Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

新幹線開業直前の動き

1964年10月新幹線開業を間近にした5月~9月には鉄道に係わる様々な動きがありました。 新時代の鉄道誕生と共に、まだ蒸機現役であり新旧混在、新旧交代の時代でもありました。 全国からそれらの動きを拾ってみます。


★新幹線開業・ダイヤ改正

9月一杯は東海道で活躍する151系も10月1日からは博多乗り入れです、その為に必要な改造は既に始まってました。 ダイヤを1日たりとも止められないからです。 スマートな151系先頭車が武骨になってます。 481系登場までの2年間の姿です。

151系先頭車改造の影響は『とき』に波及しました。 151系は全編成目一杯東海道輸送に従事してたので、クハ161を東海道に回し(国鉄花形特急ですから)、『とき』先頭車は157系予備車を借りて運転してました。

【目黒-恵比寿間 1964.6.24】
難航してた103系量産型増備が始まり、山手線に投入されました。 短い期間ですが山手線にカナリア色101系とウグイス色103系が混在してました。 新幹線だけでなく都内交通でも新型電車でオリンピック訪問客を迎えたかったのでしょう。

総武緩行線は7連運転でした。 10月ダイヤ改正で山手線/中央線に並ぶ10連運転を始める為、ホーム延長工事が進んでました。

中央線では中野までだった複々線を荻窪(三鷹までの1期工事)まで延長する工事が進んでました。 同時に高架化するので、地上複線両側に柱を建てて2線敷設してます。

その2ヶ月後、新設高架線の架線工事が終わり、9月19日深夜、終電から始発電車の間に線路付け替え工事を人海戦術で実施してます。

翌日から高架線利用、この後地上線を撤去して左右高架を繋ぐ高架路盤を建設し、2線敷設して複々線化が完成します。 この時点で中央線101系に置き換え完了と思ってましたが、まだ旧型国電が走ってた様です。

先日紹介した東京モノレール建設最大の難所、国鉄線跨線橋梁の工事現場です。 開業まで2ヶ月でまだ工事半ばです。 過密ダイヤで運転する線路間に接触限界をクリアして図面上橋梁を支える柱は建っても、どう建設するか、夜間4時間弱が勝負だったでしょう。

それまでブルトレ寝台特急は存在しませんでした、何故なら最後尾はナハフ座席車で、ナロ1等座席車も編成に含まれてたからです。 国鉄用語の『寝台列車』とは旅客全てが寝台車利用の列車で、ナハネフ22・23登場でようやく『寝台特急』と名乗れる様になりました。


★関東私鉄

東武1720系特急ロマンスカーの浅草-東武日光所要時間が1分短縮し105分になったニュースです。 バカバカしいと思いますが、当時東武は国鉄と日光戦争中でした。 国鉄は電化し157系準急『日光』投入で、上野-日光所要時間は112分、6分差を7分差にした訳です。

屋根上運転台の名誉を名鉄に奪われた小田急NSE車は、ブルーリボン賞受賞で面目を保ちました。 鉄道のブルーリボン賞やカー・オブ・ザ・イヤーの価値は下がったと思います。

以前お伝えした様に、この年7月に営団地下鉄日比谷線が全通し、東急東横線と相互乗入が始まりました。 写真の営団3000系は、長野電鉄で2-3年前まで60年近く現役でした。

日比谷線乗り入れは日吉までで、東横線急行運転開始以来、自由が丘と並び急行退避接続駅でした。 横浜方に折り返し日比谷線用電留線2本が新設されました。 当時は横浜市港北区中心的学園街でしたが、武蔵小杉と菊名の発展で地盤沈下、特急通過駅になってます。

筆者が良く知る、と言っても乗車は数年に1回、品川や横浜で見かけた顔の京急車両がこの時代の新型車だったとは知りませんでした。


★尾瀬ブーム
道路整備とバス路線で、尾瀬ヶ原が簡単に行ける『秘境』になり、ブームが起きました。

上野から合津田島まで臨時急行『尾瀬』が運転されてます。 残雪と水芭蕉の5月中旬から、高山植物が咲き誇る7月末までが尾瀬の観光シーズンでした。

『尾瀬』には仙台始発の『会津尾瀬』2両が郡山で併結されてました。 山屋にとって意中の女性を誘うのに格好の場所で、筆者も結婚前に嫁さんと訪問してます。


★どっこい蒸機は生きている

政府はオリンピック開催までに東京から蒸機の煙を消したかったのでしょうが、当時の輸送状況はそれを許しませんでした。 上野、両国から数本の蒸機牽引旅客列車が出てましたし、新小岩や新鶴見など東京周辺では多くの蒸機が現役で働いてました。


房総西線複線化工事は、東京への一極集中が進んだ時代でドーナツ化現象が加速し、通勤圏が広がって千葉以遠に波及し始めたのが背景です。 C58牽引『かもめ号』は両国始発安房勝山行海水浴列車で、1966年夏に友人達と乗車し、海水浴に行きました。〔続く〕


ではまた。

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