Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前のTMS 1968年3月号

[2022.08.10付記]機芸出版社転載許諾済。
前回は摂津鉄道『小川のある風景』についてでした、今回はその他です。

【前号より転載】


◆多分天賞堂が大損した1/14凸電
表紙見開き天賞堂広告指定席に面白い製品が載ってます。

1/14スケールの人を乗せて走行可能なバッテリー駆動凸電です。  写真後ろに見える乗用台車に座り、マスコンハンドルを機関車に取り付け運転する様です。 お値段¥185,000、その他に乗用台車やレール含めて貨幣価値換算すると200万円前後でしょうか。

大人6人は直線、曲線では3人です、円形レール敷設で最低6m四方、直線分だけ延長が必要で、デパート屋上のアトラクションくらいしか用途思い付きません。 人気があり子供達が喜ぶのは可動部が見え煙を吐くライブスチームで、凸電は???です。 天賞堂は販売価格決定基準の販売台数予測の半分も売れず、企画倒れの大損したのではないかと思います。


◆作品グラフ:キハ43000系
新幹線生みの親と言われる島秀雄氏が戦前に設計試作した、キハ43000/キサハ43500/キハ43000の3両固定編成統括制御方式の電気式ディーゼルカーのモデル化です。

実車は試作1編成のみ、キハは1943年休車で戦災で廃車、キサハのみ電車付随車として飯田線、再度気動車付随車として関西本線で使用され1966年廃車の数奇な運命を辿りました。

【キハ43000系3連】・・・ウィキペディアより
当時流行の流線形でキハ07に一脈通じますが、ノーシルノーヘッダーなのでツルンとした顔立ちです。 作例で解る通り先頭車キハは全長20m、中間付随車キサハは全長17mです。

この様な特殊車両を模型として自分の鉄道に蘇らせる熱意は、車両自作が鉄道模型楽しみの大きな部分を占めてた当時では自然な事でした。 真鍮製で流線形前面は木型で型紙を作り叩き出しで製作してます。

【キハ43000の室内】・・・ウィキペディアより
当時の気動車標準車体幅2600mmなので総クロスシート車内が長く見えます。 低い背もたれと幅の狭い小振りなシートは、戦後に設計量産されたキハ10系と同じに見えます。


◆作品グラフ:東武モハ7820系
101系登場前の国電主力モハ63系(73系)、通称ゲタ電設計踏襲の私鉄版モデル化です。

カワイ製モハ73ベースのキット加工モデルで、適度に簡略化し実車雰囲気重視でまとめてます。 私鉄車輛が17m車から20m車に移行する過渡期の国鉄型派生車両で、以降は独自設計両開き扉車が主流になりました。

キット加工雰囲気重視とは言え前後妻板は新製で東武顔へ、屋根上も大幅改造です。

オレンジとベージュに塗装された実車のMT2-3セットを東上線で見た記憶があります。


◆レイアウト紹介:馬耳山鉄道
レイアウト紹介は16番1000x2000サイズの馬耳山鉄道です、馬耳山(マイサン)は韓国の自然公園名なので、広島在住製作者は日本名ですが、ご出身が韓国なのかもしれません。

製作記はなく機関車中心の写真紹介です。 左上にDF50/DD51/DE10が写ってますので、右手転車台に乗る蒸機は8620/9600/C57/C58/D51辺りの想像は大きく外れました。

左上が線路配置、複線エンドレスに機関区と終端駅引込線がある比較的シンプルなレールプランで、運転しない時は壁際に立て掛ける非固定式レイアウトです。

車輛は全て自作で蒸機は明治大正期の形式ばかりで、DL3兄弟とは時代設定が合いません。 多分デフなし古典蒸機スタイルがお好きなのでしょう、趣味ですからそれもアリです。

8620/6760まではフォローできますが、恐らく戦前に現役を引退したこの3形式は、輸入期なのか国産機なのかさえ解りません。


◆転車台の鎖錠装置
鉄道関連ストラクチャを自作しようとすると、資料不足で細部が解らず、何をどう作れば良いか悩む事があります。 そんな情報の一つ転車台鎖錠装置についての解説記事です。

解説によると小型転車台で使われてたレールガイド式の鎖錠装置で、右が千葉隣駅蘇我機関区の例、左が東武鉄道下板橋の例です。 東武日光線/伊勢崎線のネルソン蒸機は見た事もあり知ってましたが、東上線でも蒸機が貨物輸送してたとは驚きました。

八高線高麗川は川越線分岐駅で転車台があり1960年代には9600がここで方向転換してた様です。 鋳物製の鎖錠装置、当時鋳物で有名だった川口で製作されたのかもしれません。

大型転車台で良く使われてた平板スライド式鎖錠装置で田畑機関区と桐生機関区の例が掲載されてます。 桐生は足尾線C12と両毛線C58が使用したと思われます。


◆おまけ
この号が発売された1968年は、レイアウト製作を志す人達の多くが『これからはNだね』と考える様になった、Nが市民権を確立した時代です、TOMIX参入前のKATO広告です。

機関車は外国型DL含め3種のみ、それでもN乗換え決意をさせたのは、
➊将来のNゲージ発展を信じられる状況になった。
➋3.5倍のスペース効率、20m車入線や長編成の夢が実現できる。
➌16番の半分弱の車両価格。
以上3点だと思いますが、今日の姿は誰も予測できなかったでしょうね。


ではまた。

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