Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

国鉄黄金時代回想録⑭南紀正月旅行

今回は東海道本線で行った関西方面の旅の話をします。

【1964年9月時刻表復刻版】


6-6.関西への旅
新幹線開業前の関西は遠い場所で、帰省先が西国でない限り始めて行ったのは修学旅行、もう少し下の世代なら大阪万博だったという関東生まれの方も多いのではないでしょうか?
◆1964年1月南紀正月旅行
始めての『逃げ正月』家族旅行先が南紀でした、弟が3歳半になり家族旅行可能になった事も、この年から始まった理由だったと思います。

父はこの旅行に1等の南紀均一周遊券を用意した様です。 大人3人、子供1人、幼児1人の5人家族で¥24,500、貨幣価値換算で18万円です。

東京発は急行『那智』終点新宮まで乗車です。 1等座席車も連結されてますが寝台車を使いました、妹と弟は両親と一緒、筆者は一人専用です。

両親は子供と一緒で広い下段は解りますが、筆者も外が良く見える下段でした。 均一周遊券と合わせ貨幣価値換算で22万円、現在航空機で家族帰省すると当り前の金額ですが、とても贅沢な豪華旅行に感じました。

横浜に夜行優等列車見に行ったのが1961年末なので、2年少々で夢が叶った事のなります、しかも急行1等寝台車、嬉しくて嬉しくて眠れる訳がなく夜の車窓風景を楽しみました。

名古屋まで眠気に耐え起きてました。 名古屋で進行方向が逆転し関西本線へ、蒸機牽引に替わったのが音で解りました。 汽笛に聞き惚れてる内にいつしか眠りに落ちました。

あの時の牽引機は?と調査しました。 この区間担当する名古屋/亀山両機関区配属表見ると、急行牽引機が務まるのはC57しかなく、縁が薄いと思ってたら最初の遠距離旅行でお世話になってたと解りました。

目が覚めたのは白々明け、山の中を低速走行中で進行方向が再逆転してました。 走行音から牽引機はC57から紀勢本線山間区間担当の亀山機関区DF50に交替してた様です。 少しして紀伊長島に停車しました、もう少しで海が見えるな~んてまた眠りに落ちました。。

【紀勢本線のDF50】・・・ウィキペディアより
紀勢本線山間区間では架線が張られ電化完成直前までDF50が活躍してた様です。

尾鷲も熊野停車も記憶になく、起されたのは終着新宮の直前でした。

【瀞峡観光プロペラ船】・・・運航会社HPより
新宮から瀞峡観光に行きました、乗船桟橋は新宮市内熊野川河口近くです。 浅い川を遡上するのは通常の船では無理で、20人乗屋形船船尾で2mのプロペラをエンジンで回し風力で進む川舟です。 その轟音たるや凄まじい物で、眠いのに寝られないほどでした。

こちらが運航時刻表、遡上3時間、川下りは2時間10分、峡谷美楽しめるのは最後の15分だけです。 新宮帰着午後2時半、この日は大晦日で紀伊勝浦へ移動し宿泊しました。

【瀞峡のウォータージェット船】・・・ウィキペディアより
後年道路整備が進み河口から遡上する必要なくなりましたし、酷い騒音で非効率なプロペラ船はウォータージェット船に置き換えられました。 7-8年前再訪の際は更に上流瀞峡入口から和船を使い、車降りて見所を堪能し1時間でお釣りが来て秘境感が喪失してました。

【那智の滝】・・・ウィキペディアより
那智勝浦温泉に連泊し元旦は那智大社へ初詣、那智の滝も見ました。 現在は元旦営業が珍しくなくコンビニもありますが、当時は正月3日間ほとんどの店が休み、交通機関と初詣客が来る寺社除けば観光施設閉館で食堂も休み、動くに動けなかったのかもしれません。

1月2日は紀伊勝浦から串本に寄って白浜までの旅程でした。 1等均一周遊券利用なので急行/準急1等自由席乗り放題です。 白浜到着時間から準急『はやたま』キハ55系と『南紀2号』旧客列車利用だったと思います。 当時の駅名は『白浜』でなく『白浜口』でした。

【橋杭岩】・・・ウィキペディアより
串本では潮岬灯台から海を眺め、橋杭岩を見に行きました。

【白浜の千畳敷】・・・ウィキペディアより
白浜へ着いてから千畳敷を見に行き、場所不明ですが白浜入り江を見下ろす展望台から、大阪から飛んできた水上機着水を眺めた記憶があります。

【準急『きのくに』】・・・ウィキペディアより
翌1月3日は準急『第1きのくに』で和歌山移動です。 当時の列車命名法は第▲は特急/急行、準急は▲号で、準急『南紀』は1号/2号なのに何故か準急『きのくに』は第1/第2です。

時刻表確認すると『第1きのくに』は全車指定、指定券買い足したのかもしれません。

【和歌の浦】・・・ウィキペディアより
和歌山では和歌の浦に行きました、和歌山城へも行ったかもしれません。 そしてこの日の宿泊地記憶がスッポリ抜け落ちてます、和歌山-大阪のどこかなのは間違いありません。 帰京する1月4日は大阪城と通天閣へ行ってから大阪駅一番外側ホームに並びました。

乗車したのは急行『よど』1等車自由席、本当は急行1等車より特急2等車に乗りたかったのですが我儘を言えませんでした、特急券/指定券買い足し必要なので当然の選択です。 『よど』は浜松で『第2つばめ』待避、下車駅横浜には25分遅い21:02着です。


一人旅が許される前のこの正月旅行は筆者旅行史の中でエポックメーキングで、見知らぬ土地を旅する楽しさを心に植え付けた出来事でした。


ではまた。

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