Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

C57一次型に想う

KATO C57一次型が出荷開始され、皆さんのブログ記事で高い評価を得ています。

筆者はコンセプトに合わない車両は購入しない方針で、昨年発売C11を見送りました。 この形式に特別な思い入れがなく、機関車配置に合わなかったからです。

しかしC57一次型は別格、予約してた筆者の元へも数日前に届きました。

【C57一次型 1962年版スタイルブックより】
国鉄蒸機で最も均整が取れた美しさを持つミス狭軌だと思います。 それは名機C51からC54、C55と改良を重ねた国鉄技術陣の思いが籠った集大成だったからだと思います。 一次型二次型への『貴婦人』の称号は半世紀以上前から与えられてました。

【C57四次型 1962年版スタイルブックより】
生産台数が少ない割にバリエーションが多く、三次型・四次型はC58・C59の流れを汲み密閉式キャブ・プレート先輪など優雅さを失った年増に変貌してしまいました。

開封した印象は、しなやかな肢体と繊細なディテールが再現され、さすがKATOと思わせる仕上がりでした。 個人的好みでは金色パイピングは素顔の美しさにマイナスですし、メインロッドがピカピカし過ぎ、鈍く光ってくれれば文句ありませんでした。

【山陰本線C57】
自分の恋人の様に書いてますが、現役時代の貴婦人は山陰旅行で数度と北海道で一度見ただけです、滅多に逢えなかったから思いが募るかもしれません。 当時良く見たD51やC58に比較し両数が少ないのは確かですが何故だろうと調べてみました。

昭和40年/44年/47年の配置表から生息域を調べました。 昭和40年代初頭から幹線電化により地方へ追いやられた様子が窺えます。 廃車も早く始まり、昭和25年生まれ筆者があちこち出歩いた昭和45-49年には、北海道、磐越西線西部、紀伊半島、山陰、九州にしか生き残ってなかった、つまり数年差の行き違いだったと解りました。

晩年は客貨両用運用されてましたが、やはり似合うのは旅客列車です、照明改修が終ったばかりのオハ35系を牽かせてみました。

夜景は点灯しないので、キハ52同位置ヘッドライトと合成写真にしました。 低目線で見ると近代化改造車の蛍光灯室内灯差が丁度良い具合に見えます。

ナンバープレートも未装着です。 昭和47年10月配置表在籍17機関区の同僚は圧倒的にD51が多く、生野機関支区に居てもおかしくないと言い訳してます。 機関区によりD51/9600/8620/C58/C11と共に各線区の輸送を担い、最後の時を迎えました。

D51よりボイラー径が細いので軽快感が違います。 それにしても時代の空気演出に欲しいのは9600と8620、出してくれませんかねKATOさん、予備車含め2両買いますよ。


ではまた。

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