Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

釜石製鉄所専用線の話

昨年9月鉄道P誌に掲載された1枚の写真が気になり、次の記事を書きました。
★1枚の写真から・・・2024.09.11更新

【同記事より転載】
結局場所は釜石、被写体は釜石線準急『陸中』と、並行して走る釜石製鉄所鉱山専用線と解ったのですが、廃止間際のこの鉱山専用線訪問レポートがあったので紹介します。

執筆者が訪問を思い立ったのは、間もなく姿を消すと言う新聞報道がキッカケでした。

【新聞報道記事写し】
こちらがその新聞記事写し、『国内3番目に開業』とか『ある時期は旅客も扱う軽便鉄道』とか興味をそそられる内容が並んでます。

廃止直前の路線図を見ると、製鉄所構内から出て釜石線と合流し、その先県道に沿って陸中大橋まで16km伸びてます。 陸中大橋?、以前ブログで紹介したと思い出しました。
★釜石線 陸中大橋駅・・・2022.06.18更新
シーナリーガイドK氏の訪問レポートで『ループ線とホッパーと』のサブタイトルが付いたTMS掲載記事からの紹介でした。 当時給水タンクが完成に近付き、次に製作予定の採石場ホッパーに関する資料収集してた頃の記事でした。

【過去記事より陸中大橋駅構内線形】
路線図でも陸中大橋は国鉄駅とは別なので、陸中大橋駅構内図に762mm軌間の鉱山専用線レールや駅施設は出てません。 それもそのハズ、TMSj掲載号は1967年3月号、K氏訪問は1966年秋と考えられ、鉱山専用線は1965年3月末で廃止されてたからです。

【過去記事より転載】
廃止理由は釜石市内交通渋滞が酷く、県道拡幅工事に鉱山専用線が邪魔になった事は以前の記事に書きました。 今回の訪問記で国鉄線から新たに製鉄所構内へ引込線を敷設し、鉱石輸送を国鉄が肩代わりしたと解りました。 その結果輸送量増加で旧ホッパーでは不足し、写真の新大型ホッパー増設になったと納得できました。 製鉄所歴史を調査しました。

と言うのは鉱山専用線は釜石製鉄所の私鉄(社線)だからです。 釜石製鉄所は官営で設立操業開始するも上手く行かず3年で閉鎖、払下げを受けた民間の力で事業化に成功し、以降戦争と東日本大震災を挟んだ時期に様々な変遷があり、今日に至ってます。


訪問した鉱山専用線廃止時は富士製鉄釜石製鉄所時代で15年続いてました。 1970年から42年続き、ラグビー9連覇を達成した『新日鉄釜石』の前身で、現在は室蘭製鉄所と併せて日本製鉄北日本製鉄所になってます。 続いて鉱山専用線の歴史を見ていきます。

官営釜石製鉄所操業開始に合わせて官営鉱山鉄道が敷設されました、838mm(2フィート9インチ)の特殊軌間でした。 これが新橋-横浜間、京都-神戸間に続く国内3番目の鉄道敷設でした。 しかし官営釜石製鉄所閉鎖に伴い2年半後に全廃されてます。 レールと機関車は阪堺鉄道(後の南海)に売却され、阪堺鉄道は838mm軌間でスタートしたそうです。

釜石製鉄所が払下げられ民間の手で操業開始した1887年の7年後、馬車鉄道が762mm軌間で開業しました。 1911年蒸機運転切替で軽便鉄道になり、国鉄(省線)釜石東線の並行開業で一般旅客・貨物輸送廃止、釜石線全線開業で通勤旅客輸送廃止し鉱石貨物専用線になってます。 この間経営母体も個人から法人へ、その法人もコロコロ変わる複雑さです。

訪問時の鉱石貨物専用線は、日に12本の鉱石列車が陸中大橋-製鉄所間に運転されており、粉砕した鉄鉱石を満載した8.8t積コソ型貨車16両編成を、C1形20tタンク機関車206-209号機が牽引してました。 G1形の特殊な軸配置は軸重の関係で決まってます。

【209号機静態保存】・・・ウィキペディアより
陸中大橋から製鉄所まで連続下り勾配なので、206-209号機はエアブレーキを装備し、国鉄単式と同型コンプレッサと大型エアタンク2個を機関車の左右に、重油併燃用角形タンクをボイラー上に装備してました。 機関車名は20tの6-9号機で命名されてます。


機関車はこの他蒸機4両、DL数両ありますが、いずれもエアブレーキ装備がなく、構内入換専用です。 軽便鉄道時代の客車は1950年の旅客輸送完全廃止時に売却したと思われますが、実に多くの貨車が在籍しており、用途が解りません、除雪車も含まれてるでしょう。

 

【釜石鉱山専用線在籍貨車一覧】
おそらく形式名『コ』が鉱石運搬車で、本線(陸中大橋-製鉄所)に使用するのはエアブレーキ装備のコソ8.8tの65両だけで、他は全て構内用です。 149両のコソ8tはエアブレーキ導入前に本線で鉱石運搬に使用されてた貨車だと思われます。 記録は残ってませんが暴走事故をキッカケにしたエアブレーキ導入だったかもしれません。

16kmの距離を所要時間片道50-55分でした。 20km/h弱の速度で鉄鉱石を170t/日運んでた訳です。 高炉は24H操業なので、これが釜石製鉄所1日の消費量だったのでしょう。


廃止後700両を越える在籍貨車は何処へ行ったのでしょう、一部は他の鉄道に譲渡されたのでしょうが、大部分は廃車されたのでしょう。 釜石と遠野・花巻を結ぶ県道は幅員6-8mの片側1車線から⒗-20mに拡幅されました。 交通手段主役交代の縮図の廃止でした。


ではまた。

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