雪景色三題
前回今年の初工作記を更新し、レイアウト製作ブログの面目を保ちましたが、アクセスもINポイントもさっぱり、『下手な工作記休むに似たり』で、工作記にこだわる必要はなさそうです。 どっと疲れが出た訳ではありませんが、今回は写真数枚の軽い話題です。
【新庄機関区】・・・過去記事より
新庄は山形県北部の交通の要衝であり経済の中心地です。 学生時代に通過経験はありますが記憶はなく、勤務先工場があったので、自分が設計した製品の量産立ち上げ時に、急行『津軽』寝台車で朝5時過ぎに到着し、3線の機関庫を眺めた記憶が数度あります。
その3線機関庫内からの撮影です。 新庄は山形-秋田間の横手と並ぶ拠点駅で、陸羽東/西線分岐駅なので大機関区がありました、扇形庫でないのが不思議なくらいです。 3線庫で6両あるいは9両収容でしょうか。 積雪地なので各線出口には開閉式扉が付いてます。
撮影された1964年データがないので1965年機関車配置表によると在籍機は8620-2両、C58-4両、D51-16両の26両でした。 当時往復共に夜行急行で7時間以上掛かった新庄は、山形新幹線延伸で3時間半で行ける様になり、日帰りが可能になりました。
1963年3月は軽井沢-長野間電化を3ヶ月後、アプト式廃止を半年後に控えたED42最後の春でした。 横川-軽井沢11.2km区間を28両のED42が4両1チームで昼夜貨客輸送しても、日に48本の列車しか運転できなかった輸送力のネックが間もなく解消される時期です。
ED42は半年後廃車、現在は盲腸ローカル線終着駅に落ちぶれた横川が、特急含む全列車が機関車連結解放の為に5分前後停車し、『峠の釜めし』大繁盛の時代でした。 その状況はアプト式廃止後もED42がEF63に代わっただけで、長野新幹線開業まで続きました。
準急『あさひ1号』最後尾からの撮影です。 この列車は仙台と新潟を4時間50分で結ぶ都市間連絡優等列車で、奥羽本線羽前千歳-米沢間です。 雪の少ないシーズンで、特徴のある山並みから、地元の方なら撮影地を特定できるかもしれません。
当時の準急『あさひ』の役割は現在高速バスが果たしてます。 仙台-新潟間を4時間40分で結び、料金は¥6,000です。 何?急ぐ?、多様性の現在、3時間切る方法が二つあります、東北/上越新幹線大宮乗り継か、仙台空港からトキ・エアーで新潟空港へ、前者¥19,000、後者¥21,000ですがね。 いずれにしてもJR在来線の出番はありません。
ではまた。




