Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前の鉄道P誌1964年2月号③D50特集

鉄道P誌1964年2月号はD50特集号で、それが入手理由です。

【鉄道P誌1964年2月号表紙】
表紙は紀勢本線紀伊田辺付近で貨物列車を牽くD60で1963年12月撮影です。 D50は9600の10年後、大正末期登場で国産最強力機として設計されました。 9900型として生産開始され昭和3年の呼称改正でD50になり、同時期のC51と共に戦前の貨客輸送を支えました。


D50登場は自動連結器採用時期に重なり、その牽引力を基準に貨物列車長、駅本線有効長の基準が定められ、D51/D52へ続く系譜の基になる機関車発展史上重要な位置を占める蒸機ですが、9600とD51の間に埋もれ、認知度も人気もパッとしない地味な存在になってます。

【某中古品販売サイトより】
モデル化車輛欠乏症状態のNゲージ、どこかが模型出してるかと調べたらありましたね。 ちなみに140号機はD50現役稼働最後の1両で、現在梅小路に静態保存されてます。

【某中古品販売サイトより】
ついでにD50同級生とも言えるC51はどうかとググってみると、やはりマイクロエースから出てました、大手がやらない処で土俵を変えて戦うしかないNo.3の悲哀を感じます。

【磐越西線中山宿SB駅のD50】・・・1960年10月
D50とC51は筆者にとって数年間に合わなかった蒸機で、共に現役時代の姿を知りません。 D50はその気があれば北九州まで出掛ければ間に合ってるのですが、撮り鉄趣味がなく目にする機会がありませんでした。

掲載1963年末配置表によると全国に分散配置されてます。 幹線用強力蒸機は電化により早期に職場を失う宿命を背負っており、一部がより線路規格が低い線区で運用可能にする2軸従台車化改造を受けD60になってます、D52⇒D62、C59⇒C60と同じ手法です。

D50より10年古い9600は設計に携った方の回顧録が掲載されてましたがD50にはありません。 D60改装は戦後国鉄浜松工場で最初に行われ、第2陣として長野工場で実施されたD60改装工事回顧録が掲載されてます。

国鉄長野工場では1952年-1956年の簡に15両のD60改装を行ってます。 前後の所属機関区から高線路規格路線から低い池北線、横黒線、筑豊本線等に職場を移した事が解ります。

従台車2軸化するだけでも結構な苦労があった様です、計画時は車齢の若いD60で9600早期引退案がありましたが、曲線通過性能に難がある事に加え、現場からの猛反対に逢って実現しませんでした。 9600が名機の証明であり、この時代はD51と共通運用されてました。

国鉄はD51余剰でD50/D60廃車計画を立てました。 この時代に幹線電化が進み1963年11月配置表から2年間の余剰D51発生予定が140両と2/3になり、D50廃車が一気に進みました。 筆者が一人旅できる様になった1960年代後半は北九州にわずかに生き残るだけでした。

【久大本線 恵良-引治間 1958年3月】
久大本線の客レ本務機を務めるD60です。 見た経験なくスタイルブック/鉄道雑誌や模型作例見ただけという点では古典輸入機やC53と同じですが、何故か懐かしさを感じます。

【八高線 寄居駅 1962年9月】
それは恐らく1960年代を共に過ごした仲間意識の様な物で、機関車が懐かしいのではなく活躍写真に写り込んだ時代風景に郷愁を感じる様で、拙レイアウトコンセプト『昭和40年代の鉄のある風景』に通じます。


写真寄居駅は長閑な雰囲気ですが、国鉄八高線と秩父鉄道の交点、かつ東武東上線終点の拠点駅で、秩父盆地で生産されるセメントの原料・製品輸送が八高線貨物輸送の柱でした。 右手島式八高線本線ホームとD50貨物列車停車の貨物側線、左手奥に見える私鉄ホーム間の数本の側線が、寄居駅で貨物入換作業が頻繁に行われてた事を表してます。

【紀勢本線 紀伊内原-紀伊由良間 1963年5月】
なだらかな築堤上を進むD60の牽く貨物列車です、筆者が惹かれるのは周囲の風景です。 左手の多分未舗装路は背後山の小さな尾根谷に合わせうねってます、小さな集落の家々にはハウス系のモダン建築はありません、鉄路との間に田畑が広がるザ・昭和の風景です。


◆磐越西線 大寺-翁島間
当時首都圏在住撮り鉄さんには『D50見たけりゃ大寺へ行け』と有名だったと思われます、磐越西線郡山から会津への峠越えでD50が活躍してた様で、全て大寺-翁島間の撮影です。

【1963年3月】
貨物列車牽引のD50、峠越えの鉄路と背後にかすむ磐梯山の3月は雪に閉ざされてます。

【1963年8月】
貨物列車牽引のD50ですが撮影日記載ミスプリとしか思えません、多分8月⇒3月です、線路脇や背景磐梯山の様子はどう見ても雪景色です。

【1962年11月】
貨客両用でD50/D60は共通運用されてた様です、客レ牽引のD60、磐梯山は初冠雪です。

【1961年7月】
コチラは客レを牽くD50、ありきたりですが磐梯山はどの季節でも絵になりますね。

【1962年11月】
重量貨物列車は補機運転されてました。 逆推進後補機を務めるD50です、煙の流れる方向でも右へ進行してるのが解ります。

【1963年3月】
D50補機の単機回送です、峠の上りと下りで勾配が異なり、補機を必要とするのが1方向の場合、単機回送が発生します。 今回はここまでです。


ではまた。

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