東北本線1965年初秋
1965年10月に実施されたダイヤ改正については先日紹介しました。
★60年前1965年のダイヤ改正・・・5月21日更新
この改正で東北本線仙台-盛岡間が電化され、盛岡駅の特急『やまびこ』や急行『いわて』発車式の様子を紹介しました。 華々しい10月1日の直前、9月上旬には電化開業へ向けて、仙台エリアから蒸機の煙が消える様々な動きがありました。
★去り行く者たち
盛岡電化前は仙台-盛岡間の旅客輸送を担当するC60・C61・C62が約40両、貨物輸送を担当するD51・D62が約80両配置されてた蒸機王国でしたが、電化後は配置転換か廃車の運命でした。 一連の蒸機写真撮影は8月中旬、電化1ヶ月半前です。
大型蒸機が長編成列車を牽いて、大都市市街地の架線の下を走る光景は、蒸機末期時代特有の物で、1970年頃まで東京・大阪近郊でも見られました。
有壁駅は一ノ関仙台方の隣駅です、架線を張り終えた本線をD62が貨物列車を牽引して通過して行きます。 D62は軸重が重く転出先もなく盛岡電化後大量廃車されました。 ブログに何度か書きましたが、翌年夏平泉駅側線で解体を待つD62車列に遭遇しました。
仙台-盛岡間の大機関庫があった一ノ関です、D62と入換機運用のゼブラマーク塗装デフなし8620が憩ってます。 電化後は火が消えた様に淋しくなった事でしょう。
ナンバープレート拡大すれば解りますが左右反転写真ではありません。 複線区間右側通行に見えるのは、複線化工事進行中で右側線路が敷設した新線、平泉-前沢間の複線運用開始は1966年3月21日だったからです。 新線の架線柱はまだ立ってません。
同日同区間の別写真では架線が張られてるのが解ります。 蒸機は姿を消しましたが、後を追う様に混載貨物列車も姿を消したのは、古い鉄道ファンにとって淋しい事でした。
同日同区間の旅客列車です、ここはまだ新線が建設されてない様です。 6両編成普通列車は荷物合造車と1等車を含んだ編成で、手小荷物扱いがあり、幹線と亜幹線の客車編成普通列車には、1等車連結が当たり前の時代でした。
そう言えば5月11日に所用で上京の際に『あずさ』利用で気付いた事があります。 高尾-新宿間で擦れ違う中央線電車にダブルデッガーグリーン車が組み込まれてるのです。
【新宿駅で撮影】
11連から12連化して2両のグリーン車、大月まで通勤圏になってる現状では解らないでもありません。 グリーっ車定期券もあるのでしょうかね。 閑話休題。
去り行く者の最後は盛岡行DC特急『つばさ』です、残り11日の撮影です。 キハ82系基本7連x2の14連で、秋田・盛岡行特急として運転されてました。 電化後電車特急『やまばと』に生まれ変わりました。
★準備着々のニューフェースたち
去り行く者たちの最後の仕事と同時に、電化後ニューフェースたちの準備が進んでました。 最初は地味な処から。
電化工事が完了し電化開票直前路線では電機慣熟運転が実施され、その場合はバックアップに蒸機と重連にするのが常で、中央本線上諏訪電化でも、信越本線長野電化・直江津電化もそうでした。 C60は窯は焚いてますがバックアップなので力行してません。
電機試運転に蒸機バックアップが付くのに、電車は単独試運転です。 交直両用、50Hz/60Hz、更に両用電車登場に至り、形式名記憶意欲を失いました。 特急『やまばと』充当用車両の試運転と思われます。
こちらは急行『いわて』用車両の試運転でしょうか。 時刻表にないダイヤの試運転列車が多く行き交うダイヤ改正前の慌ただしさです。
100両以上の蒸機が転出し、大量の電機が進出して来る仙台地区では、電機の検修施設など受け入れ態勢準備も進んでました。 何しろ9月30日までは蒸機フル稼働で、1日でごっそり入れ替わる訳ですから、裏方の苦労は並大抵ではなかったと思います。
ではまた。


















