ぼろぼろの時刻表発見
ノートPC代替は帰省した息子のお陰で無事完了しました。 技術的トラブルに遭遇せずに済みましたが、慣れの問題で記事作成に手間取ってます。 OSがWIN11になりスマホ標準で作られたアプリの使い勝手や、メーカー変更でキーボード配列が変わったり、左右クリックボタンのないパネル等、使い慣れるまでしばらく時間が掛かりそうです。
さて、若い頃読んだ文庫本の小説や詩集をダンボールに入れて保存してありました、引退後時間のある時に読み直す事もあるだろうと思ってたからです。 ところが視力低下で細かな文字の本が読めなくなり、処分しようと40年振りに開いたら、大発見がありました。
【交通公社時刻表1966年4月号】
58年前の交通公社時刻表1966年4月号が入ってました。 この号所有理由は明白で、高校2年進級を前に、受験勉強で部活を引退する先輩に変わり、筆者が地理部部長に決まってました。 夏休み研究旅行計画立案の為に春休みに購入し、使用後記念に保存した様です。
【スキャン画像】
時刻表は使い捨て書籍なので、紙質を落とし価格¥150に抑えてあり、茶色く変色してますが、画像補正すれば十分読めます。
【表紙 画像補正後】
表紙は先日『水辺』で紹介した串本の橋杭岩通過中の紀勢本線キハ55系急行でした。
【交通公社時刻H等1964年9月号復刻版】
古い時刻表なら1964年9月号復刻版を所有してます、新幹線開業直前のダイヤに興味があり、¥1,000ほどで購入しました。 運転列車やダイヤは掲載されてますが、何か物足りなさを感じてました。 復刻版でない当時の時刻表古本は非常に高価で、ヨン・サン・トウ大改正の1968年10月号の『程度良』は¥10,000のプレミア価格で手が出せませんでした。
新幹線開業直前復刻版は568ページ、その1年半後の正規版は736ページ、厚さは1.5倍強、ページ数1.3倍です。 これが復刻版に感じた物足りなさの正体で、当時の時刻表には様々な旅情報が記載されてたのです。 その使い方を含め当時を振り返ります。
時刻表¥150時代は長く、1964年9月号も1966年4月号も¥150でした。 最近の時刻表価格を見ると9倍強、消費税別で8倍強です。 発行部数はおそらく1/10未満、スマホの経路探索で複数選択肢と料金が簡単に解る時代に、分厚く重い紙媒体使う人は少数派でしょう。
【画像補正】・・・以下同
開業1年半の東海道新幹線時刻表です。 開業後1年間は想定外トラブル対処の為、最高速度160km/hに抑えて東京-新大阪間4時間10分運転でしたが、1965年10月ダイヤ改正で210km/h運転を開始し3時間10分になりました。 『ひかり』途中停車駅は名古屋と京都のみで、列車マーク『超』の字が国鉄の意気込みを現わしてます。
巻末の編成表によると当時は12両編成、2両の1等車と2両の2等・ビュッフェ合造車を含む編成です。 後年設定され民営化後に消滅した食堂車はまだ連結されてません。 『こだま』の半数1・2等車は自由席でした。
新幹線座席表も掲載されてます、指定席取る際に山側/海側は結構大きな要素で、2席と3席の座席配置に利用者が馴れてなかった事もあります。
この車内案内は新幹線開業前から寝台車で実施されており、1・2等、時刻表記号では解らない1等個室、A、Bの違いを図解してました。 この情報は復刻版にも掲載されてます。
新幹線開業で一番大き変化をしたのが東海道在来線で、東京-阪神間電車特急9本は全廃、特急は九州行ブルトレだけになりました。 20時過ぎから10分毎運転だった夜行急行も大幅減、阪神以遠か目的地が異なる列車を除くと、10本あった東京-阪神間夜行急行は3本にまで減りました。 寝てる間に移動のメリットを取るモーレツサラリーマンも多く、それを美徳とした競争社会でしたが、明日に夢を持てる時代でした。
【団体専用列車、荷物列車】
空いた東海道在来線で運転本数大幅増したのが修学旅行専用列車です。 1966年は団塊ピーク世代の高校修学旅行年で、新幹線修学旅行特別運賃適用前で需要ピークでした。 『ひので』(ページ境界で表示できず)『きぼう』と155系増備の159系『こまどり』は知ってましたが、明石行『わかば』、下関行急行『わこうど』も修学旅行専用列車です。
団体専用寝台急行が2本運転されてます。 右端には汐留始発荷物列車が5本運転されており、日本通運と国鉄が現在宅配便各社が行ってる仕事をしてたのです。 それでは復刻版は何を省略して薄いのでしょうか。
【函館本線下り函館-長万部間】
函館本線1ページ目は函館本線函館-長万部間と松前線掲載です。 駅名左側に現在では祝電と弔電以外使われなくなった電報取次駅記号と駅弁販売駅記号が付記されてます。 旅行中の連絡手段は電報、『クジスギツク、ムカエタノム』等の電文が送られてました。 貨客手小荷物扱い、閉塞、信号機・ポイント操作の他に電報取次も駅務員の仕事でした。
函館本線左端の長万部通過列車は函館4:55発の北海道唯一の特急『おおぞら』です、函館、東室蘭、苫小牧、札幌が停車駅でした。 上野-青森間特急『はつかり』に接続し、遠地速達が当時の特急の役割でした。 現在の特急は利用客が多い駅全てに停車し、利用客利便性と乗客増優先に性格が変化してます。 今年5月に南千歳から乗車した特急『北斗』は、当時の準急並みに、伊達紋別、洞爺、長万部、八雲、森に停車しました。
【森・長万部は右ページ最下段より】
関連する乗換案内や特定運賃情報は復刻版にありますが、落ちてるのが最下段に掲載された駅で販売してる名産品と駅弁情報です。 『全国駅弁フェア』が人寄せイベントとして開催される様になったのは、冷蔵輸送技術が発達した1980年頃からです。 停車駅と到着時刻を確認し、『何を食べようか』の思案は、旅の大きな楽しみでした。
これ見ると150円が駅弁相場に見えますが、幕の内弁当は100円で150円は高級駅弁でした、その土地でしか味わえない食材を使ってからです。 森のいかめしが70円と安いのは、イカの胴体に米と調味料を入れて炊き込み輪切りにした物で、量が少なかったからです。
巻末には全国各地の温泉旅館や、旅館組合の広告が100ページ近く掲載されてます。 温泉旅行が多い時代で、温泉名からアクセスする私鉄、バス路線時刻表掲載ページの案内情報も掲載されてました。 時刻表は『総合旅情報書籍』だったのです。[続く]
ではまた。














