Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

『怒りっぽい社会』に想う事

どこまでが社会常識として許容され、どこからアウトなのか?、その閾値OKラインは時代と共に変化しており、最近は息苦しさを感じます。

昭和40年代の生野駅で毎朝見られた光景です、左下鉄道官舎に住むl国鉄職員子弟の高校生が4番線職員用通路から3番線DC列車に乗ろうとしてます。 生野町の高校は商業科と工業科で、大学進学を目指す高校生は守屋市の普通科進学校へ列車通学をしてたからです。

国鉄職員家族は無料パスを支給されてたので改札通らなくても無賃乗車ではありません。 職員用通路使わないと工場群から生野南中学と大きく迂回して駅舎改札口へ、更に跨線橋を渡って3番線へ、列車乗車口までの所要時間は1分に対して15分から20分と桁違いです。


当時この高校生の行為は、将来の日本を背負う若者が毎日30分の勉学や睡眠時間を節約する物として問題視する人は誰も居ませんでした。 現在なら駅構内に居住するJR職員家族の立場を利用した不公正行為、安全上も好ましくないと他の乗客から苦情が出るでしょうね。

以前紹介しましたが当社従来線電源は1990年頃勤務先実験室の部品を使用し、時間外に職場で製作した物です。 工場に頼めば職場で保養施設山荘に出掛ける際に使うBBQ用鉄板作ってくれましたし、罪悪感皆無で『まずいんじゃないの?』には『堅い事言うな』でした。


2000年頃を境に流れは変わり、以降は会社資産の私的流用・横領として懲戒処分の対象になりました。 管理厳格化と言うより社会常識許容範囲の閾値が変更になったのです。 昔は何でもルーズだった訳ではありません、単に常識の閾値が少し違っていたに過ぎません。

【『フェアについて想う事』より転載】
政治家や公務員がその職務権限を金の見返りで不公正に行使する汚職は、社会から厳しい目が注がれてました。 税金の使い道や行政の公平性が捻じ曲げられ、多くの国民に損害を与えてると考えられたからです。


筆者行為は会社に損害与えてましたが言わば役得、頂戴してる給料のン十倍も稼がしてると気にも留めませんでした。 さて、最初の高校生の行為は誰にも損害与えてませんが、何故非難される様になったのでしょうか?

【『フェアについて想う事』より転載】
その一つのキッカケは2000年に多発した企業不祥事、雪印メグミルク、三菱自動車リコール隠し事件だったと思います、消費者の企業を見る目が厳しくなったと共に、海外投資家から経営透明性担保、グローバルスタンダード準拠を求められ閾値が大きく変化しました。

【ウィキニュースより】
2000年企業不祥事は一般消費者に係る問題で、ホンダに乗ってる人も森永飲んでる人も公憤として理解できましたが、2007年の高級料亭『船場吉兆』の牛肉産地/賞味期限偽装の際は、高級料亭など縁のない人まで寄ってたかって袋叩き、廃業に追い込みました。 確かにケシカラン振る舞いですが、何だか『集団ヒステリー』を連想し首筋が寒くなりました。

つまり社会常識閾値=ルールが変わり、人々の意識も変わりましたが行き過ぎもあります。 冒頭の高校生事例は、自分には損害も影響もなくても、自分はしてはならないとされてる事をする人が居ると無性に腹を立て攻撃的になる、現代社会の負の特質を表してる様です。


TV番組演出に過ぎない言動にまでそれは及び、寄ってたかって誹謗中傷の袋叩きで自殺に追い込んだ事件も根っ子は同じです。 列車運転士が勤務中に飲料で水分補給するのはケシカランと苦情を言う乗客の存在などは『怒りっぽい社会』の象徴で本当に嫌になります。


ではまた。

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