Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

60年前年末年始の鉄道風景 東日本編

結局2月はレイアウト建設進展なしに終わりました、西日本編に続き東日本編です。

ブルトレ全盛時代の牽引機EF65登場です、1965年デビューだったんですね。

岐阜は名古屋に近い為かブルトレ特急は全列車通過でした。 『県庁所在地駅なにに』と、地元から要望があったのでしょう、1964年10月ダイヤ改正で『みずほ』と『富士』が停車する様になりました。

当時オハ35系に室内灯を蛍光灯化し、木製扉を鋼体化Hゴムにし青塗装の『近代化更新車』を良く見ましたが、スハ43系にも同じ手法の更新車が存在した等です。 急行『立山』は504レの列車番号からすると定期急行列車だった様です。

大阪-大垣間運転のスキー専用列車と言う事は、比良山か伊吹山にあったスキー場利用客向け列車だったのでしょう。

2ヶ月前に開業した東海道新幹線は、初めての冬を迎えて関ヶ原付近の降雪影響で遅延続出し、『雪に弱い新幹線』と言われてました。 その降雪シーズン前の1枚で、本当にこんなモーターカー除雪車で事足りると考えてたのでしょうか? 風圧で巻き上げられる雪が原因と解り、スプリンクラーが設置されました。

名古屋の地下鉄は乗車経験ありません。 何事も東京・大阪に続いて3番目、愛知万博いつだったか思い出せませんが、1965年に走ってたとは知りませんでした。

名前だけ聞いた事があるナローの尾小屋鉄道の蒸機が消え去るニュースです。 東レ引込線蒸機と異なり静態保存の話はなかった様です。

有楽町駅国電ホーム外側東海道本線を、当時はEF60番台電機に追われ出番がなかったEF56が回送列車を牽いて通過中です。

上野駅テント村では収容不能になり、上野始発一部列車を品川始発に変更して年末混雑緩和を図ってました。 前出のEF58回送列車もこの臨時措置による物です。

この原宿駅写真は明治神宮境内から、普段は閉鎖されてる原宿駅外回り臨時ホームを撮影してます。 この写真撮影時に筆者は所属してたボーイスカウト団員で明治神宮に居ました。 初詣ではありません、参道の篝火を2人で守る『竿燈奉仕』でした。 大晦日夜から、元日朝まで1時間交代、奉仕中は半袖半ズボン制服で、寒い思いをした記憶があります。

上野発常磐・成田線経由成田行蒸機列車で初詣に行きました。 上野発定期蒸機列車として有名でしたが、臨時列車も運転されてた様です、牽引機は佐倉区のC5か/C58でした。

特急『ひびき』の務めを終え157系は、先頭車を東海道に横取りされた特急『とき』の代役務めたりで大忙し、正月でも暖かい伊豆で急行運用されてました。

東京周辺から80系・70系が111系・113系に追われて姿消した時代でした。

新幹線開業で東海道で余剰になった先頭車が特急『とき』用改造を受けて転身です。 改造とは主電動機載せ替えのパワーアップか、耐寒設備だけだったのか定かではありません。

先のEF58牽引回送列車と同じく正月ならではの風景、臨時準急列車を牽引するEF53です。 次位は暖房車に見えますが、旅客列車用EF53は蒸気発生装置がなかったのでしょうか。

元日の恵比寿駅前、当時の恵比寿は山手線駅の中で鶯谷や駒込と並びパッとしない駅でした、あれほど発展するとはね。 都電8系統は築地と中目黒を結んでました。

NSE車投入で特急用車両に余裕ができた小田急は、多客シーズンSE車を使って江の島特急を運転してました。 正月期間は日に3往復の運転でした。

九州で死滅したC59が呉線以外に東北で正月臨時列車牽引で働いてました。 最後は筆者に理解不能な写真です。

直流専用電機EF64重連が交流電化区間、奥羽本線雪の板谷峠で試運転をしてます。 これ一体何だったのでしょう?


ではまた。

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