1枚の写真から
古い鉄道P誌に掲載された1枚の写真に目が止った、キハ58と小型蒸機が並走してる写真である。 撮影地、日時情報がなく余計気になった。
複線でなく並走区間である、左のキハ58は準急ヘッドマークを掲示しており、1961年から1968年のローカル線と解る。 当時のキハ58は腰から下は土汚れグラデーション、何故かオデコ部分も汚れて走ってた。
右は手前で離れてゆく支線の様で、蒸機は短い無蓋貨車編成を牽いてる。 その右は市街地と線路に挟まれた直線道路で舗装路に見える。 軽三輪トラックとバイクが走る如何にも昭和の風景は何処なのだろう。
悪い目で写真の出典を探すと、遠く離れた78ページ片隅にあった、1965年の釜石だった。 左は国鉄釜石線、右は製鉄所鉱石輸送専用線で、自動車交通発展による道路拡幅の障害になると、撮影年に全廃された。 準急『陸中』は宮古/釜石と首都圏を結ぶ列車だった。
グリーン車含む9連の盛岡・釜石/宮古行急行『陸中』として上野を発車、常磐線経由で4-9号車が盛岡行、1-3号車が花巻で分割し、花巻-宮古間は準急として運転された。
当時の時刻表によると、上り『陸中』は花巻で単純な分割併合だが、下り『陸中』は花巻で分割の際、盛岡始発の準急『はやちね2号』併合になってる。 『はやちね2号』はグリーン車併結なので最低3両編成、釜石線、山田線を6(7)連準急が走ってた事になる。
軽三輪トラックと蒸機の走る間もなく廃止される鉱石輸送専用線が古臭い物なら、舗装道路と三陸沿岸の片田舎から首都圏直通優等列車は新しい時代の息吹、全ての物が急速に変化し、良し悪しを考える間もなく押し流された時代の空気感を良く表した1枚である。
ではまた。



