Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

露太本線の選択『風間克美さん写真展』

10月14日に東京で終日所用があり出掛ける事が早くから決まってました。 高速バスで早朝出発、深夜帰着の日帰りも可能ですが、仕事がある訳じゃないし体もキツい、それに東京まで行くなら1泊してついでに何か見てこようと物色しました。


これまでJAM2017/2018以外、鉄道及び鉄道模型関連イベントに行った事がありません、そもそも興味が薄いし人ごみの中に出て行くのは億劫、見逃して惜しかったと感じたのは、さかつうギャラリーで開催された「宮下洋一作品展3」くらいです。

するとこの週末にホビーセンターカトーで『Gフェス3』が開催される事を知りました、
10月13日に前泊すれば訪問可能です、二つの点で魅力的なイベントです。
1.モジュールは線路より風景重視なので風景製作の参考になる。
2.テーマの「秋」は当社季節設定と同じ、様々な刺激を受けられそう。


すぐ満席になる日曜夜新宿バスタ発高速バス予約を1ヶ月前に行い、13日昼前に新宿到着便と同日ホテル予約をしました。 しかし出発1週間前に事態が急転しました。

【『風太郎さん』ブログ 写真展漫遊録掲載記事】
愛読してる『風太郎さん』ブログで、筆者にとってはるかに魅力的で、この機会を逃したら観るのが難しい写真展を知りました。 13日に『Gフェス3』とのハシゴも可能ですが慌ただしく、写真展は週末より平日の方が堪能できると15日訪問に決めました。 2泊は懐具合とブログ更新に影響しますし、愛娘ハナちゃんと離れるのも辛い(笑)

【写真展葉書】羽後交通雄勝線1964年8月、ポール電車が牽く古典木造客車
奥羽本線湯沢~盆踊りで有名な西馬音内~麓を結ぶ、軌間1067mm、1973年4月廃止
ホテルと高速バス予約変更して訪問したのは風間克美さんの写真展です。 筆者は撮り鉄でも乗り鉄でもなく、未知の土地を見たい好奇心優先で1966年~1974年の間、学割均一周遊券であちこち貧乏旅をしました。 丁度無煙化が急速に進んだ時代に重なります。


写真はフィルム1本買って現像焼付すると¥1,000弱、学割東北均一周遊券が約¥4,000の時代ですから撮り鉄したくても無理でした。 それでも何度かスナップを撮り、現像だけしたのですが結婚転職に伴う数度の転居で、残念ながらネガは行方不明になりました。

【会場入口パネルより】・・・サニー/カローラ発売の1966年がマイカー元年でした
風間さんは筆者より半回り年長で重なる部分はわずかです。 しかし1人旅が許されない年頃に触れた『時代の空気感』がそこに形として留められており、「そうだ、そうだったんだよ」と薄れかけてた記憶を呼び覚まされる様な感覚を味わいました。


最終日なので開場時間に訪問しました。 平日午前という事もありますが、筆者滞在中の来場者10余人の全てが団塊世代以上と思われ、それぞれの生い立ちや人生と重ねて鑑賞されている様子でした、午後遅い時間帯や週末とは雰囲気が違ったと思われます。 風間さんとお話させていただき、ブログ掲載の快諾を頂戴しました。

【展示作品から1】花巻電鉄軌道線1964年8月、砂利道をゆくお婆さん
東北本線花巻~西花巻~西鉛温泉を結ぶ、軌間762mm、1969年9月廃止
筆者嗜好で最初の1枚はこれです。 幅員の広い立派な道路ですが軌道線境界柵がなく、ホームなしで道路から乗降した駅もあった様です。 筆者の旅時代でも市街を出外れれば幹線道路以外未舗装路が当り前、車の通行は少なくたまに通れば砂埃か泥ハネでした。

【展示作品から2】頸城鉄道1970年11月、ホームで穀物を干す母子
新黒井~浦川原を結ぶ、軌間762mm、1968年10月部分廃止、1970年11月全廃

発車して森影に消える列車が奥に見えます、5歳ほどの母を手伝う息子、母の回りで遊ぶ幼子、ねんねこにくるまれた赤ん坊、どこでも見られた日常風景でした。
[註]風間さんはこの6年前、1962年夏に最初の頸城鉄道訪問をされています。

【展示作品から3】仙北鉄道1966年3月、軌間3フィート半と2フィート半
東北本線瀬峰~登米を結ぶ、軌間762mm、1968年3月廃止

国鉄駅片隅に間借りする地方私鉄駅、機廻し線、車庫を備えた終端駅ですが、軌間差以上に駅の規模が違います、連絡跨線橋からの1枚。 1966年8月、高校2年の筆者は車中3泊商人宿1泊の地理部研究旅行で瀬峰を通過してます、あの時はまだあったんですね。

【展示作品から4】南海和歌山軌道線1964年7月、団塊世代高校生の群れ
東和歌山駅前~海南駅前・市駅・新和歌浦を結ぶ、軌間1067mm、1971年3月全廃
筆者の2学年上、この年高校2年が団塊世代ピークです。 戦後の匂いがほぼ消え街には若者が溢れてました、豊かではなかったけれど希望や夢を持ち易い時代でした。

【展示作品から5】遠州鉄道奥山線1964年10月、奥山線最後の日
遠鉄浜松~奥山を結ぶ、軌間762mm、1963年4月部分廃止、1964年10月全廃

東海道新幹線開業直後の沿線で「お別れ列車」看板を掲げただけでイベントもなく、地域住民に見送られ、それまでの日常がブツンと切れる様に小さな鉄道路線が消えました。

【写真集パンフより】秋田中央交通軌道線1966年3月、電動貨車が牽く気動車改造客車
奥羽本線一日市(八郎潟)~五城目を結ぶ、軌間1067mm、1969年7月廃止
写真展葉書を見た瞬間欲しいと思いました、鉄道関連雑誌の車両フォーカス写真と違い、乗客や職員の姿や表情、街並みや風景が織りなすその時代ならではの生活感に強い魅力を感じるからです。 年寄の感傷?かもしれません、好きな物は好き、笑わば笑えです。

【写真集パンフより】日本硫黄沼尻鉄道1964年1月、増結客車を押す子供達
景色も変わりましたがそれ以上に価値感も変わったと思います。 駅務員が『手伝って』なのか、子供達が『手伝わせて』なのか、どちらも有り得たシナリオです。 現在の様に『ウチの子に怪我させたらどうするの!』なんて怒鳴り込む親は居ない社会でした。

【『地方鉄道1960年代の回想』上下2巻】
新宿から最寄りバス停まで3時間がアッと言う間、上巻読了前に着いてしまいました。 添えられた撮影行記述にはその場を踏んだ人にしか言えない臨場感がありました。 次第に衰退と言うよりむしろ賑わいからアッと言う間の消滅にも、めくるめく激動時代に多感な時期を過ごした1人として納得感がありました。


収録された地方私鉄の存在はほとんど知ってました。 幼い頃から時刻表空想旅に耽ってたので、巻末小スペースに区間・営業キロ・運賃・始終発時刻・「この間30分~1時間毎に運転」とだけ記載された鉄道名の遠い記憶が、実像として結像しました。


《謝辞》
風間克美 様:堪能させていただきました、ありがとうございました。
風太郎 様:良い機会を与えていただき感謝申し上げます。


ではまた。