60年前1966年9月の鉄道風景❷
9月に入り雨続きで熱暑が去り、今年再開した延伸線製作再開の環境条件は整いましたが、一旦スイッチオフした製作意欲を再起動するのは容易ではありません。 製作部分の仕上り品質に視力低下を思い知らされ、乗り気になれない事が追い討ちを掛けてます。

【城址山地の現状】
一旦は納得して地表面まで製作した城址山地ユニットは、二段崖の不自然さと背景画余裕が足りないのが不満で、斜めに削り樹木の生えた斜面に作り直す事に決めましたが、なかなか再スタートの気が起きません。 好きでやる趣味が苦痛では無意味ですからね。
という訳で随想や旅行記で食い繋ぎです、前回の続きで、1966年の鉄道風景に想うアレコレを気の向くままに綴ります。

東急車輌が米国バッド社のライセンス供与を受け、1962年国内初のオールステンレス車東急7000系を登場させ、続いて京王が井の頭線用3000系を登場させました。 共に両開き3扉の18m級車でした。 3番目は南海6000系で、4扉20.7m車体を採用し、片側4枚の扉は流行の両開きでなく片開きでした。 本線・高野線両用で、基本編成は2・4両でした。
製造は72両に留まりました、同時期に同一設計で製造された鋼製車7000系が存在したからで、6000系は主に高野線用に、7000系は本線に使用され、2015円まで現役継続しましたが、通勤型車両の片開き扉に乗客は戸惑ったのではないでしょうか。

10月ダイヤ改正で直江津電化開業を控えた信越本線長野-直江津間では、長年同区間エースを務めてきたD51が最後のご奉公中でした。 幹線電化工事が進展する度に、大型蒸機職場が次々奪われ、老朽廃車ではない余剰廃車が進んだ時代でした。

D51に替わり長野-直江津間エースになるEF62が直江津機関区に配備されました。 EF62は碓氷峠をEF63と協調して粘着運転で越える特殊装備と、線路規格が低い前後区間本務機を務める信越本線専用機関車で、軸重軽減軽量化の為、C-Cの軸班列が採用されました。

日豊本線は10月ダイヤ改正で小倉-新田原間電化開業を控え、並行して複線化による輸送力向上を目指してました。 首都圏・関西圏に加え、北九州圏でも通勤通学需要が急増してたのでしょう。 大分国体開催に間に合わせるべく工事が進んでた様です。

複線化工事区間では、土地収用問題で工期遅延してる箇所もあり、完成した上り新線使用で下り特急『富士』が運転されてる姿が見られました。 鹿児島本線経由のブルトレ特急『はやぶさ』はC61牽引でしたが、日豊本線経由特急『富士』はDF50牽引でした。 煙害防止が理由だったと思われますが、日豊本線の長大トンネルは思い当たりません。

日豊本線の複線化は、完成部分から順次開業だった様です。 複線運用開始区間と単線区間境界には信号所が設置され、仏埼信号所もその一つだったのでしょう。 写真は単線区間で、完成後下り線になる旧線を上り列車が走ってます。 当時の日豊本線客レ主役はC57でした、C57は戦前型のスマートな姿が魅力です。 昨年末新津駅で『ばんえつ物語号』牽引C57 180に出逢いましたが、戦後型には感激ありませんでした。

9月15日が『敬老の日』に制定され祝日になったのは60年前1966年でした。 初の敬老の日を記念し、大阪鉄道管理局は、白浜行特別列車『長寿号』を運転しました。 片道3時間の白浜日帰り温泉旅行だったのでしょう。 年齢条件を付けて別料金不要特別列車、往復運賃割引価格のお得な旅だったと思われます。

それにしても発車前天王寺駅で修祓式とは大仰な演出です。 キハ7連がほぼ満席とあるので、特別列車に500人以上の乗客、営業的にも成功した様です。

抜け目ない関西商魂がこの機会を逃すハズがありません。 近鉄は修学旅行用編成6連で、お伊勢参り『長寿号』を運転してます。 関東大手私鉄では東武日光・鬼怒川行『長寿号』や、小田急箱根湯本行『長寿号』を運転しなかったのですかね。

10月運転開始の特急貨物列車の慣熟運転が東海道本線でEF65重連がボギー貨車50両牽引で行われてました。 この時製造された冷蔵貨車は、分割民営化時のJR貨物に1両も引継がれませんでした。 トラック輸送に大半を奪われ、残った鉄道輸送荷姿が、私有冷蔵コンテナに移行したからです。 鉄道貨物輸送は、コンテナとタンカーだけになりました。

一般に『ステンレスカー』と呼ばれてる鉄道車両には2種類ありバッド社ライセンス供与で東急車輌が製造した台枠までステンレス鋼の全ステンレス車と、台枠や見えない部分に普通鋼を使用したステンレス車体車です。 東急で7000系以前に製造された5200系・6000系はステンレス車体車でした。 東急7000系と同時期登場した営団3000系もステンレス車体車で、その証拠に多くの車両製造メーカーで製造されてます。
東西線用に製造された営団5000系もステンレス車体車で、関西車両製造工場で完成した増備用5000系が、1編成完成の都度、新製車・譲渡車等を貨物扱いで輸送する場合の甲種輸送で東海道本線で東京に送られました。

近鉄2400系は両開き4扉20m車の大阪線用2代目で、抑速ブレーキ省略の名古屋地区用1800系や、細部仕様が異なる派生形式を含め300両以上製造され、1960年代後半から1970年代の近鉄を支えた通勤型です。 関東東武の8000系の様な存在でした、

東急田園都市線高津-二子新地間複線高架完成で、二子橋併用軌道名残が解消してます。

筆者の幼時、母の帰省先館林駅で見た蒸気機関車東武4-4-0が廃車後保存される事になり、伊勢崎線羽生から秩父鉄道線、秩父鉄道寄居から東上線経由で、39号機が下板橋へ、40号機が川越市に回送されました。
爾来60年、現在を追って見ると39号機は昭和鉄道高等学校に保存された後、三岐鉄道に2002年譲渡され、現在貨物鉄道博物館に屋根付きで保存されてます。 三岐鉄道は国鉄払い下げを受けた同型5545機を1948-1955年使用実績があったからです。 40号機は埼玉県宮代町役場に保存され続けており、2017年再塗装を実施し、良好な状態の様です。
ではまた。