2年以上長かった瀬野八越えD52補機
ボリュームの大きい記事が続いたので、今回は前回C59特集に関連する小話です。 前回のC59特集で『1962年5月に広島まで電化され、瀬野八越えD52補機の役割も終わりました』と書きましたが、筆者の思い込みで間違ってました。
広島電化で登場した151系特急『富士』や153系急行『宮島』の瀬野八越え補機は、電機が務めました。 ブルトレ特急や客車編成急行や普通列車も電機牽引電機補機に変わり、当然貨物列車も同じだったろうと考えた訳です。
ところが山陽本線岡山-広島間電化後も、岡山操車場・広島操車場と本線を結ぶ貨物専用線は非電化のままで、この区間の貨物列車は山陽本線全線電化2ヶ月前の1964年6月末まで、D52牽引で運転されてました。
そして出力特性の違いなのか、蒸機牽引列車の補機は蒸機にしか務まらない様です。 本務機DF50に蒸機補機の狩勝峠の例があったので、電化区間補機は電機の単純思考でした。
つまり、広島電化完成後2年余、D52は瀬野八越え貨物列車の補機を務め続け、1964年6月30日に最後の日を迎え、70年の歴史の幕を閉じました。 最後の列車は幡生操車場(下関)発、鶴見操車場(東京)行貨物列車でした。
瀬野駅で行われた『さよなら後押し蒸気機関車セレモニー』の様子です。 本務機、補機2両共に国鉄最強力蒸機D52とは何とも凄いです。
翌日からは電機牽引電機補機に切り替わりました。 EF15/EF60/EF61が同等性能電機として使い回されてた様子が解ります。
同等性能電機使い回しは瀬野八越え補機も同じで、EF58/EF59/EF61がその任に当たってます。 この写真から補機が必要だったのは瀬野⇒八本松一方向だったと解ります、大型電機の3機回送です。 今回はグッと短いですが、たまにはよろしいかと。
ではまた。










