Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

北海道遠征記 最後の3日間

5月10日から16日のレンタカー旅は謂わば前菜で、メインは18日/19日の仙台句会でした。 コストパフォーマンス向上の為に北海度へ出掛け、ついでにあれもこれも詰め込んでます。 17日は札幌在住の元同僚Sさんと再会、運炭路線遺構を訪問しました。


★5月17日
Sさんは筆者より4学年若い蒸機にギリギリ間に合った世代です。 高校まで東京、学割道南均一周遊券で冬季撮影、写真部在籍で費用を抑えた話はなるほどでした。 蒸機最晩年は北海道大学学生で撮りまくり、蒸機全廃の喪失感で離れたとの事、これも納得でした。

旭川駅は3面6線でその外側に通過線があり、列車を待つ間に貨物列車が通過していきました。 天井全てを覆った様式は積雪地対応でしょうが、欧州の駅の様です。

乗車する7:55発札幌行『ライラック10号』が入線してきました、353系に酷似した顔です、最近のJR在来線特急車両はDC/EC問わずこの顔です。

深川付近を走行中車内から、今回旅行中の北海道の水田はどこも水を張って田植え前の姿でした。 待ち合わせの美唄まで50分の乗車です。

滝川・深川・砂川と準急の様に停車し美唄8:45着、Sさんと再会しました。 美唄駅下車は4110を見に来てから55年振りです。 駅高架通路から旧美唄鉄道の駅跡が見えました。

最初の訪問地は美唄鉄道東明駅跡、駅舎が残ってます。 駅構内で4110を見ただけなので初訪問です。

4110の活躍場所は板谷峠に限定されており、新製E10に職場を奪われました。 美唄鉄道は使い勝手の良い、そこそこ力のあるタンクロコが欲しかっただけで、払い下げ価格が安かった4110を購入したと思われます。

8620や9600より古い蒸機なのに、比較的良好な状態で保存されてます。 少なくも状態の悪い保存機に感じる痛々しさがありません。

乗せてもらってるので何処を通ったか定かでありませんが、美唄から夕張へ向かう途上幌内に寄りました。 ここにも保存車輛がありました、

保存車輛がある南大夕張駅跡へ行きました。 自社製客車でしょうか、形式名と社紋が私鉄車輛の証、屋根の張り上げと3枚1組の窓が特徴です。 車内は木製背板のオハ61系並み、座面は青ビニールのキハ10系並みの粗末さです、旅客輸送はついででしたから。 3枚1組窓は、ここに2ボックス8人分の座席が設置されてるからでした。

鉄道敷設目的のセキも3両連結されてます。 9600が活躍した路線ですが、機関車位置にはラッセルが連結されてました、形式名キ1は国鉄式、三菱の社紋入りです。 2019年に廃止された夕張支線跡に寄りました、財政破綻を加速させたリゾートホテルが見えてます。

最後の訪問地は幸せの黄色いハンカチ想い出広場です。 夕張市内ですが何にもない原野の中にポツンとあり、移築されたのだと思いました。

➊入口の事務所で入場料¥500払って場内へ、と言っても林の中です。
➋ここがメイン建物入口、金曜昼間で入れ違いの1組以外誰も居ません。
➌奥にはお馴染みの黄色いハンカチがたなびいてます。
➍観覧後事務所に掲載されてた映画ラストシーンです。

➊内部は御覧の通り、訪問者の黄色いシートで覆い尽くされてます。
➋窓桟の横までベタベタです。
➌昭和40年代半ばのファミリアファーストバックだったと思います。
➍健さん格好良いし、同年の武田鉄矢が若い、齢取るハズです。

ここを訪問した目的の一つがコレ、リニューアルの際にテーマ画像として飾られた風太郎さんの作品です。

事務所に戻りコーヒー飲みながら疑問をぶつけてみました、撮影地と移築の件です。 答えはココが撮影地で移築なし、映画撮影した頃のこの炭住街俯瞰写真が飾られてました。

もう少し前の時代の写真も、自然を切り拓いて人が街を作り住み着いても、人が去れば町は消え、50年の時間が自然に戻してしまうのです。

Sさんお薦めのファームレストランで遅めの昼食、休日は行列ができる人気店、スープカレーを美味しくいただきました。(他にバターライス) 移動日予定の日は、Sさんのお陰で充実した1日になり感謝感でです。

南千歳駅に15時少し前に送ってもらいました。 石勝線と空港線分岐駅なので、次駅表示は三つです。

朝と同じ顔の今度はDC特急『北斗16号』に乗車します。 南千歳15:17発、新函館北斗18:14着の3時間の旅です。 1969年の昔に初乗車した特急『おおぞら』は函館の次が東室蘭でしたが、現代の特急は伊達紋別、長万部、八雲、森、大沼公園停車です。


昨年一昨年と旅した四国土讃線もそうでしたが、普通列車より特急列車の本数が多く、特急は乗降客が多い駅を結ぶ設備が良く快適な有料快速列車に様変わりした印象です。

長万部を過ぎた噴火湾の夕景です。 移動車内撮影テストを兼ねてます。

道南の名峰駒ケ岳は特徴のある山頂付近が雲に隠れてました。

開業から8年も経つのに新函館北斗駅前には予約したホテル以外建物がほとんどありません。 左下に見えるコンビニで夕食調達しいました。


★5月18日
この日は仙台へ移動し午後から句会と懇親会です。 新函館北斗7:38発乗車で仙台着10:29です。 北海道新幹線も青函トンネルも初体験です。

乗車列車停車駅は青森-盛岡間各駅停車で他は直行タイプで、3時間切るのはさすが新幹線です。 木古内過ぎた辺りから減速し、そのまま青函トンネルへ、通過時間計測しトンネル長で計算すると120km/hの新幹線としては徐行運転、速度制限があるのでしょうか。

盛岡付近では、この地の故郷の山岩手山が綺麗に見えてました。

 

会場案内頼りに辿り着いた先は、仙台駅西口に建つ複合高層ビルAERの30階、31階最上階が展望台の多分仙台一の高層ビルです。 足元に従来線と新幹線仙台駅が見えます。

仙台の街が一望でき、遠く太平洋も見えてました。

120人収容可能会場を借りて1時から4時まで句会です。 数ヶ月前の参加申込時に3句投句し、メール送付の句稿から2句選句した結果が、主宰の選を含め冊子で配布されました。 参加者100名300句ですから、1句当り平均30秒で主宰が講評するのが句会の中身です。


筆者3句は1句並み選、2句選外の平均的結果でした。 句会終了後翌日午前句会の投句2句を事務局にすると、5-7時の懇親会終了後句稿が配布され、翌朝8時半までに1句選を提出して9-12時句会のスケジュールです。

句会終了後荷物を置きにホテルチェックインをしました。 18日/19日は『仙台青葉祭り』でアーケード街に踊れの連が繰り出し賑やかでした。


★5月19日
2日目句会の成績は上々、1句準特選、1句並み選でした。 提出2句に主宰の選が付いたのは参加者の半分以下だったので好成績です。 主宰本人は前夜二次会三次会まで付き合った後、朝5時起きして選をしたそうで、会員に支えられる結社主宰の大変な処です。

句会終了後仙台12:44発新幹線で東京へ向かいました。 帰宅するだけなら松本句会仲間と昼食後でも良かったのですが、予定があったのです。 土産のずんだ餅と昼食牛タン弁当買って乗り込みました。

この列車選んだのは東京着時間が都合良いのに加え、福島駅で山形新幹線併結が見られるからです。 福島駅手前で高架単線の山形新幹線が西方から合流し、乗車列車は進行方向一番右側の山形新幹線分割併合専用番線に到着します。 遅れて到着した山形新幹線は4-5m前で一旦停止、係員指示で微速前進し、振動も大きな音もなく連結されました。

東京の予定とは、筆者諏訪転居前の仲間と再会する事です。 4-12歳年下の仲間ですが、40年以上会ってなく、いつか会って話したいと思ってました。 いつかいつかと言ってる内に機会はないかもしれません。

筆者記憶は20歳前後の若い頃の顔の仲間が一番若くて62歳のジジイになってました。 家業を継いだ者、サラリーマンを務め上げた者、一部上場企業役員CFOに出世した者も居れば、波乱万丈の人生を送った者も、大学教授までのに居たは驚きました。


4時から6時半まで『同じ釜の飯を食った仲間』と実に楽しい時間を過ごし、新宿20:00発の『あずさ』で帰宅しました。 9泊10日の実り多い旅でした。 遠征記にお付き合いいただきありがとうございました。


ではまた。

×

非ログインユーザーとして返信する