ぼろぼろの時刻表 1966年夏研究旅行 その3
セピア色に変色した時刻と格闘し、58年前研究旅行記憶を繋ぐ作業の最終回です。 急行『八甲田』に乗車して熟睡し、次の記憶は翌朝平泉駅です。 平泉は通過駅で、どこで乗り換えたか全く不明でした。 手元にあった1964年9月号を使って推察してました。
【1964年9月号復刻版より】
一番ありそうな行程は『八甲田』を水沢で下車し、40分待ちで上り始発普通列車で平泉に7:13着です。 しかし旅行計画した1966年4月号によると無理があると解りました。
急行『八甲田』の盛岡発が45分、水沢発が1時間早くなってます。 盛岡-水沢間は電化で15分短縮と理解できますが、青森発車時間変更を含め盛岡まで非電化区間の4時間30分が4時間12分に18分短縮してます、考えられるのは電化に先行して進んだ複線化の効果です。
加えて水沢始発上り普通列車が少し遅くなり、早朝の2時間待ち乗り換えは有り得ません。 急行『八甲田』は平泉2駅先の一ノ関に5:35に到着します、一ノ関で下車し下り列車で折り返したのではないかと調べて見ました。
一ノ関始発下り普通列車は『八甲田』到着2分前発車で、上手く接続しません。 でも1時間で始発普通列車があり多分これに乗車、平泉6:49着です。 数分前の平泉に停車する急行『おいらせ』もありますが、急ぐ必要なかったので、始発普通列車がったと思います。
平泉駅は駅舎ホームと跨線橋で結ばれた島式ホームの2面3線駅で側線2本があり、外側側線に錆を浮かせた蒸機が10両ほど数珠繋ぎになってました。 同行者に断り見に行くと全てD62でした。 前年10月の盛岡電化で余剰になり、車齢が若くても働き場所がなくなり廃車されたD62群でした、一ノ関機関区が手狭で平泉側線に仮置きされたのでしょう。
この時間に中尊寺に行っても境内に入れないのは計画時に解ってました。 山門が閉まってるのか、拝観料徴収寺務所が開いてなかったのか不明ですが、8時半か9時まで毛越寺見学で時間調整です。 平泉駅から毛越寺まで徒歩10分、中尊寺には20分少々です。
【ウィキペディアより】
時間潰しに寄った毛越寺庭園は素晴らしく、深く印象に残りました。 観光客が他に居ず(地元の方の散歩程度)、藤原氏が北の京都を目指して造営した庭園美を堪能しました。 中尊寺へ向かう途中で朝食、菓子パンと牛乳で¥50コースだったハズです。
中尊寺は参道から見下ろした北上川流域平野しか覚えてません。 10年ほど前、平泉毛越寺と中尊寺を再訪し、金色堂の精緻な螺鈿細工に感動しましたが、既視感なしでした。 調べると1962年から7年半金色堂は昭和の解体大修理で、拝観中止中の訪問でした。
一ノ関から中尊寺と厳美渓間には路線バスが運行されてました。 一ノ関から厳美渓、中尊寺から厳美渓バス運賃は共に¥45、ならば平泉駅まで20分少々歩き、一ノ関からバスに乗り換えるより楽と、直行バスを選んでるハズです。 丁度良い中尊寺11:01発です。
【ウィキペディアより】
厳美渓は北上川支流の渓谷で、紅葉シーズンに賑わう景勝地です。 観光と昼食で1時間半、30分毎運転のバスで一ノ関に13時半過ぎに着いたと思います。
東北に来たからには日本三景の松島は外せないと向かいました。 一ノ関14:10発のDC急行『第2みちのく』で、4-11月停車の松島15:14着です。 観光シーズン停車するのは、観光客の利便性が良いからだろうと考えたのが大きな間違いでした。
観光地『松島』最寄駅は仙石線松島海岸で、東北本線松島駅は松島町の駅で、松島海岸から1.3kmほど離れてたのです。 観光遊覧船に乗船してから仙石線で仙台に出たと思いますが、松島の記憶画像は何もなく、『何でこんなに海が遠いんだ』と、腹立たしく歩いた感情だけが残ってます。 事前調査を十分しなかった自分自身に腹を立ててたのでしょう。
【1964年9月号復刻版より】
1966年4月号に松島観光遊覧船が掲載されてないので復刻版を調べた処、観光遊覧船掲載はない物の、松島駅-松島海岸間の連絡バスが掲載されてました。 5分で¥10なら乗れば良かったのですが、観光シーズン運行で、3月初旬発売4月号掲載がなかったのでしょうか。
松島観光の後、仙石線で仙台に出てます、本塩釜まで15分毎、松島海岸は30分毎なので、18時前後に仙台に到着したと思います。 この日8月7日は七夕祭開催日です。
【2024年5月撮影】
今年5月に仙台で開催された俳句大会参加時のスナップです、青葉祭開催中でした。 このアーケード街を歩道橋から見た時、『アッ此処だ、あの時七夕祭見たのは』と感じました。 60年近い時の流れで、道幅、路面、並ぶ店、アーケードその物も変わったでしょうが、頭の中にある記憶画像の雰囲気に見事に一致したのです。
仙台七夕祭見物の後、仙台始発電車急行で帰京したと思ってましたが、仙台始発は21:13発福島まで普通列車、福島から急行『しのぶ』の客車列車と、寝台急行『新星』しかありません。 盛岡始発の電車急行『きたかみ』に乗車した様です。
仙台七夕祭も青森ねぶた祭に負けない規模でした。 当日上野行夜行列車、しかも始発でない列車で容易に座席確保できたのが不思議です。 地方固有イベントの観光資源化が進んでおらず、来場者が少なかったのでしょう。 現在なら夜行高速バス発売即満席です。
以上偶然発見した58年前の時刻表で、数枚の記憶画像しか残ってない旅の足跡をトレースできました。 『多分こうだったのだろう』が違ってたり、『なんだそうだったのか』の発見もありました。 筆者の思い出発掘にお付き合いいただき、ありがとうございました。
『ぼろぼろの時刻表』は茶色く変色したページスキャンする為に、バラバラになりました。 また何かの折に参照する機会もあると思うので、輪ゴムで留めて保管します。〔完〕
ではまた。















