Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

国鉄黄金時代回想録⑧55年前の旅

筆者始めての親を離れた遠距離旅行先は東北で以前鉄の履歴書-16 東北研究旅行で3回に渡り紹介しました。 55年前で記憶定かでない部分もありますが時刻表で追ってみます。

【1964年9月時刻表復刻版】
詰まらん事に気付きました、比較に使ってる2020年2月号は税込み¥1,205、税抜きの物価上昇率は7.3倍、この旅行コスト算定にはコレ使います。 当時ラーメンは¥50、現在相場は¥700前後、7.3倍¥375で食べられるラーメンはごく限られてますがね(笑)


3-7.東北研究旅行
高校入学し遠くへ行ける、ただそれだけの理由で地理部に入部しました。 部活で開通前田園都市線実地踏査した話は以前紹介してます。 1年生時研究旅行先は山陰、大期待も集中豪雨山陰本線不通で直前中止、2年生時は部長を務め東北を研究旅行先に選びました。


顧問教師から『旅程は任せるが、参加費を6千円以下に抑える事』と厳命がありました。 7.3倍で¥43,800ですから公立高校通学生夏合宿費用として妥当な額だったと思います。 旅行ガイドもロクにない時代で、どうせ行くなら三大祭りの時期と無謀な計画でした。

【既報本シリーズから転載】
この時刻表の2年後なので値上げなしかあってもわずか、山陰は東北より学割で¥550高価です。 多分前年山陰参加費の上限も6千円、先輩部長は計画立案に苦労したと思います。


◆1966年8月4日
それまで北は黒磯までしか旅行経験がなく『白河の関』を越えた東北は未踏の地でした。

上野22:15発急行『第2男鹿』で山形へ向け出発です、2等自由席なので入線1時間前を目途に上野駅地上ホーム改札口20時または20時半集合だったと思います。 年末帰省ラッシュ時に駅前広場に設営されるテント村で待つ風景が恒例でしたが、盆帰省には早く東北三大祭は知られていても観光客が押し寄せる時代ではなかったので、酷い混雑はありませんでした。

山形まで乗車なので個人的には機関車に近い10号車希望でしたが、並ぶ場所は上野駅ホーム先端、中央が乗り換えも便利の旅慣れた顧問教師の一言で6or7号車の列に並びました。 21:44入線乗車、我々は列の前から4・5番目で参加者約10名が楽に座席確保できました。

筆者には列車に乗るとすぐ眠れる特技があり、この時も座席確保して腕時計アラームを3時前にセットし発車時は爆睡だったと思います。 黒磯の機関車交換、その先未踏の地ですが真夜中では何も見えないからです。


◆1966年8月5日
アラーム3時前セットは奥羽本線板谷峠越えを見たかったからで、往路しかここを通らない旅程だったのです。 卒業してから一人旅で来れば良いとは考えられませんでした。

【当社生野駅嵩上げホーム】
福島停車時間6分の間にホームに降りてみました。 駅舎と繋ぐ跨線橋はずっと後ろ、丁度ホーム上屋が切りる辺りで前へ進むと2.5-3mで30cm下がる段差があり、その先2両分のホームが低くなってました。 前年盛岡電化で電車特急/急行が増発され、優等列車停車位置だけホーム嵩上げ工事が行われたのです。 他でも同事例があり生野駅に取り入れました。

福島-米沢の山間区間1時間弱は、良く見ようとデッキに出て扉を開け手摺を掴み喘ぎながら峠越えする列車から、雪覆い建屋内の複数スイッチバック線路配置を観察しました。 米沢到着時は白々明けで腕はパンパン、猛烈な睡魔に襲われ席に戻って爆睡でした。

山形から仙山線始発列車で山寺へ行きました、立石寺訪問が目的です。 乗車した814レは1等車連結電機牽引の客車列車です。 記憶検証の為に仙山線電化史を調べました。

山寺-作並間には5千mを越える仙山トンネルがあり開業時から電化されてたと知りました。 それも交流電化、交直接続試験線に選ばれた理由だった様です、この旅は交流化前です。

【宝珠山立石寺】・・・山形県観光協会HPより
現在の寺社は営業時間があり拝観料徴収するので早朝訪問では入れませんが、当時はそんな事もなく6時半でも中に入り見る事ができました。

山寺駅から山門まで10分足らず、滞在2時間でゆっくり見て羽後千歳へ引き返しました、ここで勘違いに気付きました。

左沢線分岐駅北山形と仙山線分岐駅羽後千歳を取り違えてたのです。 山寺から戻り奥羽本線下り列車に乗り換えたこの線形の駅は羽後千歳でした。 古い記憶とは不思議な物で印象に残った断片的5-10秒がショートムービーとして長く脳に残りますが間が抜け落ちます。


この時も福島駅ホーム、板谷峠スイッチバック通過風景を始め、立石寺岩壁のお堂とか羽後千歳駅秋田/仙台方線形、そしてこれから触れる映像は残ってますが、他はスッポリ抜け落ちてます、人間の脳は印象の薄い記憶は消す様にプログラムされてるとしか思えません。

ありふれたローカル駅を憧れのキハ82系特急『つばさ』が通過する風景で、この旅天童付近と思い時刻表を調べましたが該当駅なし、それに初訪問の東京高校生が下車して寄る訪問先がありません。 1969年東北一人旅時の記憶の様です、記憶に日付タグ付いてません。


1969年の東北旅行は羽越本線経由で酒田から入り、五能線、花輪線、山田線、釜石線に乗車の乗り鉄系、8620/C58探訪旅で、十和田湖や龍泉洞を訪問しました。 青森-仙台間夜汽車ホテルも利用し7-8日の日程、上記記憶場所特定には当時の時刻表が必要です。

羽後千歳から大曲まで鈍行列車に4時間半揺られた様です、となると昼食は新庄の駅弁だったでしょうね。 この日の宿は大曲で間違いなく、訪問先は地理部らしく日本一深い湖田沢湖だったと考えられます。 と、色々推定してると湖を見た淡い記憶が蘇ってきました。

大曲接続生保内線で終点生保内へ、田沢湖見学して大曲18:39着、夕闇迫った頃宿到着だったので多分間違いないでしょう。 ジオコレ旅館の様な木造2階建で1泊2食¥650でした。


◆1966年8月6日
翌朝の大曲駅下りホームはかなり混んでました、通勤列車だった様です。

7-8両編成の蒸機列車で、混雑を避け後尾に乗車しました、数駅目で水田脇に停車し???と思ってると発車後にホームが現れました、ホームは4-5両分だったのでしょう。 8月6日は竿灯祭りの日、朝訪問する間抜けな旅程でした、準備中会場見て駅へUターンです。

秋田9:25発準急で八郎潟へ、時刻表一日市(ひといち)となってますが1965年に八郎潟と改称されてます。 目的は干拓事業進展視察、地理部研究旅行なのでアカデミックでした。

【現在の風の松原】・・・林野庁HPより
その後東能代へ移動し下車、昼食後風の松原を見に行きました、日本一の防風防砂林です。 8年ほど前に再訪しましたが既視感ゼロでした。

東能代から急行『日本海』乗車で弘前へ、途中鷹ノ巣で大ヘマやらかしました。 旧客ですからドアは手動で開きます。 短い停車時間に阿仁合線の様子でも見に行こうとしたのだと思います、10km/h以下になったの見計らってホームへ飛び降りたらすってんころりん、顧問から『無茶すんなよ!怪我されたら困るから』と叱られました。

【急行『日本海』編成】
またまたあやふやな記憶で恐縮ですが、旧客列車乗車時に後方で蒸機音がするのでデッキから見たらD51後補機が付いてました、急行『日本海』矢岳峠越えだったかもしれません。


弘前では弘前城へ行きました、始発DCで青森20:12着、ここで集合時間決めて自由時間にしました。 ねぶた祭やってたかどうか解りません、青函連絡船や青森駅構内の方か祭りよりはるかに興味が高かったのです。

青森から急行『八甲田』の夜汽車ホテルでした、座席確保してから牽引機確認に行くとC61でした、尻内辺りからC60補機が付いたと思いますが、深い眠りの中でした。


◆1966年8月7日
この日の夜行で仙台から東京へ帰るので実質最終日です。 今にして思えば東北本線全線電化前の青森-盛岡間をせめて車内からでも昼間見る旅程を組めなかったかと悔やまれます。

起されたのは北上を過ぎ水沢が近付いた頃だと思います、各駅に乗り換えて平泉へ、ここで眠気が吹き飛ぶ光景に出くわしました。 平泉駅は2ホーム3線駅でその外側にD62約10両が連結停車してたのです、前年10月盛岡電化で廃車された一ノ関機関区在籍機の解体待ち仮留置だったと思います。 見逃せず皆を待たせてスナップ撮りましたがネガはどこへやら。

【毛越寺庭園】・・・毛越寺HPより
さすがに天下の中尊寺、この時代でも営業時間と拝観料があり入れないので、時間潰しに毛越寺庭園を見に行きましたが、とても素晴らしく中尊寺金堂より強く印象に残りました。 後年再訪した時は、もちろん営業時間ありで拝観料を徴収されました(笑)

【厳美渓】・・・ウィキペディアより
中尊寺へお参りした後はバスで厳美渓に行きました、詳細な記憶ありませんが、バスで一ノ関へ出て夕方には仙台に到着してます。 この夜も集合時間を決め自由行動、七夕祭りを長いアーケード街で楽しみました。

青森発急行の選択肢もありましたが、座席確保が容易な始発急行『青葉』で帰京、4泊(車中3泊)5日の何とも慌ただしい初東北旅行でした。


若いから可能な無茶苦茶最小費用日程で、歴史にイフはありませんが、今この時刻表で計画するなら1日早く発ち夜汽車ホテルと安宿交互の5泊6日にしました。 中尊寺を翌日回しで準急『はやちね1号』で釜石へ、山田線/岩泉線で龍泉洞見学、岩泉泊で翌朝盛岡へ出ても、中尊寺経由仙台夕方着可能です。 景勝地厳美渓パスですが、鉄の街、リアス式海岸、鍾乳洞の方が地理部らしく6千円に収まったかと、所詮思考ゲームですが。


ではまた。

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