Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

静態保存蒸機ミステリーの謎解き 前編

工作・レイアウト建設最適時期になりましたが、またまた脱線です。 蒸口密度から静態保存蒸機過剰装飾、そして走行歴のない伊那谷3市D51静態保存の疑問へと興味が次々に発展しています、現地踏査と公開データによりかなりの事が解りました。 保存時期・車両履歴・保存場所と状態の事実を基に、筆者推測を交え長野県南部蒸気静態保存の経緯を謎解きしてみました。 読み物として楽しんでいただければ幸いです。


1.序章【1970年】・・・それは上諏訪から始まった

《諏訪市静態保存蒸機の説明看板・・・4/22記事より転載》
配置表と履歴でウラを取ると、D51 824号樹は説明通りに上諏訪機関区から長野機関区へ転籍し、DD51投入による篠ノ井線無煙化直後の1970/8/6に廃車されました。 中央東線電化直前の上諏訪機関区にはD51が22両も在籍しており、近い将来姿を消す馴染み深いD51を最初に静態保存したのが、機関区所在地諏訪市だったのは当然かもしれません。


2.煙が消える日【1973年】・・・自治体により大きな温度差

《茅野市静態保存蒸機の説明看板・・・4/22記事より転載》

《下諏訪町静態保存蒸機の説明看板・・・4/22記事より転載》
中央東線電化8年後の1973年まで諏訪から蒸機の煙は消えませんでした。 1972/3配置表によると、上諏訪機関区にC12 67(翌年廃車、茅野市静態保存)C12 171(翌年廃車、下諏訪町静態保存)とC56が4両在籍しています。 ちなみにこのC56は、3両がゆかりの大町市・佐久市・小淵沢町に静態保存、160号機は梅小路で動態保存されています。

《塩尻市静態保存蒸機の説明看板・・・4/24記事より転載》
諏訪から蒸機の煙が消える1973年には中央西線と篠ノ井線の電化が完成し、松本平からも蒸機が消えようとしていました。 茅野市・下諏訪町・塩尻市の3自治体は、地元ゆかりの蒸機を譲り受け、駅前・役場等の一等地に静態保存しました。 この時点で富士見町・岡谷市・辰野町に保存の動きは見られず、松本市は少々及び腰だった様です。

《松本市静態保存蒸機の説明看板・・・4/24記事より転載》
県庁所在地は長野だけれどと、何かと対抗意識が強い松本市は塩尻市に遅れること1年、松本機関区在籍歴のある10両以上のD51ではなく、上諏訪・長野両機関区に在籍し木曽福島で廃車されたD51 172を譲り受け、市中心部から遠く離れた工業団地内公園に静態保存しました、市当局の熱意の低さが表れています。 全国無煙化達成の1年前の事です。


3.小石の波紋【1972年】・・・飯田市で起きたある動き

諏訪・松本平の蒸機静態保存ブームの1年前、県南飯田市で小さな動きがありました。 市ライオンズクラブ創立10周年記念事業として何か形に残る物をと候補探し、折りしも世はSLブーム、3年後開通予定の中央道恵那山トンネルで時間距離が大幅に縮まる岐阜県中津川市には機関区があり、両市商工会議所関係強化の狙いを含めて静態保存蒸機寄贈になったと推定されます。 1972/3/27廃車で4月に保存、実に素早い動きです。

寄贈を受けた飯田市は市役所から300mほど離れた道路脇、動物園と消防屯所に挟まれた15x30mの敷地に保存、当初はライオンズクラブメンバーが清掃等行ったのでしょうが、45年間でいつしか途絶え現在は野晒し放置、荒廃と言っても過言でない状態です。

この402号機は長く中津川機関区に在籍したので、木曽福島・松本近辺まで走行した県内ゆかりとも言える蒸機です。 しかし民間電気鉄道4社戦時買収で成立した飯田線に蒸機は無縁です。 寄贈したライオンズクラブは、記念品が偶然蒸機になっただけで思い入れがある訳でなく、市と市民にとっては余所者、保存熱意が低い事は責められません。

一連の取材した静態保存蒸機の中で最低の状態です、デフは錆で浮いてボコボコ、こんな姿を人目に晒されるのは可哀そうと感じました。

現在は隣接する消防屯所の看板掲示台として活用されています。 市民に愛されない静態保存蒸機の末路は哀れです、なまじ行った装飾が逆に無残さを強調しています。


飯田市内では忘れ去られた様な402号機静態保存が、寄贈者ライオンズクラブも、寄贈を受けた飯田市も全く予想しなかった大きな波紋を生む結果になりました。[続く]


ではまた。

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