房総の鉄道 Vol.3 在籍車両の変遷
シリーズ3回目は房総を走った車両達です。 ただし客貨車は除外し、千葉まで電化時代で、旧型国電の101系置き換えが始まった頃なので、電車も除外します。

【タイトル画像】・・・房総西線 江見付近 1966.01.08
つまり、房総を走った車両達とは、蒸機・気動車・DLの話になります。
★民営鉄道から引き継いだ蒸機
民営鉄道国有化で発足した房総鉄道網なので、1907年(明治40年)国有化時の引継ぎ車両(動力車)は全て蒸機です。 蒸機国産化前で欧米からの輸入機でした。

総武鉄道から24両の蒸機を引き継いでます。 両国-千葉間の貨客輸送量が多く、運転密度が高かったので、多くの蒸機を保有してました。

【総武14号機(鉄道院1300形)】・・・ウィキペディアより
総武鉄道5000形は米国ボールドウィン社製Cタンクロコで4両あり、国有化後1300形の形式名を与えられました。 総武鉄道も3等級制だったと思われるので、このタンクロコが木造ダブルーフ客車4-5両牽いてたのでしょう。 鉄道省設置は1920年(大正9年)でした。

総武鉄道と同時に国有化された房総鉄道から9両の蒸機を引き継いでます。 両数が少ないのは、路線長が総武鉄道の2/3程度で、運転密度が低かったからでしす。

【鉄道院400形・500形・600形】
房総鉄道9両中6両を占める500形・600形は、英国から輸入した1B1軸配置のタンクロコで、国有化後400形・500形・600形の形式名が与えられました。 13年遅れで国有化された成田鉄道から7両の蒸機を引き継いでますが、全機500形・600形でした。

機関庫設置場所と変遷です、総武鉄道は本所(錦糸町)・佐倉・銚子の3ヶ所に、房総鉄道は本千葉に、成田鉄道は成田に機関庫設置状態で国有化されました。 その後、鉄道省延伸開業の内房・外房先端の安房北条と勝浦に機関庫を追加設置してます。
大正末から昭和期に入ると、鉄道省としての整理統合が始まり、1929年新金線開業により、本所(錦糸町)から新小岩に拠点を移し、1935年津田沼電車区開設、1954年新小岩客貨車区開設及び、後に『気動車王国』と呼ばれた房総の基地千葉気動車区開設が目を引きます。 一方で気動車大量進出で1961年千葉機関区が廃止されてます。
★房総の車両配置の変遷
さて、どんな形式の蒸機が房総で働き、『気動車王国』と呼ばれるようになったのか、年代を追って1931年-1965年の推移を見て行きます。

1枚の表にすると文字が小さくなるので、2枚に分けてます。 1931年(昭和6年)に純国産新鋭蒸機9600・8620・C50が配備されてますが、他幹線で使用された輸入中型・大型蒸機多数が房総に配備されてました。

【輸入大型蒸機8850形】・・・ウィキペディアより
8850形は1911年に欧州ボルジェッヒ社から機関車単体12両輸入し、テンダー国内製造した形式です。 1913年に川崎造船所でコピー機12両製造しており、その経験が純国産蒸機に活かされました。 1937年・1947年の房総は8620王国だったと表から解り、また木更津に気動車配備があります。 1937年に消えた入換機B10が気になり調べると。

【鉄道省B10形機関車】・・・ウィキペディアより
B10型は国有化前の九州鉄道がプロイセン(ドイツ)クラウス社から輸入したBタンクロコで、小型で高性能な事から川越鉄道・甲武鉄道・両毛鉄道も輸入しました。 輸入25両中の23両が国有化時に引き継がれてます。 両毛鉄道が房総鉄道に譲渡した記録(房総6号機)が残っており、国有化後の余生を房総の入換機として働いてた様です。

房総全体を俯瞰すると、1931年-1947年の16年間に在籍蒸機数は変化がなく、旧型小型蒸機に替わり8620大量配備で輸送力増強を図ってきた様子が読み取れます。 また気動車王国になる初期の機械式気動車配備も見逃せません。

【6760形】・・・・蒸気機関車スタイルブック1962年版
9600・8620と共に、同時代生まれの4-4-0軸配置の6760も多数房総に配備されてました。 8620と共通設計の旅客用軽快な蒸機でしたが、早期に廃車された為、見る機会はありませんでした。 次に1952年-1965年の配備車両を見て行きます。

1952年に気動車は木更津に11両集中配備されてます。 蒸機はC57・C58・C12の新鋭機が配備されてますが、両数は大きく減ってません。 1957年には1954年開設千葉気動車区に液体式気動車キハ10系を大量配備し、気動車王国の幕が明けてます、また新小岩に房総初のD51が配備されてます。 1965年には千葉気動車区在籍車両が3倍近く伸びてます。

房総全体を俯瞰すると、8620王国は1957年まで、本線本務機は新鋭機に取って替わられ、入換運用主体になり、蒸気漸減と共に1965年にはDL10両が配備されてます。 なお1952年成田線配備のC51は軸重が重く軌道劣化が大きく、小山機関区に転籍しました。
気動車は1952年には天然ガス動車含めた機械式だけでしたが、液体式10系・20系・30系・準急用55系の大量投入により、1965年には250両の気動車王国になってます。
★新潟の天気予報
理想的には3日、最低2日の長岡好天日連続を期待しウヲッチしてますが・・・。

立春を迎えましたが、降水確率50%未満は2日と続かずまだ機会が訪れません。
ではまた。