・・△はj重油併燃装置付
1962年、昭和37年には製造された201両中196両が現役稼働、四国を除く全国に配置されてました。 その後電化と旅客列車無煙化により1964年から廃車が始り、60年代末までに半減しました。 筆者貧乏旅時代にC57が多く在籍してたのは羽越/山陰/日豊本線でした。


★ファーストナンバー物語
SL山口号を牽引し動態保存されてるC57 1の当時の消息紹介です。

昭和24年から昭和29年の5年間、C57 1は千葉機関区に所属し房総方面の貨客列車牽引に使われてました。 幹線のスターからいきなりどさ回りの旅役者に落された感じです。

これが総武線稲毛-西千葉間で軽貨物を牽く73年前のC57 1です。 後方には緑の岡と果樹園(梨?)と思われる畑が写ってます。

昭和29年10月に新津機関区に転属して以来昭和37年まで新津に留まり、当時の日本海縦貫線花形列車急行『日本海』牽引で、再び日の当たる場所で働いてました、しかし・・・。

昭和36年に事故に逢い、現場に2ヶ月放置後5ヶ月掛けて修復、ファーストナンバーでなければ事故廃車は間違いなかったという関係者の話には頷けます。 昭和37年1月撮影なので復旧4ヶ月後の撮影です。 それでは全国で活躍してたC57の雄姿を見て行きます。

北から南へ、最初は石勝線開通で廃線になった旧根室本線狩勝峠越えのC57です。 10両編成の旅客列車をD51後補機付きで牽引してます。 昭和35年3月28日撮影です。

小樽-札幌間函館本線の旅客列車を牽くC57です。 無煙化前に度々北海道を訪問してますが、不思議と北海道のC57の記憶がありません。

撮影場所の東北本線蓮田-白岡間にはタイムスリップ感があります。 筆者が時刻表を通じて鉄道に興味を持った頃は黒磯まで電化でした。

直江津駅での撮影です、『表縦貫線?』鉄道P誌当時の校正はミスが多かった様です。

参宮線鳥羽付近で昭和31年3月に撮影されたC57です、亀山機関区所属と思われます。

学割均一周遊券で山陰本線沿線を旅したのは1971年夏と1974年春の2回です。 初回は旅客列車の一部がDF50牽引になってましたが、まだまだ蒸機が多くその主力がC57でした。

かつて九州で特急牽引機だった11号機は電化で職場を失い晩年を山陰で過ごしてました。  C57特集なら日豊本線で活躍する画像が1枚入ってても良いのですが、何故かありません。 出逢った機会は少なくてもC57一次型は好きな蒸機でKATO発売時に購入してます。


ではまた。

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