Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

2024年を振り返る 6月以降

上半期/下半期で別ける予定が、5月で終わってしまいました。 6月以降のまとめです。

【物置を作るより転載】・・・6月19日
小型水田3枚でも稲刈りすればハザ掛けして天日干しですし、様々な用途に使う稲わら収納場所も必要です。 何より日々使う農機具や蓑や菅笠などを収納する物置を作りました。 簡単にチョイチョイとできると思ったら大苦戦、『こんな物さえ作れない視力なのか』と思い知らされる結果になり、大落胆して工作を続ける意欲が減退してしまいました。

【カーブ鉄橋の設計変更より転載】・・・6月26日
延伸線次の敷設区間はカーブ鉄橋先までです。 デッキガーダー4連鉄橋で中央2スパンが128mm長、両端が89mm長の全長434mmで、橋脚含め塗装まで完成してました。 ところが見逃せない重大なミスを発見しました、実際に有り得ない鉄橋構造だったのです。


橋脚は最大荷重(軸重/1m当たり重量)を基に、荷重を支えられる強度に設計されます。 この作例の様にスパンが異なる場合は短スパン桁高を長スパン桁高より低くして、鉄橋各部が同一最大荷重に耐える構造になってます、異スパン同一桁高は有り得ません。 全長434mmはTOMIX基準レール長140mmの3倍に近いので、3連化変更を検討しました。

【TOMIXプレートガーダー橋140mm長】
と言うのはTOMIXは140mmプレートガーダー橋を販売しており、このデッキガーダー橋を採用すれば3連鉄橋ができるからです。 プレートガーダー橋は桁下クリアランスが厳しい場所に、製造コストが安いデッキガーダー橋はそれ以外の場所に使われ、最大荷重が同じなら桁高は同じだからです。 期待してTOMIXカタログ調べたら度肝を抜かれました。

【TOMIXさんまたやったのね!より転載】・・・6月28日

桁高不足の上に橋脚部を更に半分に薄くした強度設計上有り得ない鉄橋が出てきたのです。 TOMIXの魂胆は明白です、理屈に合ったデッキガーダー橋は桁下クリアランスが狭くなり、同じ橋脚使うと線路が高くなって立体交差部勾配区間が長くなるのを嫌ったのです。 この鉄橋発売時に、辻褄が合わなくなる140mmプレートガーダー橋を販売中止してます。


またデッキガーダー橋と他形式鉄橋境界用に段付き橋脚を新製する必要があり、手間を惜しんで実感無視したこんな代物を世に送り出した訳です。 製造の都合と利益優先、『どうせ玩具だからこれで良いでしょ』とユーザーを馬鹿にしたTOMIXらしい製品作りです。 落胆した分怒りも大きく、この記事は更新半年を経ても継続的なアクセスがあります。

【カーブ鉄橋の改造設計】・・・7月3日
結局完成した4連デッキガーダー橋89mmスパンの桁高を2mm低く改造する事にしました、苦手になった工作で解決するしかなくなりました。

【TOMIX木造駅舎セット寒地タイプより転載】・・・7月5日

TOMIIXデッキガーダー橋調査時に見かけたのがコレ、先行発売されたKATO『ローカル線の木造駅舎』より余程良い出来で、付属の出入口引戸や落雪止で北国の駅を演出できます。 当社従来線中山平にピタリで高評価しました。 これも継続的アクセスがあります。

【D51北海道形???より転載】・・・7月12日

KATO新製品情報のD51北海道形が気になりました。 標準型から長野式集煙装置付、一次型と製品展開してきたKATOがまた部分金型変更派生車種で『美味しい商売』に走ったのかと理解したからです。 公式な『北海道形』は存在せず、『8620東北仕様』と同様な売らんかなの姿勢を感じたからです。 新製品は興味を惹く様で継続アクセスがあります。

【続・KATO D51北海道形】・・・7月15日

当初密閉式キャブとギースルーエジェクター装着を北海道形と称したと筆者が勘違いした事もあり、複数読者からコメントを頂戴し、デフ前端切り詰めなど幾つかの特徴を以て北海道形と通称されてると知りました。 『一体D51単機で何トンの運炭列車を牽引してた?』の長年の疑問の答えも得られました。 継続アクセスがあり、長期PVに貢献してます。

【カーブ鉄橋の改造その2より転載】・・・7月17日
桁下材を切り取って12tプラ板に貼り付け、桁下をヤスリ込んで貼り合わせる方法で、89mmスパンの桁高を2mm詰めました。 出来は75点という処で、現在の工作力では仕方ありません。 何より橋梁工学的に有り得ない鉄橋を設置して悔いを残さずホッとしてます。

【レイアウトスペースを考える後編より転載】・・・8月5日

現在のNレイアウトは線路多過ぎ、シーナリーは線路の隙間埋め程度に扱われてる例が多いと筆者は感じてます。 シーナリー重視を謳ってる当社従来線でさえ、東京駅より少し広い実寸法に3駅と3方向に山とトンネル、大峡谷までてんこ盛りが実態です。 レイアウトスペース活用法の所感をまとめた記事で、これも長く読み続けられそうです。 8月には俳句の方で嬉しい事件がありました。 所属結社8月号の『一席』に選ばれたのです。

会員数360人、結社創立時からの句歴25年以上の同人100人以上、NHK全国俳句大会特選に選ばれた方が何人も居ます。 俳句甲子園で活躍し将来を嘱望される若手も所属しており、70歳で始めた筆者は10年やっても絶対無理だと思ってた『一席』でした。 7月末に編集部からメールがあり、お祝いと『巻頭作家インタビュー』原稿執筆依頼がありました。

主宰する俳人の拙句評です、機関誌巻頭に掲載された自句を見るのは実に気持ちの良い物で、5年続けて『少しモノになってきたな』と実感できました。 この句には影響を受けた画像があります、風太郎さんの写真集『旅のたまゆら1981-1988』の裏表紙です。

【作句の原風景】・・・出展 写真集『旅のたまゆら1981-1988』
記録を残す事を重視した風太郎さんは、旅の終わりに川口で途中下車して別に切符を求め、北海道学割均一周遊券の半券を手元に残したそうです。 時間はあったがお金がなかった、経験や知識も足りなかったが夢があった1970年代、学生時代貧乏旅行の記憶です。

【巻頭作家インタビュー記事より】
風太郎さん回想によると、稚内発札幌行上り『利尻』に乗車し、下り『利尻』交換駅で真夜中に乗り換え稚内に戻る『ブランコ』なる技法が紹介されてますが、爆睡型の筆者には無理な相談で、親切で話好きの駅員さんが宿直してる駅待合室でゆっくり寝ました。

【Nストラクチャの価格動向後編より転載】・・・8月12日
N車両価格の高騰が止まらないと思ってたら、Nストラクチャの値上げはもっと凄かったというお話です。 2回に渡りTOMYTECH、TOMIX、KATO、GM製ストラクチャ価格を10年前と比較しました。 GMを除き車両価格上昇を上回る1.8~2倍の値上がりで、レイアウト製作ハードルを押し上げてる実態が解りました。

【KATOSL冬の湿原号】・・・8月19日

2024年後半は自分自身に腹を立てるのが嫌で、レイアウト製作から離れました、と言うより避けたのです。 ブログは工作記がないので、短期的INポイントやアクセス数にこだわらず、資料的価値で読み続けていただける記事作成中心にシフトしました。


レイアウト製作者として引退するしかなくなっても、俳人『ロフト』のもう一つの軸ができつつあるからです。 蒸機が牽く新造旧客のイベント列車、しかも場所と季節限定で高価、購入して個人レイアウトで運転する状況が思い浮かびません。

【スイッチバック信号所より転載】・・・9月2日

当社が通過型スイッチバック採用レイアウト3例目、製作から10年、公開から9年経過しても4例目は現れません。 スペース効率は極端に悪いけれど、運転が魅力的な列車交換施設、誰か作りませんかの提案です。 興味は持っていただけた様で継続アクセスがあります。

【新しいローカル線より転載】・・・9月25日

1964年以降に開業したローカル線には北陸トンネルや新幹線建設技術が適用され、前時代のローカル線とは橋梁、駅舎など全く違うローカル線が出現しました・ その様子を摂津鉄道S氏が訪問レポートしてます。 蒸機の居ないレイアウトがあっても良いと思います。

【HOn2 1/2レイアウトの設計その5より転載】・・・10月7日
沼尻鉄道とHO2 1/2レイアウト『祖師谷軽便鉄道』の紹介をキッカケにナロー熱に取り付かれてしまい、レイアウト設計まで完了させました。 屋根裏固定式は持ち出し不能、ナローなら可搬型サイズで十分運転を楽しめ、かつ1/87スケールなら工作も楽だからです。


自室書斎を片付ければ設置可能とスペース問題も解決しましたが、延伸線中途半端のままの新レイアウト製作着手は余りにも節操がなく、これ以上レイアウト製作の戦線を拡大すべきではないとの結論に達しました。 予想以上に高額な車両価格は許容範囲内でしたが、俳句にも結構金が掛かるので、趣味支出バランスを考えての、中止決断でした。

【現代に生き残った軽便鉄道より転載】・・・11月2日
三重交通湯ノ山線は軌間762mmの軽便鉄道でしたが、1,453mm軌間に改軌(写真右)して近鉄路線に組み入れられ現在に生き残ってます。 三重交通残り2路線(写真左)はとっくの昔に廃止されたと思ってましたが『四日市あすなろ鉄道』として軌間762mmの軽便鉄道のまま現存してました。 軽便鉄道が生き残った数少ない事例です。

【ぼろぼろの時刻表7より転載】・・・12月2日
まだ終活には早いのですが、目が悪くもう読めなくなった文庫本を整理しようと段ボール箱を開けたら、1966年夏の研究旅行計画に使った交通公社時刻表1966年4月号を発見しました。 58年前の物で、セピア色に変色し良く読めず、画像処理してこの程度です。


電化区間延伸で頻繁にタイヤ改正が行われた時期で、研究旅行の足跡を辿ってみましたが、記憶が残ってない部分も多く、何処を見学したか解らない場所が2ヶ所ありました。 人の記憶とは如何にいい加減かを痛感した次第です。 それでは良い年をお迎えください。


ではまた。

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