D51北海道形???
先日カーブ鉄橋改造設計でTOMIX新製品情報を検索し、『木造駅舎セット』を記事にしました、車両購入予定がなく新製品には無頓着です。
◆KATOは鈍行夜行列車シリーズ化?・・・2024.2.16更新
そう言えばKATO新製品情報も上記記事書いてからしばらく見てないと調べたら、JR化後車両に混じって懐かしい物を発見しました。
【KATO公式HPより】
『北海道を駆けた運炭列車』です。 現在のJR貨物はコンテナとタンカーだけですが、60年前の国鉄貨物はほぼ全て混載貨物、物流王者の地位が脅かされ、急行やコンテナ貨物列車が登場した頃でした。 それ以前から存在した単一貨物列車は運炭列車だけでした。
★D51北海道形
運炭列車と言えば北海道と北九州でした。
【KATO公式HPより】
発売されるのは北海道版、主役石炭満載セキ3000 10両セットと2両セット、北海道タイプのヨ3500、そして『D51北海道形』と命名されたギースル・エジェクター装着機です。
D51には一次型(通称なめくじ)と標準型があり、製造年度と使用環境に合わせた国鉄工場/機関区の改造による様々な相違点がありますが、『北海道形』は初耳です。 『北海道形』とは、キハ20に対するキハ22の様に極寒地用専用設計された車両の呼称だからです。
ギースル・エジェクターはオーストリアの大学が開発しオーストリア国鉄が採用してた蒸機の煙突方式です。 鉄道後進国だった日本は明治維新後ドイツや英国から鉄道技術を学び、欧州で開催されてた国際学会に技術者を派遣して情報収集・技術習得に努めてました。
ギースル・エジェクターを輸入してD51で実用試験した結果、9-15%の燃料消費減少と火の粉飛散削減効果があったので、国内生産34両分を含めD51 36両に装着し運用しました。
【鉄道P誌D51特集より】
国鉄内ではギースル・エジェクターを『誘導通風装置付煙突』と呼んでました。 上写真が運炭列車牽引機溜り場だった室蘭本線追分機関区撮影である事から適役だと言えます。
【KATO公式HPより】
前後に長く逆台形横顔のギースル・エジェクター装着D51を良く再現してますが『北海道形』は言い過ぎじゃないの、丸で北海道を代表するD51と誤解する人も出てきそうです。 デフ付き8620発売時に『東北仕様』と命名した様な販売戦略の匂いがプンプンです。
輸入品装着で実用試験を実施した上諏訪機関区349号機は甲府-上諏訪電化で、盛岡機関区357号機は盛岡-青森電化で共に追分機関区へ転籍してます。 他の国産品装着34両の配属先は上表で、KATO製品説明の様に追分機関区に集中配備され、運炭列車の主役でした。
36両中7両が秋田機関区配属で北海道は29両、北海道形と呼ぶには無理がありそうです。 また北海道在籍D51が40-50両なら北海道D51の代表として『北海道形』もアリですが。
当時の機関車配置表によると185両のD51が北海道内で活躍してました、ギースル・エジェクター装着機は15.6%、1/6弱で代表してるとは言えず、不適切な命名と言えます。 車両コレクターは命名に係らず買うでしょうが、D51変種の一つで筆者は興味なしです。
ところでギースル・エジェクター装着D51が何故追分機関区に集中配備されたかの資料がなく不明です。 燃焼効率向上しても牽引力は同じ、考えられる可能性は二つです。 一つは燃費改善の長航続距離で、歌志内/幾春別から機関車交替なく積出港まで輸送、もう一つが完全燃焼で火の粉飛散が少ないので、牧草地火災防止ですが、今となっては不明です。
ギースル・エジェクター輸入品を長野工場で最初に装着した上諏訪機関区349号機は、御役御免後里帰りし、筆者自宅から車で30分の諏訪湖畔に静態保存されてます。
ギースル・エジェクター装着した姿を保っており、輸入品にはプレート装着と書かれてますが、わざわざ確認に行くのは億劫です。
★セキ3000
セキ300は運炭専用ホッパー貨車で、自重15t、石炭搭載量30t、車長8.75mで、1951年から1965年までに2,730両製造されてます。 つまり石炭満載で1両45tの重量になります。
【ウィキペディアより】
筆者が聞き齧った北海道運炭列車の知識では、出荷炭鉱から積出港まで上り勾配区間がなく、1000t貨物を9600単機で、1400t貨物をD51単機で牽引してたとの事でした。 また室蘭本線岩見沢-室蘭間では運炭列車優先ダイヤが組まれてたと言う話も聞いてます。
【室蘭本線追分付近】
この区間は国内唯一と言える非電化複線路線です。
★ヨ3500
1951年から1,375両製造された事業用車輛で、自重9.7t、全長8m弱の車掌車です。 3500から連番付与され、次がヨ5000になりました。
【KATO公式HPより】
KATO説明によると、細かな差で北海道タイプと称してる様です。
保存車輛があり、5月北海道遠征で訪問した中湧別駅跡鉄道公園に4両保存されてました。 外観上はヨ5000と区別がつきません。
名寄の旧名寄本線上に保存されてるキマロキ編成最後尾にも連結されてました。 説明板によると15人前後で運行されてたそうで、ヨ3500は保線係員が乗車してた様です。
★2,400tの謎
KATO製品説明に筆者知見と異なる気になる記載がありました。
【KATO公式HPより】
筆者が聞いてた1400t運炭列車を計算すると、セキ3000x31両で1395t、ヨ3500加えて1405tです、列車長は280mで牽引機含めて300m弱に収まります。 KATO説明は何と50両牽引、セキ3000x50両で2250t、ヨ3500とD51加えれば2400t近くに確かになります。
しかし列車全長は460mを超えます、在来線をこんな長い列車が本当に走ってたのでしょうか、複線区間運転なので交換駅有効長の問題はないにしても給水停車が必要で、その場所は水平です。 一旦停止後単機で2000t以上再牽き出し可能だったのでしょうか、KATOが書いてるので満更デタラメとも思えず、実際はどうだったのか知りたい処です。
ではまた。













