1964年 全国鉄道ニュース 関西編
前回の九州編に続き西から東へ、今回は関西編です、まずは山陽本線全線電化を間近に控えた広島からです。 写真と説明文を切り抜いて貼り合わせる作業は結構手間が掛かりますが、知らなかった事や興味を惹いて調べたり、中々面白いものです。
東海道本線電化最後の区間が米原-京都だった様に、山陽本線電化も東西から進み、最後に残ったのが広島-小郡でした。 全線電化を控え広島に電機検査施設が設置されてます。
姫新線にはDC準急『みまさか』が運転されてましたが、初のDC急行『やまのゆ』の運転が開始されました。 京都-姫路間は急行『だいせん』に併結で全席指定席、1等車がないので、キハ55系2連だったと思います、終着駅は温泉地中国勝山でした。
続いて神戸周辺から山陽電鉄の話題です。 山陽電鉄は首都圏在住者に馴染みの薄い関西私鉄でした、関西の向う側なので尚更です。 関西人にとって、首都圏準大手私鉄相模鉄道の様な存在なのかもしれません。
人口の都市集中の波は神戸西郊にも及んでおり、山陽電鉄も宅地開発された地区に新駅建設開業の準備を進めてました。 山陽電鉄側は旧地名の『舞子駅』命名を予定してましたが、住民の反対により、いかにも新開地の『霞ヶ丘』という情緒のない駅名になりました。
国際貿易港神戸では8620が鐘を鳴らしながら港の貨物輸送に働いてましたが、1964年2月一杯で引退してます。
【過去記事より転載】
大都市のトラックが行き交う港で蒸機が見られた最後の時代です。
鷹取機関区が港湾荷役8620の住処でした。 かつては快速を誇った8620も牽引力は大きくなく、代役はDD51でもDE10でもなく、DD13で十分だったのでしょう。
神戸市電も大阪地下鉄建設で余剰となった大阪市電の譲渡を35両も受けてます。 前回熊本市電への譲渡車を紹介しましたが、調べると鹿児島市電、広島電鉄へも譲渡されてました。 次は大阪から南、阪和・紀勢線方面と、南海電鉄の話題です。
以前TMS表紙を飾り製作記が掲載された自由形の新婚特急『おしどり号』を見て、空想の世界だからできる事と思いましたが、本当にありました。 4・5月の大安日に限り天王寺始発定期準急2列車に1等車1両を増結し、新婚旅行列車『南紀ことぶき号』を運転してます。
初日は天王寺-白浜口間、2日目は白浜口-紀伊勝浦間単独運転、3日目は紀伊勝浦-天王寺間定期準急列車併結の2泊3日日程で運転とあります。 2日目運転席のないキロ2両の単独運転をどうしたのか気になる処です。 大安日に結婚式が集中し、関東は熱海、関西は白浜が新婚旅行定番だった時代で、ビザが必要だった当時、海外は夢のまた夢でした。
南海電鉄は阪和線を戦時買収で国に取り上げるまでは、大阪-和歌山間を電車の後にオハ31系4-5両を従え、120km/hの猛スピードで白浜への旅行客を輸送してました。 この時代は紀勢本線乗入気動車です。
南海の3両固定編成モハ561形の更新車です、屋根に更新跡が見て取れます。 昔の南海を知る高齢者には懐かしい車輛かも知れません。
宅地化の波は南にも押し寄せてました。 住宅公団の大規模団地造成に伴い、南海高野線沿線にも新駅が建設されてます。 団地名で駅名が決まった様ですが『白鷺駅』は旧地名にちなんでるのでしょうか、『●●ケ丘』『●●台』よりは余程良いと思います。
水間鉄道は大阪南部貝塚から水間観音参詣客輸送をする小私鉄で、南海と結び付きが強く、例祭開催日には南海から乗入が行われてました。 水間鉄道はバブル期の不動産投資の失敗で2005年に経営破綻しましたが、新会社が経営再建し現存してます。
南海から反時計回りに回って近鉄の話題です、利用客増加に伴う車両増備が進んでます。
沿線距離が長い近鉄は国鉄に似た車両構成でした。 通勤客対応で2扉車の3扉化改造も行われてました。
大阪環状線は環状化と併せ高架化工事が行われ、1964年初めに九部通り完成してます。
客車列車急行だった『ゆのくに』は金沢電化で電車化され、3月のダイヤ大改正で10両から12両に増強されました。 編成には2両の1等車と2両のサハシが連結され、東海道本線153系急行と同格になりました。
修学旅行列車は12両から16両に長編成化しました、4両1ユニットの3ユニットに1ユニット追加し、団塊世代修学旅行需要増に対応する為です。 筆者は1964年9月末から10月初めに中学修学旅行で関西へ『ひので』で行き、新幹線開業を旅先で迎えました。
同級生は350人弱、155系は通常両側4人掛けボックスシートを通路を狭くして4人6人ボックスシートにする事で定員100人/両でした。 教員含め1ユニット1校がギリギリ収まりました。 ユニット間連接扉が〆切だったかどうか定かでありませんが、開いてれば生活指導の体育教師が張り番してたハズです。 他校生徒に喧嘩を売りに行く輩が居たからです。
京都は古都の誇りがあり、商都大阪の風下に立たず世話にもならない気風があった様です。 余剰になった大阪市電車輛の譲渡を受けず、ラッシュ時連結運転可能な新型車を導入してます。 写真の平行移動して入出庫させる車輛移動台を始めて見ました、面白いです。
ところで昼間のワンマン運転は後ろ乗り前降りで可能ですが、朝夕ラッシュ時の連結運転はどうしたのでしょう、車両に統括制御機能付けて運転手1人にできても、乗降客捌くには全扉使用が必要で、乗務員減らす事はできないと思いますが・・・。
同じく京都市内路面を走る京阪電鉄京津線も車輛増備してます、こちらは連接車も走らせてました。 専用軌道か市電と共用かは知りません。
最後は江若(こうじゃく)鉄道が国鉄から譲渡されたキハ07塗色変更ニュースです。 名前が示す通り近江と若狭を結ぶ琵琶湖西岸に浜大津-今頭間に敷設された鉄道で、地元有力者に代議士がからみ、将来国が買い上げるだろうの政治的思惑があった鉄道でした。
『先見の明』は他人より1歩か2歩先んじて効果があり、大きな利益を得る事ができる物で、5歩も10歩も先走りすると空振りに終わる、マーケティングでも良く起こる典型例でした。 江若鉄道は1969年に全廃され、その路盤の一部が湖西線に転用されてます。
ではまた。




















