信濃のC56
前回更新の鉄道P誌C56特集番外編として長野県のC56について書きます。
長野県はC56頼りの簡易線区小海線と大糸線、C56が主力を務めた飯山線があり、他地方に比べC56の関連性が高い県です。 筆者訪問保存機を含めた長野県C56特集にします。
1.小海線
筆者の『信濃のC56』の記憶は古く1963年に遡ります。 中学林間学校施設が清里にあり、ハイキングで八ヶ岳連峰展望台の飯盛山(戊辰戦争の白虎隊の飯森山に非ず、めしもり山)山頂で昼食時、小淵沢方から登ってくるC56牽引列車を遠望しました。 煙は真上でたなびかず、ようやく移動してると解る程度、多分30km/h行くか行かないかの速度でした。
野辺山の国鉄最高標高地点を越えて佐久側に下ってゆく貨物列車、と言っても有蓋車1両に尾灯標識付けただけです。 背後の山は甲武信岳、金峰山など奥秩父連山の前衛峰です。 小海線C56は中込区か上諏訪区と思ってましたが、飯山区から出張ってたとは驚きです。
33‰登り勾配を力走するC56牽引列車、2月は太陽が雲の中の八ヶ岳に遮られ、暮れ残る雲に照らされ逆光です。 小海線では1950年代後半まで混合列車が運転されてました。
C56牽引のダブルルーフ旧型客車列車同士の交換風景、早春なのに窓を開けた車内もホームにも多くの乗客が居ます。 これも飯山区C56、清里は寒冷地でも降雪量は少なく、飯山が深雪に閉ざされてる2月末に、構内上下線間にわずかな残雪しかないのがその証です。
最初の貨物列車と同じ撮影ポイントから逆方向の急坂を登る貨物列車です。 前写真の有蓋車1両でなく6-7両の編成で、それでも非力なC56には荷が重く後補機付きです。 小海線のC56補機運転は珍しく、貴重な資料画像と言えます。(知りませんでした)
秋は野辺山高原で栽培された高原野菜の出荷ピーク時で、貨物列車を増発して首都圏、関西に国鉄貨物としてC56フル回転で輸送してました。 現在は卸売市場の競りに合わせて夜間に収穫し、トラック便でその日の内に消費地に届けてます。
◆小海線のC56保存機
小海線の蒸機はC56しかなく、地元では『高原のポニー』の愛称で親しまれてました、その愛着を表してるのが保存機の多さです。 80km弱の沿線に5両も保存されてます。
【小淵沢のC56保存機】
始発小淵沢駅から徒歩10分ほどの小学校校庭に保存されてるC56です。 保存誘致した50年前の小学生が校長になる年頃です。 郷土の歴史の教育資料として校庭に保存したのでしょうが、手入れがされておらず腐食が進み、荒廃にに近い状態です。 ただし保存蒸機にあり勝ちな装飾がなく現役時代の姿が好ましく、大型集煙装置付きも魅力の保存機です。
【清里のC56保存機】
2両目は小淵沢から3駅目観光地清里駅構内の保存機です。 こちらは化粧バッチリですが、観光協会の看板としての展示保存で、JRは場所提供だけの様です。 手入れされておらず、腐食が進んで程度は悪く、化粧が逆効果で無残さを強調する結果になってます。
清里保存機には写真パネル説明板が付いており、『高原のポニー』の愛称と共に、往年の姿が展示されてます。 小海線小淵沢-清里間は山梨県で、野辺山から長野県に入ります。
【野辺山のC56保存機】
清里から長野県に入った隣駅野辺山にも保存されてます。 こちらは良く手入れが行き届いており、白ライン以外に装飾がなく、現役時代の姿をよく保ってる保存機です。
【中込のC56保存機】
4両目は機関区のあった中込の交通公園に小海線北部の前身私鉄時代のガソリンカーと共に保存されており、居るべき場所に居る保存機で、程度は野辺山と共に良好です。
【小諸のC56保存機】
小海線終着の小諸駅裏口に近い公園保存機です。 公園を管理する小諸市が公園設備として定期的に手入れしてる様で、屋根のない屋外展示ですが良好な保存状態です。 ただし保存車両の化粧最大仕様で、機器類や配管まで化粧するのはやり過ぎだと思います。
2.大糸線
大糸線は1970年代に夏山登山、冬のスキーで、新宿発直通夜行急行でさんざんお世話になった路線です。 夏山では松本先で夜が明け、スキーでは夜明け前に白馬に着きました。
大糸線の白眉と言える残雪の白馬三山を背景にした風景です。 GWはまだ冬山、鉄橋下の流れは南流して高瀬川、犀川、千曲川に合流して信濃川になる上流域です。 なおこの区間は3ヶ月後に電化され、架線柱が立ち架線が張られてます。
大糸線は南北で降雪量が全く違います。 南部は小雪、北部新潟県内は豪雪です。 撮影日1953年は大糸線全通前の南北線時代、写真から北線と判断した撮影地島高松は松本から4kmの南線、松本-信濃大町間はC56登場前1926年に電化されており矛盾してます。
撮影地が間違ってるのは確実で北線のどこか、撮影日も北線なら糸魚川区なら解りますが、松本区には疑問があり、大糸線北部の1960年代の撮影だと思われます。 なおこの130号機も前写真の151号機も小淵沢保存機と同じ集煙装置を装着してます。
その151号機が信濃森上駅で休息してる姿です。 信濃森上は岩岳スキー場下車駅で、1970年台に毎年通いました。 国鉄利用は最初の4年、以降は車でしたが。
南小谷を境に南が電化区間で現在JR東、北が非電化区間で現在JR西、架線があるので南小谷南方、後方に見えてる雪山は北アルプス連峰北端の雪倉岳、朝日岳です。
◆大糸線のC56保存機
大糸線C56は松本区/大町区/糸魚川区所属でした、長野県内保存機は2両です。
【明科のC56保存機】
明科は安曇野市の一部になってますが、旧明科町に大糸線は通っておらず駅もありません、明科には篠ノ井線の駅があります。 数多く見てきた保存機の中で最高の状態で、錆による塗装浮きが全くなく、屋根もないのに最近まで現役だった様な良好な状態です。
【同上】
保存場所は犀川沿い整備中公園で、安曇野市が大糸線C56保存場所として明科地区を選んだのか、あるいは松本区C56が篠ノ井線松本-麻積(現聖高原)間の区間列車を牽いたから、ここに保存されたのか、旧明科町役場(現安曇野市支所)で訊いても解りませんでした。
【大町のC56保存機】
機関区のあった大町は運動公園の屋根なし保存です。 保存機として平均的レベルで、過剰装飾がなく、豪雪地帯なのでスノーブロワ付きです。
3.飯山線
飯山線は乗車機会がないまま今日に至ってます、戸苅や野沢温泉にスキーに行けば乗車したのでしょうが、東京から見て手前の志賀高原の方が魅力的なので行きませんでした。
3両の2軸貨車にオハ二とオハフ、全長60m余の混合列車に似合うのはC11かテンダー機ではC56しかありません。 飯山線は信濃川が谷を削って流れ下る両岸を、縫う様に走ります。 昨年6月東北ドライブ旅行の帰路に、始めて新潟側から沿線に足を踏み入れました。
この号表紙も飯山線です、1964年にまだ混合列車が運転されており、貨客分離が小海線より5年は遅れてました。
◆飯山線のC56保存機
飯山市は人口1.3万人と人口流出が止まらない小さな町並みの市で、北陸新幹線の駅ができました。 駅前開発を巡り、市の対応が悪く損失を被ったと、開発事業者が市長相手に損害賠償訴訟を起こし話題になってます。 新飯山駅から1kmほどの飯山線沿い児童公園に保存機があります。 新潟県側に飯山線C56保存機があるかどうかは解りません。
【飯山のC56保存機】
保存状態が良いとは言えません、全てを白く塗装したロッド類が浮き上がり感心しません。 飯山線森宮野原はかつて日本一の積雪駅として有名でした。 昨年訪問時に戸狩野沢温泉駅側線に大型除雪機が留置されてました、C56も除雪列車で活躍したのでしょうか。
ではまた。






























