Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

春はそこまで

暦の上では立春過ぎたら春ですが、2月上旬は寒い日が続きました。 北海道や裏日本側は例年の倍を越える豪雪ですが、諏訪は雪が舞う程度で、2-3㎝の小雪でした。 と思ってたらこの週末に積雪があり、今シーズン初の雪掻きに追われました。


今回で更新1,500回になりました、良く続いた物だと我ながら思います。 これも通過点に過ぎないのでしょう。

もう半月すれば桜前線が北上開始します。 この時期撮影鉄道風景を集めてみました。

最初は加悦(かや)鉄道から、小型タンクロコの木造貨車入換作業です。 『昭和の田舎』の匂い満載の長閑な風景です。

鉄道のない那覇と国電しか停車しなかった浦和駅を除いた県庁所在地国鉄駅で、一番目立たずくすんだ雰囲気だったのが奈良駅でした。 他の県庁取材地駅は多数の優等列車停車駅で華々しい空気に包まれた中で、奈良駅は千年の眠りに就いた様に静かでした。

新幹線開業で職場を失った151系活用先として、山陽路に多くの電車特急が誕生しました。 特急『ゆうなぎ』は新大阪-宇野間本四連絡特急で、特急『富士』の1本が宇野行でしたので、『富士』から分離独立した形でした。

特急『しおじ』も山陽路雨後の筍特急の一つで関西と下関を結んでました。 先日紹介した鷹取-西明石間複々線化工事が完成し、運用開始されてます。

運用開始された複々線化区間の撮影です。 東京近郊中央線でも良く見掛けた、後の101系を連想させる73系旧国電が懐かしいです。 数年後、この区間で単機回送機関士が並走する電車に競争を挑み、最高速85km/hのD51で95km/h出した話がD51特集号に載ってました。


現在なら服務規程違反懲罰物ですが当時は武勇伝、職人気質と言うか、現在では許されない鷹揚さがあった時代でした。 時効なので白状すると筆者も『ケーブルTVの有線放送視聴方法がないか』と依頼され、職場の部品でコンバータ製作した経験があります、罪悪感ゼロでした。 コンプライアンス・ガバナンス等横文字概念が非寛容時代を到来させました。

前写真から明石海峡を渡った淡路島にもかつて電車が走ってました。 他の地方私鉄と同じくモータリゼーションの波を受けて、この時期に姿を消しました。

上野駅を発車する新潟行特急『とき』、第1と冠が付いてるのは日に複数列車運転が始まってたからでしょう。 ビンボー学生だった筆者は165系急行『佐渡』が精一杯でした。

ヒョッとして新宿?と思った大駅夜景は米原でした。 急行停車駅だけど、特急はほぼ通過です。 古くは中山道・北國街道分岐宿、近世に入り東海道本線・北陸本線分岐駅、更には東名高速・北陸道JCTと常に交通の要衝でしたが、学生時代の地理では『米原町』でした。


南北を長浜市と彦根市に挟まれて発展を阻害されたのか人口は少なく、平成の大合併で3町統合で『米原市』誕生は2005年、わずか20年前の事で人口3.3万人の小さな市です。


ではまた。

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