60年前1965年のダイヤ改正
ダイヤ大改正と言えば1961年(昭和36年)の優等列車大増発のサン・ロク・トウ、1964年の東海道新幹線開業、1968年(昭和43年)の準急廃止、特急大乱発のヨン・サン・トウが有名ですが、その谷間、60年前1965年10月にも大規模ダイヤ改正が行われてます。
【交通公社時刻表1965年10月号】
国鉄が建設を進めた新線開業と、電化・複線化進展のスピードアップ等、毎年ダイヤ改正が必要だった時期で、盆暮れの民族大移動の臨時列車も多数でした。 最近の減便・イベント臨時列車運転程度の小規模なダイヤ改正では追い付かない時代だったのです。
この年、南北への幹線電化は盛岡・熊本に到達し、新しい優等列車が誕生してます。 またそれに伴う式典が開催され、その様子も鉄道P誌が紹介してます。
この年のダイヤ改正の目玉は、東海道新幹線の3時間10分運転が開始された事です、在来線特急所要時間6時間30分を半分弱にする、新幹線開発目標を実現させた年です。
性能面でも安全面でも3時間10分運転可能でしたが、史上初の標準軌超高速運転安全確認の名目で、開業後1年間は4時間運転をしてました。 そのタガを外して本領発揮の3時間10分運転開始です、新幹線の各駅停車特急も5時間から4時間にスピードアップです。 初乗車時の印象は『揺れが大きいな』でしたが、現在に至る鉄道技術の進化はスゴイです。
北の電化は仙台から盛岡まで延伸してました、青森到達には更に2年掛かりました。 現在東北新幹線列車名の『やまびこ』初登場はこの時で、上野-盛岡間特急として運転開始されました。 仙台以北初の電車特急で、1976年夏に盛岡までの乗車経験があります。
『十和田』『八甲田』と並び上野-青森間客車編成急行だった『いわて』は、上野-盛岡間不定期急行『ひめかみ』に替わり、電車定期急行に生まれ変わりました。 急行でも新列車なので出発式が行われ、くす玉が用意され、自治体・国鉄の高位職者が列席してます。
出発式で花束贈呈し色を添えるのが綺麗処、盛岡市(岩手県?)では『ミス電化』の募集・選考を行った様です。 筆者すぐ上世代のミス達もすでに喜寿を過ぎ80前後です。
仙台電化後運転開始された特急『ひばり』は、このダイヤ改正で通過だった大宮駅停車になり出発式が行われてます。 中長距離移動手段が国鉄だった事もありますが、何か新しい事が始まるとお祭り騒ぎをしたがる日本人の性質が表れてると思います。
東北本線にもブルトレ特急が登場しました、キャプションに『寝台特急』とあるのは誤り、『ゆうづる』には座席車が2両含まれており、当時の国鉄用語用法では『夜行特急』です。 1966年2月に乗車したのは一番料金の安い最後尾普通座席車ナハフ20でした。
このダイヤ改正で上野-高崎間ノンストップだった上越特急『とき』も大宮駅停車になった記念式典です。 特急『あずさ』も登場時は新宿-甲府間ノンストップで、八王子停車になりましたし、前述『ゆうづる』停車駅も水戸・平・仙台・盛岡・尻内だけで日立も一ノ関も通過でした。 準急が存在した時代の特急は停車駅が非常に少ない列車でした。
列車名『はるな』は吾妻線長野原まで草津温泉訪問客を運ぶ列車を連想させますが、我妻線は非電化で3本/日のDC準急『くさつ』が運転されてました。 新設された準急『はるな』の運転区間は上野-前橋間で、前橋行なら榛名山より赤城山が近く、『はるな』は準急消滅で急行に格上げ後、更に特急に格上げされて『あかぎ』の名で同区間を走ってました。
【過去記事より転載】
前年の東海道新幹線開業で大量余剰になった151系は西に移動し、その一部は九州初の電車特急『つばめ』『はと』として博多まで運転されました。 しかし下関-博多間は電源車を連結した電機牽引の電車の客車用法という不自然な状態が続いてました。
鹿児島本線の熊本電化に合わせ、交直両用481系で『電車のあるべき姿』運転』が実現し、熊本駅でお決まりの出発式が行われてます。
地元にとって初の電車特急運転は大きな出来事で、熊本城をデザインした記念特急券が販売されてます。 この時に鉄道発祥以来東海道看板列車だった『つばめ』が九州へ乗り入れ、後年九州新幹線開業時の列車名に『つばめ』が採用される礎を築いたと言えます。 鹿児島行だった『はやぶさ』が、何故北海道新幹線列車名になったのかは謎ですが・・・。
この時代の特急『つばめ』の運転区間は新大阪までではなく名古屋まででした、名古屋駅でも出発式が行われてます。 中京圏企業が人材募集する場合、地元中京と関西近畿圏以外では、乗継が必要で感覚的に遠い東北より、直通で行ける九州北部が近く、昔から人の流れがあったのでしょう。 以前から名古屋と北九州を結ぶ夜行急行列車が運転されてました。
東海道新幹線開業余剰の151系で、前述『つばめ』『はと』の他に新大阪と下関・宇野間に多くの新幹線リレー特急が新設されました。 1年後に運転開始された新大阪-広島間特急『しおかぜ』もその類だと思ったら481系での運用です。 博多-新大阪間特急との組み合せ運用、博多-新大阪-広島、翌日逆コースの運用で生まれた行きがけの駄賃特急の様です。
151/153系直流電車が電機補機で越えた瀬野八を補機なしで越える475系急行『はやとも』です、主電動機が165系並みに強化されてたからでしょう。 運転区間は名古屋-博多と思われますが、運転期間が短く確認できませんでした。
同じく475系熊本-岡山間の新急行『有明』です、新幹線の岡山延伸はまだ先です。 急行『有明』の存在は2年と短く、1967年10月改正で鹿児島本線内特急に格上げされ、1970年の鹿児島電化で電車化とあるので当初はDCだった様です。 新幹線博多開業後はリレー特急へ、九州新幹線開業で規模縮小され2021年消滅してます。 地名から安易な命名で、利用者に親しまれる事なく、便利遣いされ捨てられた数多くの列車名の一つです。
ではまた。


















