九州初の電車特急は・・・
東海道新幹線開業準備で忙殺されてた1963年の国鉄内部では、新幹線開業後の車両運用について意見が割れてました。 余剰になる151系の交直両用改造案と、特急網整備の為新製案の間で結論が出ませんでした。
【ウィキペディアより】
最終的に新製になった訳ですが、開発着手が遅れ60Hz交直両用481系は1964年12月25日に北陸本線で営業運転開始、50Hz交直両用483系は1965年10月1日から東北本線で営業運転開始になり、更に1968年50Hz/60Hz交直両用485系で形式が統一されました。
1964年10月1日新幹線開業日に山陽本線の全線電化運転を開始してます。 偶然の一致ではなく、国鉄が首都圏-関西圏の時間短縮と同時に北九州圏との時間短縮を実現すべく、同期して工事を進めた結果です。 東海道本線の職場を失った151系は西へ下り新幹線接続列車になり、東海道看板特急だった『つばめ』『はと』は新大阪-博多間運転になりました。
至極妥当な運用変更ですが、151系直流電車を交流電化の九州内をどう運転するかが問題になりました。 間に合ってれば博多行2往復に481系を充てる処ですがない袖は振れません。 窮余の策として九州内を電機牽引、電源車を付け151系トレーラー運転になりました。
10月1日の運転開始を控え川崎車輛で新製した電源車サヤ420の試運転が行われてます。 下関-門司間はEF30牽引、門司-博多間はED73が牽引しました。
山陽電車特急は博多行『つばめ』『はと』の他、下関行『しおじ』も増発され下関駅で出発式が行われてます。 新線開業や新列車運転開始時のお決まりイベントです。
九州初電車特急『はと』の出発式です、本来なら博多駅で盛大に行われる処ですが、電機に牽かれ電源車付きの自走できない電車では様になりません、どうしたかと見ると・・・。
国鉄も考えましたね、始発駅博多で出発式を行わず、山陽本線最後の電化区間西端の小郡駅で出発式を行ってます。 苦しい選択だったのは間違いありません。
関門トンネル出口、左が電源車サヤ420、その先はEF30です。 この鉄道事業者として恥ずかしい状態は、481系に置き換えられる1965年10月まで1年続きました。 リリーフ役3両のサヤ420は不要になり、モハ420へ改造されました。 1年間だけ見られた電機が長編成電車を牽引した珍しい特急列車の話でした。
ではまた。








