Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

国鉄黄金時代回想録⑯中国・四国➋

新幹線開業前夜復刻版時刻表一冊をネタにしたシリーズ続編です。

【復刻版1964年9月時刻表】


◆関西圏始発の特急列車
首都圏始発特急列車が東海道13本、東北・上信越4本の17本あるのに対し、関西圏始発特急列車は首都圏と結ぶ東海道本線の7本除くとたった4本全部で11本です。 昼行で広島・宇野を結ぶ2本と九州方面ブルトレ4本を加えると、関西圏停車特急17本は首都圏と同じです。


しかしダイヤ編成は首都圏優先、ブルトレ4本では『さくら』が京都23:13発、大阪23:50発で夜行利用可能ですが、他は真夜中『みずほ』『あさかぜ』は神戸通過です。 関西圏始発九州方面夜行は急行だけで、バランス的にはブルトレ特急があって良かったと思います。


➊特急『かもめ』
関西圏始発特急は全てキハ82系DCで、『白鳥』は紹介済みなので最初は『かもめ』です。

『かもめ』の列車愛称は『つばめ』『はと』と共に戦前から使用されており、最初は東京-神戸間でした。 この時代は京都-長崎/宮崎間、現在は博多-長崎間で使用されてます。

キハ82系基本編成2セットの14両編成は『白鳥』と同じで、7+6両の『つばさ』、7+5(旭川行食堂車なし)より長いフル編成です。 新婚旅行先が海外になるのは後年先の話、関西からの新婚旅行利用が多かったと思います、でも移動に丸一日、ハワイより遠いですね。


➋特急『みどり』
山陽路を走る特急は他路線に比べ多いですが東京始発ブルトレ4本は深夜早朝、昼行は前述の広島・宇野行2本だけで関西圏/山陽各県と九州を結ぶ特急として『みどり』が設定されてました。 『みどり』も現在は『かもめ』と一緒に博多-佐世保間で使用されてます。

博多を朝発夕方大阪着、大阪昼過ぎ発夜博多着のダイヤです。 博多から大阪日帰り出張は無理、最低1泊2日普通は2泊3日で往復夜行急行、『みどり』使用は片道だったでしょう。

【キハ82系DC】・・・ウィキペディアより
大阪-博多間特急料金800円、急行寝台車利用900円(上段)で同等です私用は別にして仕事は往復夜行が当り前だったと思います。 世はモーレツサラリーマン時代、昼間のんびり汽車に揺られてる贅沢は許されませんでした。 車中/機中でノートPCで仕事できる様になったのは1990年代末からです。

ところでこの『みどり』、12-14両編成の特急・急行が走る山陽本線では、山陽-山陰連絡線に乗り入れる準急並みの6両編成です。何故7両の基本編成にしなかったのか不思議です。


➌特急『まつかぜ』
サン・ロク・トウダイヤ大改正で日本海縦貫線『白鳥』と同時に誕生したのが山陰初の特急『まつかぜ』です。

京都・大阪と博多を13時間余で結んでます、鳥取・島根2県と関西・北九州を結ぶ花形列車です。 下りのみ全停車駅を記載しました、当時市制をしいていた山陰地方の都市で唯一停車しないのが江津市、三江北線起点駅にも係らずです。 なお上井は倉吉市の玄関です。

山陰特急で京都始発ですが大阪で乗客を拾うので福知山線経由です。 この時代の特急走行路線で福知山線は一番格下ですが途中停車なしの経路利用、上越線長岡-高崎間ノンストップの特急『とき』と同じです。

【国土地理院地図より】
『まつかぜ』停車駅東萩について補足と思い出を記します、現在も駅名改称されてませんが何故萩駅があるのに停車駅が東萩なのかです。 萩は日本海に突き出た指月山が城跡でその南に旧武家屋敷の市街が広がってます。


恐らく旧町屋の東側中心に発展し、東萩駅周辺が近代的(1970年代相応の)な政治・経済の中心地になっており、交通網の起点も東萩駅からで、それが停車駅選定の背景です。

【萩市環境協会HPより】
筆者初訪問は1974年4月、レンタサイクルで市内探訪しました。 駅前から3階以上の建物も広告塔も見えず、昔の街に迷い込んだ様な不思議な気分でした。 他では見ない土壁と幅が狭くカマボコ型のニガリで突き固めた未舗装路脇にこの風景が延々と続いてました。 高杉晋作生家では話好きの店番小母さんに捕まり、お茶一杯で何か土産物買わされました。

【松下村塾 萩市環境協会HPより】
タイムスリップ感から解放されたのは市街地を抜け観光客がチラホラ居た松下村塾でした。 1995年春21年振りに再訪しましたが、あまりの変わり様に愕然、ガッカリでした。

【萩市環境協会HPより】
それから更に26年、現在では観光資源として再整備されてる様ですが、昔を知る者としては『あの土壁じゃないとね』とか『このアングルからカメラ振るとマンション写るでしょ』とついつい皮肉な見方してしまいます。 萩駅前から見た1974年の風景は異次元でした。

最後に『まつかぜ』の編成は変則的な9両、『みどり』と同じ6両に米子まで3両増結です、山陰地方から関西圏・北九州への旅客密度を表してる様です。 最近つい頑張って画像数・文字数の多い更新してきましたが、無理は禁物、ゆるゆると参るとしましょう。


ではまた。

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