Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

1964年 全国鉄道ニュース 中京編

続いて中京編です、記事を書き溜めて工作再開とは想う物の、書き溜める事ができず、また俳句も忙しくままなりません。 する事がないより忙しいのは良い事ですが。

最初は私鉄情報からです。 近鉄最盛期の路線網は広く、桑名と揖斐川流域を結ぶ養老線も近鉄支線の一つでしたが、貨物輸送減と並行する道路整備による利用客減で採算が悪化し、2007年に分社化、2018年に経営から撤退し、第三セクター化され、現在に至ってます。 これは元気だった頃の行楽シーズンに運転された臨時急行の記録です。

近鉄本線にはまだ単線区間があり、スピードアップと輸送力増強策として複線化工事が進んでました。

名古屋を中心にした通勤圏も広がっており、近鉄は新型車両4連の急行運転を始めました。

中京私鉄の雄名古屋鉄道は、国内初の屋根上運転台車輛パノラマカーで有名でした。 昨年拙ブログで紹介した『私鉄ロマンスカーの系譜』に登場しなかったのは、『特急料金徴収』条件を充たさなかったからです。


そのパノラマカー7連化のニュースです。 6連からの変更で、停車全駅ホーム延長など大変な工事だったでしょう、これも中京圏人口集中の表れだと言えると思います。 ところで何故名鉄が特急料金徴収しなかったか謎解きしたら、興味深い結果になりました。

【国鉄豊橋-岐阜間時刻表より】
名鉄本線と並行して競合する国鉄豊橋-岐阜間の時刻表です、距離は100.6km、運賃表99-101kmは¥280です、名鉄は名古屋近郊で国鉄に勝たなければ商売になりません。

豊橋始発普通電車は各駅に停車するだけでなく後続優等列車待避を岡崎と名古屋で行う長時間停車があり、岐阜まで2時間半近い所要時間です。 準急『東海』は急行『六甲』の24分前の東京始発、停車駅が多いので豊橋では『六甲』に7分差に迫られてますが、『六甲』を待避する事なく、終着大垣まで走り切り、豊橋-岐阜間所要時間は1時間22分です。


急行『六甲』は豊橋-岐阜間所要時間1時間19分で『東海』より3分短いだけです。 この区間だけ見れば料金差¥100の価値が少ないですが、急行は遠距離列車で停車駅が少なく、サハシ連結のサービス面と東京からここまでの到達時間差が価値なのでしょう。

【名古屋鉄道時刻表より】
さて名鉄の時刻表です。 営業距離は国鉄より1km弱短いですが運賃は全く同じ¥280です、偶然ではなく国鉄に合わせてるのです。 一方特急の所要時間は上り1時間29分、下り1時間27分で、国鉄準急・急行より遅いですが差は10分以下です。 つまり名鉄の事業戦略は国鉄と同料金で早く着く、国鉄準急並到達時間だが準急料金¥100不要なのです。


名鉄は特急停車駅数ヶ所で先行する普通電車を待避接続させ、特急通過駅利用者の便を図るダイヤ編成をしてたと思われ、沿線住民に『名鉄は国鉄と同料金で早い』の評判を勝ち得る事で国鉄と競争してました。 特急料金徴収すると戦略が根底から崩れてしまうのです。

当時は現在より踏切事故が1桁以上多く、名鉄も度々特急の踏切事故に見舞われてます。 踏切事故で破損するのは先頭車、相次ぐパノラマーカー先頭車ドッグ入りで車両が不足し先頭車を変えた珍編成走行ニュースです。 パノラマカーは名鉄事業戦略必須条件でなく、スタイリッシュ新型電車に乗れる+αの顧客サービスだったからできた事です。

名鉄支線の複線化と1500V昇圧祝賀列車です。 写真だけ見るとローカル私鉄の『さよなら電車』に見えてしまいます。

東濃鉄道の新車と言っても西武鉄道お古の譲渡車です、 鉄道名から岐阜東方の鉄道と思われますが、初めて聞く名前なので調べました。

【ウィキペディアより】
存続してますが、1978年に鉄道事業を撤退しバス会社になってます。

桜井線は亜幹線関西本線奈良で北から京都からの奈良線が合流し、それと十字路を形成する様に南へ和歌山線高田まで結ぶ路線です。 いわば大都市近くのローカル線で優等列車運転はなく、首都圏なら我孫子-成田間の成田線の様な地味な存在です。


ぞのローカル線初の臨時準急運転ニュースです、前例で言えば上野始発成田線経由成田行臨時準急『初詣号』運転という処でしょう。 名古屋始発なので中京編に入れました。 ところでキハ58 4連とありますが、2両目の裾絞りがない車体はどう見てもキハ55系です。

名古屋北東郊外の中央西線に新守山駅が開業してます。 周辺住民の旅客輸送よりむしろ中京圏貨物輸送ターミナル建設が主目的で、セントレアができる前の中部国際空港小牧最寄り勝川駅の市街中心側に、これだけの広大なスペース確保できた事に驚かされます。

存在は知ってても一度も目にした経験がない超重量物運搬貨車シキ700が名古屋に現れてます、積載物は重量200トンの変圧器です。

国鉄新型車投入は首都圏優先で、首都圏でも山手線・中央線が優先、京浜東北線・常磐線が2番手で総武線は最後でした。 通勤型車両にも言え、東海道本線、次に横須賀線に111系を優先投入し、豊橋以西にようやく姿を現してます、それ以前は80系でした。

当時のアイドル歌手名を冠した『ファン列車』が尾張一宮-東京間1往復運転されてます。 車内で歌うとは思えないし、東京のステージを見に行くダイヤだったのでしょうか。

撮影地が中京なのでここに入れます。 輸送力が限界に達してた東海道本線は151系/153系不足を補う為に157系不定期特急『ひびき』を2往復/日運転してました。 『不定期』なのに毎日運転、当時の国鉄の不文律、『特急は食堂車併結』を守ってないので、『不定期』を言い訳にしてたのです。 7連⇒9連化は年末年始だけ、3月以降7連に戻ってます。

【東海道本線電車特急列車編成表】
お召列車用クロ157を除き157系は31両の小世帯で、1等車2両を含む7連基本編成4本、予備車3両でした。 キハ55系準急『日光』で東武ロマンスカーに対抗できず、日光線電化後登場し上野始発『日光』と東京始発『湘南日光』で2編成運用してました。 残り2編成を『ひびき』『第2ひびき』に充当した訳で、2両増結は一方のみ、タマがなかったのです。


なを不定期特急『ひびき』『第2ひびき』は151系定期特急『こだま』や『富士』の間を補完する様に30-45分差運転ダイヤが組まれ、東京-大阪間所要時間は151系の6時間30分に対し、何故か6時間35分でした。


ではまた。

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