満鉄特急『あじあ』号
『満鉄』特急『あじあ』号計画が持ち上がったのは満州国の建国翌年1933年でした。 日本が満州の直接経営を始め、その背骨に当たる大連-新京間高速列車の要望実現が背景です。 当時の最速列車急行『はと』は、701.4kmのこの区間を10時間30分で結んでました。
ここに130km/h運転を目標にした世界に誇れる特急列車を、『満鉄』設計の新型蒸気機関車と客車で走らせる計画でした。 途中停車駅は大石橋・奉天・四平街の3ヶ所だけで、計画から運転開始まで1年余のスピード開発でした。
『あじあ』号牽引機として1934年に製造されたパシナ型は、今見ても古臭さがなく格好良く(個人的感想)、とてもD51に2年先行した蒸機とは思えません。 高速走行前提で機関車も客車も流線形にする必要があり、ファッションでない機能美があると思います。
開発初期に軍用機メーカー風洞実験で形状検討し、100km/h未満では差がなく100km/h以上で空気抵抗影響が増大し、130km/h~150km/hでは推進力の13%~15%に達し機関車はA図形状が最適と解りました。 現在の新幹線車両に通じる形状で、当時の技術力の高さを感じさせます。 しかし連結器や排障器取り付けに問題があり、B図形状に決定しました。
客車も空気抵抗影響を受けるので、最後尾展望車形状も風洞実験結果から丸味を帯びたC図形状に決まりました。 実験結果では車体下部を絞り込み、線路近くまで覆うのが一番良いと解りましたが、床下点検・整備性の観点から線路上500mmの設計になりました。
若手技術者として『あじあ』号開発に携わり、発刊時70歳前後だった方が当時の回想を寄稿されており、『満鉄』と鉄道省の技術を結集して開発した列車だったと解ります。
パシナ型は全長25.7m、全幅3.2m、全高4.8m、動輪直径2,000mm、総重量200t、軸重24t、車軸配置4-6-2、最高速度130km/hの巨大機関車で、高速長距離無停車運転を前提に設計されました。 外装は紺青色に塗装され(カラー写真がないのが残念です)、助役待遇機関士と機関助士2名が乗務し、自動給炭装置等数々の新技術が採用されました。 パシナ型は11両製造され、大連・新京機関区と事故に備えて奉天に1両配属されました。
流線形の最後部、当時最新ファッションの女性は、1等乗客だったのでしょう。
『あじあ』号客車は新規設計で、機関車次位から郵便荷物車・3等車2両・食堂車・2等車・1等展望車の6両編成で4編成製造されました。 標準軌なので車体は24.6mと長く冷暖房完備でした。 空気抵抗軽減の丸味を帯びた車体と床下スカートが特徴で、淡緑色に塗装されてました。 特急『つばめ』青大将は、『あじあ』号に倣った物だったかもしれません。
実際の製造は、1等車2両、2等車1両の予備を含めた27両でした。 日本国鉄3等客車製造費が¥13,500の時代に、5-6倍の費用を掛けた豪華客車で、自重は50t台後半です。 ちなみに旅客列車牽引大型蒸機製造費が¥85,000だったので、客車1両が機関車並みでした。
当時の満鉄3軸ボギー客車の平均自重は60tで、『あじあ』号は冷房設備が加わり、66t~67tになると試算されました。 そこで台枠使用鋼材見直しに始まり、溶接多用、アルミ合金・マグネシウム合金採用、更に航空機用ジュラルミン採用で軽量化を達成しました。 厳寒と砂嵐の大地を走る『あじあ』号は、2重窓構造で乗客は開閉できず、冷房故障に備えて車掌の鍵で開閉可能になってました。 また貫通幌も2重で寒さと砂塵対策をしてます。
日本国内で木造客車や、草創期鋼体リベット打ち電車が走ってた時代に、こんな豪華客車を『満鉄』は作り走らせたのです。 1934年秋、日本の満州国開発の宣伝目的に日本新聞協会招待で視察に訪れた米国新聞記者団は、営業開始前『あじあ』号試運転列車に乗車して速度と快適性に驚嘆し、彼等の視察記事により『あじあ』号は世界中に知れ渡りました。
【左下『新泉』は『新京』の誤植】
特急『あじあ』号は1934年11月1日から上記ダイヤで運転開始しました、急行『はと』所要時間10時間30分を2時間短縮する8時間30分、表定速度82.5km/hは、東海道本線の客車特急『つばめ』を大きく上回り、後年登場の電車特急『こだま』に迫る高速列車でした。
北満線接収後はハルピンへ延長運転しましたが、新京-ハルピン間242.1kmは線路状態が悪く5時間要し大連-ハルピン間13時間30分運転、後に線路改良で1時間短縮しましたが、太平洋戦争激化した1943年3月31日で運転中止となり、7年半の活躍に終止符を打ちました。
『あじあ』号機関士を務めた方も健在で寄稿されてます。 パシナ型の最初の印象は兎に角巨大、満鉄急行牽引機の動輪直径は1,850mmでしたから、機関車横に立って見る150mm差は非常に大きかったと思います。 乗務員が乗務中に気を使ったのは自動給炭機作動状態、パシナ型高速走行には人力給炭では追い付かないほど大量の石炭を必要としたからです。
上流階級のサロンと言った雰囲気の展望車後部、1等車前半分強に座席があり、後部が談話室になってた様です。 大型のラウンド窓も当然2重窓で結露防止効果がありました。
食堂車の内部もゆとりの設計です。 日本国鉄食堂車の通路両側4人掛けテーブルに対し、標準軌の広い車体幅にも係わらず片側4人掛け、片側2人掛けテーブルになってます。
5号車2等車と6号車1等車連接部分の写真で、2重貫通幌の外側が車体幅一杯の位置に設置されてるのが解ります。 また客車扉は引戸スライド式でした。
紺青色流線形蒸機に淡緑色に白ラインの列車は、満州大地の緑に良く似合ったと思います。 メーカーさん『あじあ』号模型化しませんか。 90年前の『あじあ』号知る人居ませんが、無煙化から50年、蒸機模型購入者で現役時代知る人は2割未満、他は復活蒸機イベント列車しか知らず似た様な物です。 格好良ければ欲しくなる人居るし、コレクターも居ます。 日本型レイアウトには似合いませんが、運転会のスター列車になれます。
ではまた。

























