能登線全通開業
『鉄道開通で人・物の流れが活発化し地域は発展する』は、日本の鉄道発祥以来の原則で、何より事実が証明し新線建設の大義名分でした。 能登半島では七尾線が輪島まで開通してましたが、先端に近い珠洲市は鉄道開通が悲願でした。 20世紀後半に入り、『鉄道開通』から『道路網整備』に変化してましたが、国鉄は計画に従い建設を進めました。
七尾線穴水と蛸島を結ぶ能登線もその一つで、穴水-松波間部分開業は以下記事で日南線、指宿枕崎線、岩日線、三江線、会津線開業と共にお伝えしてます
★1963年 国鉄新線開業・・・2024.02.19更新
この時開業したのは松波-蛸島間で、珠洲市民の生活の足としてだけでなく、珠洲から輪島への奥能登周遊コース観光基点になる期待も掛かってました。 結果から見れば、無駄な物を巨額の費用で建設して国鉄の赤字を膨らませ、経営破綻を加速させました。
摂津鉄道S氏の神岡線訪問レポート『新しいローカル線』と同じ手法の鉄道建設で、小駅の多くは無人駅で貨物・手小荷物扱いせず、山を迂回せずにトンネルで突破する方式です。
延伸開通部には恋路海岸の景勝地があり、車窓から富山湾越しに白山連峰を望む絶景路線で、観光客誘致の期待が高まりましたが空振りでした。 能登は公的交通機関が少なく距離も長く、開通当時から便利な自家用車利用観光客が多かったのでしょう。
筆者訪問は能登線が第三セクターを経て廃線後で、絶景を堪能しました。 尾根筋の自動車専用道でアクセスが良く、車移動が効率的な観光地だと感じました。 北陸新幹線で観光客は増加するでしょうが、新幹線+レンタカーが圧倒的になると思います。
写真に添えられた『瀟洒な煉瓦造が観光地の駅らしい』は無理があります。 コンクリートブロック平屋、グランド隅に建つ部室群の様な低コスト建築です。
能登線は1922年改正鉄道敷設法の建設予定線に入ってました。 それから40年以上掛け、能登半島先端に辿り着いた鉄路は、開業わずか4年後に赤字83路線の一つとして、国鉄諮問委員会から廃止勧告を受けてます。 建設時が国鉄再建のターニングポイントであったとは言え、『国鉄は一体何をやってたんだ』の想いを強く感じます。
日に10往復の列車が運転され、1往復は準急『つくも』でした。 珠洲の港蛸島での発車式です。 能登線は1988年に第三セクター化され、2005年に全線廃止されてます。 それに先立つ2001年に七尾線穴水-輪島間も廃止され、奥能登から鉄路が消えました。
ローカル線終着駅にはとても見えない蛸島駅です。 昨年元旦の能登震災でJR西津幡-七尾間と、のと鉄道七尾-和倉温泉間が被災不通になりましたが、2月15日までに復旧しました。 ここは観光路線で当然ですが、2016年熊本地震で被災した南阿蘇鉄道(旧高森線)は、橋梁架け替えや新トンネル掘削に国費(税金)と7年の歳月をかけ2023年復旧してます。
【新潟県知事年頭記者会見より】
一方2022年夏の集中豪雨で不通になった米坂線今泉-坂町間復旧には、89億円の費用と5年の工期が見込まれ、現在も協議中で復旧目途が立ってません。 南阿蘇鉄道との差は激甚災害指定の有無で、指定されれば国費で復旧しますが、指定されなければ国土交通省所管の国道復旧でオシマイ、民間経営鉄道は事業者と地元自治体で協議して決めなさいなのです。
【運休中の米坂線越後片貝駅】・・・過去記事より
南阿蘇鉄道と米坂線を比較するのは不謹慎ですが、沿線自治体首長から高校生は通学できず下宿を余儀なくされ、長期不通に転居の動きが始まったと陳情が出てる現状で、復旧されるか予断を許しません。 防災・地方重視を言うなら、復興予算で復旧可能ですがね。
ではまた。















