Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前の鉄道P誌1965年9月号②9600特集

今回紹介の鉄道P誌は蔵書でなく、摂津鉄道建設記掲載TMSバックナンバーと同時購入古書です。 拙ブログで古い鉄道関連雑誌紹介する場合は表紙写真を最初に掲載するのが通例でしたが、今回は掲載せず巻頭グラビアから始めたのはネタばらしを避ける目的でした。

【鉄道P誌1965年9月号表紙】
この号は9600特集号で、それが入手目的でした。 鉄道P誌は動力近代化で無煙化決定以降に早く姿を消しそうな主要蒸機から特集を組みました。 最後がD51(1966年12月号)は当然として、その前がC58(1966年4月号)、そして最後から三番目が9600だったのです。


◆設計者回顧録
冒頭に9600設計に携った方の回顧録が掲載されてます

56年前の雑誌に110年前の9600設計現場経験者の実話です。 執筆者は元鉄道省工作局長で、この寄稿時は前後記述から82歳、機関車設計技術習得の省命海外留学から帰朝し、9600設計を担当したのは弱冠28歳です。

9600はそれまでの輸入機やその模倣から離れ、日本型蒸機の礎を築いた形式だと言えます。 東海道本線補機に輸入マレー機投入するも芳しくなく、米国製造元訪問時に『ベビーマレーの調子どうだい?』と質問され、揶揄された様に感じたエピソードが紹介されてます。

【初期型9608号機】・・・竜華機関区1961年
9600は初期型12両を含め850両製作され、構造的に戦時供出広軌改造が容易であった為、249両が改造を受け大陸に送られました。 それを差し引いて600両の内、1965年6月時点で約400両が現役稼働してました。

【9600設計の思い出結び】
大正の名機と言われ運転/整備の現場評価が高かったからこそ850両も製造された9600ですが、設計者としての『あーすれば、こうしたら』は時代を問わない様です。 自ら仰ってる様に、9600は『洗練』や『スマート』と対極の荒削りの野武士の魅力だと思います。


◆9600の配置
1965年6月時点現役稼働約400両の半数弱184両が北海道と偏った配置で、筆者の『北海道は9600が多い』の印象は間違ってなかった訳です。

【川越線の9600 武蔵高萩付近 1965年5月】
首都圏では『9600見たければ川越線へ行け』と言われてました。

【五稜郭操車場の9600 1965年1月】
折角ですので掲載されてる1965年3月の配置表を転載しますが、約6割が入替機運用で、デフなし9600が多かった一因なのかもしれません。

9600配置表は見易い様に編集しました、北からです。 釧路/旭川管理局管内の道東/道北は営業運転用ですが、札幌近郊では入替機運用が多くなってます。 稚内機関区は全機9600で、宗谷本線には準急『利尻』を含め客レがあるので、9600が牽引機だったと思います。


[2021.0802追記]記事公開後北海道ご在住読者から準急『利尻』や客レは旭川機関区所属C55が牽引機だったとコメントで教えを受けました。 筆者考え違い部分を訂正します。 なおご本人のご希望で頂戴したコメント並びにHNは公開しません。 

道南~中京では8割方入替機運用です、大宮在籍13両が川越線(八高線)貨物列車本務機を務めており、9600見たければ川越線の通りでした。

西日本では北九州の運炭路線に集結してます。 


◆バラエティー
9600に限らず蒸機は使用線区実情に合わせ改造が施されたり、実用試験目的で新装置取付機など変化に富んでました、いくつか紹介します。

【岡山操車場の19630 1963年3月】
前面に警戒色ゼブラとテンダーに緑十字塗装された9600、入替専用機の装いです。

【倶知安機関区所属の79618 1963年8月】
他形式にも補助灯プラス二つ目玉はありますが、デフステー取付左右対称は珍しいです。

【金沢駅の49638 1964年4月】
回転式火粉止装置付きの9600です。

【高萩駅の29620 1965年2月】
この平機関区所属9600は給水温メ器を前面に装備してます。

【若松機関区の49654 1965年1月】
パイプ煙突で前端消音器装備の9600です、特徴的な煙突がないと随分印象が変わります。


◆私鉄で働く9600
鉄道省の9600増備は大正年間に終了しD51に移行しましたが、路盤が弱く急曲線が多い私鉄では9600が重宝され、昭和16年まで製造されており、そのほとんどが北海道集中です。

【三菱鉱業美唄鉄道 美唄-東明間 1965年5月】
北海道の9600 184両には私鉄・専用鉄道で稼働する23両が含まれてます。 この写真は美唄鉄道5号機の9600です。

【三菱鉱業美唄鉄道 東空-盤ノ沢間 1965年5月】
同じく美唄鉄道5号機の9600、この鉄道には4110型も在籍してました。

【三菱鉱業大夕張鉄道 大夕張駅 1952年4月】
同社大夕張鉄道3号機の9600です。

【三菱鉱業大夕張鉄道 南大夕張にて 1965年5月】
大夕張鉄道4号機9600は給水ポンプ付+寸詰まり変形テンダー、下回り良く見えませんがテンダー2軸かもしれません。 東海道本線箱根越え補機運用の際、運転距離が短いので2軸小型テンダー使用記録が残ってます。

【夕張鉄道 鹿ノ谷にて 1965年5月】
夕張鉄道22号機の9600、実に堂々とした石炭運搬列車です。

【天塩炭鉱鉄道 留萌にて 1965年5月】
天塩炭鉱鉄道3号機の9600が牽く混合列車です、この鉄道にはC58も在籍してました。 以上の他に三井芦別鉄道、三菱芦別鉄道、日曹炭鉱、東洋高圧等で現役活躍してました。


ではまた。

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