Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前のTMS 1967年2月号 後編

前回は作品グラフ紹介から窓枠製作技法に話が飛び、紙数を使い果たしてしまいました。 今回はその他の掲載記事からです。

【前号より転載】
名古屋駅JRホームで名鉄8000系を見た経験を前回書きましたが、名鉄は全く馴染みがなく疑問が湧きました。 名古屋を中心に豊橋-岐阜間が本線で国鉄と競合してた程度の知識しかありません。 沿線住民を下呂温泉や高山へ観光誘致する為の列車で、高山本線に乗り入れてると理解してました。 名鉄⇒JRの移行駅は岐阜でなく名古屋だった様です。


2.立教祭の運転会
前年11月に開催された立教祭運転会の様子をTMSが取材しレポートしてます。 立教は一貫教育校で、青山学院と並びミッション系の学園で、独特な雰囲気がありました。

大学キャンパスは池袋西口にありました。 当時の池袋は新宿や渋谷に並ぶターミナル駅でしたが、うらぶれたイメージがあり、場末の盛り場的に世間から見られてました。

付属中学に鉄道模型クラブがあるのは、裕福な家庭の子弟が通ってた事を表わしてます。 公立中学校では有り得ず、私立でもごく一部だったと思います。 『中学なしいこじんまりとした』と書かれてますが、推定2.5mx4.5mで1教室を占有してます。

立教高校は大学のある池袋から東武東上線で小1時間の埼玉県志木にありました。 通常教室より広い実験室を1ヶ月前から占拠して準備を進め、全長6mの大吊橋が圧巻です。 中学時代からレイアウトに親しみ、高校、大学に進学しても受け皿がある幸せな環境です。

頂点に立つ大学では、来場者が見て楽しめるコンセプトのレイアウト展示を行い、近代国鉄花型車両160両が並んだそうです。 写真を見る限り市販品が多い様で、平均¥2,500として総額40万円、貨幣価値換算すると現在の300万円です。 自作車輛もあり、バイトに精を出した苦学生会員が居たかもしれませんが、羨むのは庶民の僻みでしょうか。


3.新製品紹介
3-1. EC40
非常にマニアックな電機キットが鉄道模型社から発売されてます。

国鉄最古の電機とは書いてありますが、何処にもアプト式でED42の前任とは書いてありません、当時の鉄道ファンには常識中の常識で書く必要がなかったのでしょう。

現在第三セクター化されたしなの鉄道軽井沢駅に静態保存されてる、かつての碓氷峠越えの主役です。 鉄道模型社が『エコノモ・シリーズ』と名付けた低価格スケールモデル第1作で、モーター付きで¥2,000は非常に安い価格設定でした。

キットと言ってもビス止めだけでなく5-6ヶ所半田付けが必要です。 実物がどうだったか知りませんが、ポール集電を基本に、パンタ装着も可能な設計になってます。

キット構成パーツを並べたところ、TMS編集部が組み立てると、一部の干渉部分を削るだけで、1時間で完成したそうです。

明治の車両の特徴緩衝器とエアーホースはオプション設定です。


3-2 ク5000
国鉄貨物輸送はすでに斜陽時代に入ってましたが、時代変化に合わせ新しい貨車も登場してました、急行貨物専用ワキやコンテナ専用コキ等です。

そんな中で一際時代変化を端的に表してたのが車運車でした。 全長20mの特殊貨車を模型化したのは天賞堂、同社製品らしくカッチリした仕上がりと評価してます。

¥1,300の価格は貨車として高額で、他社Mなし中間車並みですが、複雑な構造を考えると決して高くないのかもしれません。 現在車の陸送をJRは行ってない様で、形式名『ク』の貨車は短命だった様です。


3-3. 小型モーター
新製品紹介最後は小型モーターです。 16番では自作車輛が多く、常に車輪、台車、ギアボックス、カプラーと共にモーター在庫してました。

当時小型モーターとしてカツミのDH-10が良く使われてました。 『D』は直流を『H』(ホリゾンタル)は棒型を表わし、数値がサイズ、蒸機に使われるDH-13(15?)より小型で、床下に取り付けて室内にモーターが見えない用途に使われました。 ただし高速回転型でトルクが弱い欠点がありました。 新世代(当時の)小型モーター一覧です。


関水金属(KATO)が103系搭載モーターをパーツとして販売したのが最小型モーターになってます。 カツミDVの『V』(バーティカル)は縦形を意味します。 電車模型に良く使われてた標準品のDV-18の直径18mm回転子を13mmに小型化した物です。

ペーパー車体キットを充実させてた小高模型が、小型の縦型と横型のモーターを発売してました、目にした事ありません。


4.ひかりに続く車輛たち
TMS片野氏のペン画と赤井氏の文で続いた人気シリーズ『陸蒸気からこだままで』は1963年12月号で完結しました。 その後翌年開業した新幹線を加え『陸蒸気からひかりまで』として特集シリーズに加えられました。 これはその後掲載された続編です。

電車特急時代の幕を開けた151系のインパクトと人気は絶大で、『こだま型』が特急電車のスタンダードになりました。 直流用は161系、181系と進化しましたが、他地域の特急電車には交直両用が必要でした。


481系/483系の登場により、上野-仙台/山形、大阪-金沢/博多にも特急電車が走り始めました。 交直両用の場合、東日本50Hz地域用と西日本60Hz地域用で機器が異なり形式名が異なり、この481系/483系までフォローできましたが、急行型、通勤型は諦めました。

当時は貨物列車と別に荷物専用列車が運転されてました、現在の宅急便の役割を担ってたのです。 と言っても駅留めで駅まで引き取りに行かなくてはなりませんでした。 この分野でも無煙化が進んだ様で、旅客用キハ改造のキニ列車が走ってた様です。 15年後には手小荷物扱いを終了しており、国鉄が物流王者から転落した時代のあだ花的車輛です。

大型F級電機は50番台と60番台の間に技術とデザインの隔絶があります。 EF60以降の新型電機は洗練されてスマートだけど、没個性の『効率良く走る機械』になりました。


寿命の長い電機で、つい最近まで地元中央本線で活躍してたロク・ヨンには馴染みと愛着があります、還暦近くまで働いてたのですね。

電機が直流機だけだった時代から、交直両用機の時代へ、EF70/EF80までは付いていけたけど、交流専用九州内限定となるともうお手上げ、DD51の様に6輪あるのにD型機というのも異邦人を見る感覚でした。


この号ではまだ書きたい事がありますが、長くなってしまったので、ここで一旦終わりにします。[後編完]


ではまた。

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